白馬にて
霞(@tera1012)
第1話
それは白馬に乗ってやってきた。
「はじめまして。わたくし、ヴィクトワール・シュヴァルブラン・村男III世と申します」
男は甲高い声色で話し出す。マジもんのヤバい奴かも、と、私の中の警報が控えめに鳴った。
「私は、ここ白馬村の公式キャラクターなんです。お姉さん、大丈夫ですかー?」
男は全く表情を変えないまま、というか顔の筋肉一つ動かさないまま、手に持った中身の入っていない着ぐるみをくねくねと動かした。そこまで来て、ようやく状況が呑み込める。
婚約者と二人で来るはずだったスキー場で、私は一人、スキー板をはくのに悪戦苦闘していた。いわゆる傷心旅行というやつだ。見かねて、スタッフが斬新なアプローチで声をかけて下さったらしい。
「腹話術、お上手ですね……」
「いやそれほどでも」
その瞬間、男のゴーグル焼けした顔がにかっと笑み崩れ、真っ白い歯がのぞいた。私の胸がドクンと鳴る。
これが、私と智之の出会いだった。
*
白銀の山肌には、武田菱がくっきりと浮かんでいた。
「はあー、綺麗」
「やっぱ、ここからの景色はサイコーだな」
聞きなれた声に振り返ると、ゴーグルに覆われた目元にしわが寄っていた。大好きな、くしゃっとした笑顔。智之は、このスキー場でゲレンデ整備とスクール教師の仕事をしている。
「おいで、これから跳ぶから」
「え……」
「上から見てみる?」
智之に先導されて、スタート地点から、彼らの滑るコースを見下ろした。崖のような急斜面に、規則的に並ぶコブと、その下にそそり立つエア台。見ただけで、背筋がひゅっとなる。
「なあ、俺がこのエア決めたら……」
「ん?」
「何でもない」
カンカン、と軽くストックを合わせると、智之はまっすぐ前を向いた。背筋が伸び、膝が曲がる。そのまままっすぐコブに入っていく。凄まじいスピード。
エア台前まで、上半身は全くぶれていなかった。膝を伸ばしエア台に入る。
(うそ)
智之のスキーが後ろでクロスされ、体がくるりと縦に、同時に横に回転しながら視界から消えた。初めて見る技だ。私は息を飲む。
しばらくすると、猛然と下部のラインを滑り下りる背中が見えた。
はあ。思わず詰めていた息を吐く。
コース下から、振り返った智之が両手を大きく振るのが見えた。
「イエス、だよ」
昨日の夜、いきつけの居酒屋で、俺の一目ぼれ、と、仲間に照れもせず私を紹介した。そんなの、初耳だった。
シャイで大胆なこのスキー馬鹿が、私の世界一愛しい男だ。
白馬にて 霞(@tera1012) @tera1012
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