第10話:慟哭と説得

帝国歴222年5月5日:帝国伯爵領の港町、ジョルダーノ商会の大型交易船


「帰して、家に帰して、お願い!」


 ようやく意識を取り戻したミアが泣き叫んでいる。

 自分が王都から遠く離れたグレリア帝国にいる事を知って。

 絶望のあまり、諦観からくる普段の淡々とした言動が嘘のように。


 餓死寸前の身体を酷使し続けてきたミアは限界だったのだ。

 両親と妹に捨てられた事で、ギリギリ保っていた精神が崩壊するところだった。

 だからミアの心と身体は本能的に自分を護ろうとした。


 気絶して全てを忘れる事で精神崩壊から逃れようとした。

 だがそんな状態だから、直ぐには目覚められなかった。

 心と身体が癒えるまで、昏々と眠り続けた。


 そんなミアのお世話をしたのが、ジョルダーノ商会のニコーレ夫人とラウラだ。

 実際には実務能力の問題でほとんど侍女がやったのだが、心から心配してお世話しようとしていたのは本当だ。


「ミア、よく思い出してご覧。

 もうミアに戻る家はないのだよ。

 ミアは両親と妹から死んだ事にされた。

 戻っても証拠隠滅に殺されるだけだよ」


 ミアが目覚めたと聞いて急いでやってきたシモーネが言い聞かせる。

 もう1度ミアを絶望の淵に落としかねない言葉だが、シモーネには自信があった。

 ミアならもう立ち直ってくれると妄信していた。


「うわぁあああああん!」


 ミアは大号泣したが、精神が崩壊する事はなかった。

 昏々と眠っている間、侍女達が細心の注意を払って水やスープを飲ませた。

 シモーネに教えられて作った流動食も食べさせた。


 普通ならここまでやれば、病気や障害で昏睡していない限り目が覚める。

 だがミアの場合は、身体と心が自分を護るために本能的に眠らせている。

 その時が来るまで目覚める事はなかった。


 15日経って目覚めたら、身体は以前よりも少しだけ肉付きがよくなっていた。

 まだまだ羸痩状態だが、餓死寸前からは脱していた。

 激しい飢餓状態だったから、食べた物全てを消化吸収したのだ。


「ミア、君は幸か不幸か死んだ事になっている。

 だったらもうカタ―ニョ公爵家の令嬢として生きる事はない。

 自由に、好きに生きていいんだよ」


「うわぁあああああん!

 他の生き方なんて知らない!

 お父様とお母様、エレオノーラの為に生きる以外の生き方なんて知らない!」


「嘘をついてはいけないよ。

 ミアはちゃんと他の生き方をしたじゃないか」


「えっ?!」


「自分が死ぬかもしれないのに、ラウラを助けようと水路に飛び込んだじゃないか。

 ミアは両親や妹だけじゃなく、他の人を助ける生き方ができるんだよ」


「……でも、誰をどうやって助ければいいか分からないわ」


「思い出してご覧、ラウラはミアに侍女になって欲しいと言っていただろう?

 ラウラのご両親は、ミアに家庭教師になって欲しいと言っていただろう?」


「……私は下女奉公しかしてこなかったから、侍女も家庭教師もできないわ。

 時々は侍女の真似事もしたけれど……

 計算や帳簿付けもしたけれど、専門的にやったわけではないの……」


「だったら家で働いてみないかい?

 実はこう見えて、俺は貴族なのだよ。

 本邸で侍女見習いをするのは堅苦しいだろうから、気楽に勉強できる別邸で侍女の仕事を学べばいいよ。

 その気があるのなら、読み書きや計算も習えるよ。

 全部覚えたらラウラの所に行ってもいいし、そのまま俺の所で侍女をしてもいい。

 できれば、俺を助ける仕事をして欲しいが、強制はしない」


「迷惑ではない?

 商会はお金を儲けるのが大切なお仕事だから、私を雇う事で負担をかけさせてしまうのが心苦しいの。

 貴男のお家が貴族だとしても、財政は大丈夫なの?

 私を雇う事で領民に負担をかけたりしない?」


「普通の貴族なら、侍女見習いを1人雇ったくらいで増税したりはしない。

 カタ―ニョ公爵家が異常だったのだよ」


「いえ、私の家が領民に負担をかけたというわけではないの。

 私が物心ついたころには、もう領地の徴税権はなかったから。

 ただ、領地を完全に奪う前のロンバルディ商会が、徴税権を盾に何かある度に臨時税を課していたと聞いていたから……」


 ミアが下女奉公させられていたロンバルディ商会は、主に武器や防具の売買をしていたが、陰で金貸しもやっていた。


 ミアの実家であるカタ―ニョ公爵家がロンバルディ商会から借りた金は莫大で、領地から納められる通常の税だけでは、月々の利息も払えなかった。

 その不足分を臨時税をかける事で搾り取れるだけ搾り取っていたのだ。


「ロンバルディ商会のやり方も下策だよ。

 本当に領地で儲けたいのなら、領民を豊かにして税収を増やさなければいけない。

 まあ、ロンバルディ商会には別の思惑があったようだけどね」


「え?!」


「なんでもない、こちらの話だよ。

 それよりも、さっきの話を真剣に考えて欲しい。

 ミアの将来の為にも、色々勉強した方が良いと思う」


「……もう少し考えさせてほしいわ。

 両親や妹が私を捨てたとは言っても、私が両親や妹を捨てなければいけない理由にはならないわ」


「分かったよ、もう少し元気になったら話し合おう」


 シモーネはこれ以上の説得を諦めた。

 少なくとも今直ぐ無理に説得する気はなかった。

 今はまだ心身を回復させる時だと思ったからだ。


 両親や妹に死んだ事にされたのは、ミアも知っている。

 だがまだ自分の所為でジョルダーノ商会が襲われた事は知らない。

 王国から逃げ出さなければいけなくなった事を知らない。


 この事を教えれば、ミアも覚悟を決めてくれるだろうと予測できた。

 だが、覚悟を決めるくらい衝撃を受ける事も分かっていた。

 だから全てを話して説得するのは、もう少し体力が戻ってからだと考えた。

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