第6話 それは言わない約束でしょう
鞄にまとめたヘレナの荷物は、驚くほど少なかった。
服や装飾品、化粧品や小物などは、全部あちらで用意すると言ってくれたこともある。
まあ一番の理由は、貧乏で元から部屋にろくろく私物がないということなのだが。
お気に入りの本を何冊かと、これまでつけていた日記と、折々に家族からもらったプレゼント。
高価なものはなく、殆どが手作りだったり安物だったりするが、ヘレナにとって大切なものばかりを詰め込んだ。
家族全員で朝食を取り、他愛ない話で笑い合う。いつもの風景、いつものレウエル子爵家の団欒だ。
「・・・お姉ちゃんてさ、本当に結婚するの?」
そんな和やかな空気の中、上の弟が尋ねる。
昨日は走り回って話も聞いてない様に見えたが、実はしっかり耳に入っていた様だ。
正確に言うと結婚ではなく婚約なのだが、この場合、訂正する必要はないだろう。
ヘレナが頷きを返すと、弟は続けた。
「じゃあさ、もうここには帰って来ないんだ?」
なかなかグッとくる台詞を言う、とヘレナは思った。
食べ盛りの12歳は、ご飯とおやつにしか興味がないと思っていたのに。
いつの間にか、朝食の席がしーんと静まりかえっていた。
しんみりしつつ再び頷くと、弟は「そっか」と呟く。
「なら、ご飯を食べる人が一人減るから、今日からは前よりたくさん食べられる様になるんだね!」
そう言って、鼻をふん、と鳴らす。
おお、これは反抗期という奴か。
それとも、姉の存在は食欲に負けたのか。
そんな事を思っていると、父が真っ赤な顔で立ち上がる。母は目を瞠り、口元を手で覆っていた。
ああ、これはいけない。
家族で過ごす最後の朝なのに。
そうヘレナが思った時だ。
「兄ちゃんったら、意地張ってそんな事言って。昨日、布団の中で泣いてたくせに」
などとぶちまける声がした。下の弟だ。
「ちょっ、なに言ってんだよ、お前っ!」
「素直じゃないんだから。『姉ちゃ~ん』って大泣きしてたのに、何カッコつけてんのさ」
「だからバラすなって! 黙ってろよ!」
「なんでさ? 寂しいなら寂しいって言えばいいだろ」
「言ったら姉ちゃんが出て行けなくなるだろっ!」
「・・・」
・・・あら、あらあらまあまあ、これは。
険悪な雰囲気が一変、急に感動的な場面へと切り替わる。
上の息子を怒鳴りつけようと立ち上がったオーウェンも、泣きそうな顔で再び席に座った。ヘレナの母はもうぽろぼろと泣いている。
柄にもなく、ヘレナの瞳にもじわりと涙が浮かべば。
「ロクタンじゃない男が、やっと姉ちゃんをもらうって言ってくれたんだ!
寂しいとか言って引き留めちゃダメだろっ!
それで姉ちゃんの結婚の話がなくなったらどうすんだっ!」
「・・・」
今度こそ、室内に静寂が舞い降りた。
・・・いや、弟よ。
確かにそうかもしれない。そうかもしれないけれども。
そこは言ってはいけない。
それは言わない約束、というものだ。
姉の涙はすっかり引っ込んでしまったのだった。
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