白馬にて

霞(@tera1012)

第1話

 それは白馬に乗ってやってきた。


「はじめまして。わたくし、ヴィクトワール・シュヴァルブラン・村男III世と申します」


 男は甲高い声色で話し出す。マジもんのヤバい奴かも、と、私の中の警報が控えめに鳴った。


「私は、ここ白馬村の公式キャラクターなんです。お姉さん、大丈夫ですかー?」


 男は全く表情を変えないまま、というか顔の筋肉一つ動かさないまま、手に持った中身の入っていない着ぐるみをくねくねと動かした。そこまで来て、ようやく状況が呑み込める。

 婚約者と二人で来るはずだったスキー場で、私は一人、スキー板をはくのに悪戦苦闘していた。いわゆる傷心旅行というやつだ。見かねて、スタッフが斬新なアプローチで声をかけて下さったらしい。


「腹話術、お上手ですね……」

「いやそれほどでも」


 その瞬間、男のゴーグル焼けした顔がにかっと笑み崩れ、真っ白い歯がのぞいた。私の胸がドクンと鳴る。

 これが、私と智之の出会いだった。



 白銀の山肌には、武田菱がくっきりと浮かんでいた。


「はあー、綺麗」

「やっぱ、ここからの景色はサイコーだな」


 聞きなれた声に振り返ると、ゴーグルに覆われた目元にしわが寄っていた。大好きな、くしゃっとした笑顔。智之は、このスキー場でゲレンデ整備とスクール教師の仕事をしている。


「おいで、これから跳ぶから」

「え……」

「上から見てみる?」


 智之に先導されて、スタート地点から、彼らの滑るコースを見下ろした。崖のような急斜面に、規則的に並ぶコブと、その下にそそり立つエア台。見ただけで、背筋がひゅっとなる。


「なあ、俺がこのエア決めたら……」

「ん?」

「何でもない」


 カンカン、と軽くストックを合わせると、智之はまっすぐ前を向いた。背筋が伸び、膝が曲がる。そのまままっすぐコブに入っていく。凄まじいスピード。

 エア台前まで、上半身は全くぶれていなかった。膝を伸ばしエア台に入る。


(うそ)


 智之のスキーが後ろでクロスされ、体がくるりと縦に、同時に横に回転しながら視界から消えた。初めて見る技だ。私は息を飲む。

 しばらくすると、猛然と下部のラインを滑り下りる背中が見えた。

 はあ。思わず詰めていた息を吐く。

 コース下から、振り返った智之が両手を大きく振るのが見えた。


「イエス、だよ」


 昨日の夜、いきつけの居酒屋で、俺の一目ぼれ、と、仲間に照れもせず私を紹介した。そんなの、初耳だった。

 シャイで大胆なこのスキー馬鹿が、私の世界一愛しい男だ。

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