全部やってから死んでくれ

ラマ

プロローグ

プロローグ《1》

「はあ……、はあ……っ」

どうしてだろう。

どうしてこうなったんだろう。

俺はそんな思考を巡らせながら、一人廊下を走っていた。

「はあ……、はっ……はあっ……!」

胸が苦しい。足が痛い。準備運動もせずに走り出したんだから当たり前だ。

でも、だからといって、ここで足を止めたら──


その時、足に何かが引っかかり、グンっと後ろに引っ張られた。

「う──わっ!」

一瞬身体が宙を舞い、ダンっと派手に転ぶ。何とか手で防ぎはしたが、思いっきり身体を床に強打してしまった。

「ぐっ…………」

痛みに耐えかねながら、何とか身体を起こし、足に絡まっている物を見る。

それは──

「…………髪?」


真っ黒な、長い長い髪。

まるでホラー映画に出てくるようなそれは、あまりにも禍々しく見えた。

その髪は、廊下の奥から伸びていて──暗くてよく見えなかった。

ぺた、ぺた、と音がする。暗闇の中から、誰かが姿を現した。

その姿を見た瞬間、俺はビクッと震えた。


それは、完全に髪の毛に覆われていて、下から素足が覗き込んでいた。それ以外は何も分からず、ただぺたぺたとゆっくりとした足取りで俺に近づいてくる。

俺は恐怖で、身動き一つ取れなかった。

自然と、身体がガタガタと震え出す。身体中から汗が吹き出し、それから目が離せない。

怖い。何されるか分からない恐怖が、俺を支配する。

その間にも、俺の右足に巻きついた髪は徐々に力を増していった。


その時、しゅるしゅるという音がすると思ったら、新たな髪の毛束が俺に向かって伸びてきていた。

「ひっ…………!」

後ろに下がろうとして、足に絡まっている髪が更に足首を締め付ける。それは骨を折るつもりなんじゃないかっていうくらいの力で、足に激痛が走った。

「ッ…………! あぐ……っ」


なんで。なんでこんなことに。

俺、何かしたっけ? 見覚えがない。人付き合いすらほとんどないのに、恨みを買った覚えなどない。なんだこれ、俺、殺されるのか?


……殺される? 殺人……、そういえば。

一ヶ月前、この学校で、誰かが殺されたって事件があったような──。



「う──うわあああっ!」

俺はポケットに手を突っ込むと、中にあったスマホを取り出し、ブンっと思いっきり『それ』に向かって投げた。ゴッと鈍い音がなって、「うぅ……」と小さなうめき声が聞こえる。俺を縛る髪の毛の力が少し緩んだ。

「…………!」

俺は何とか力を振り絞って髪を振り払い、ダッと走り出した。


ズキッとさっき締め付けられた右足に痛みが走り、膝をつきそうになる。我慢して走れるくらいだから折れてはいないだろうけど、かなり痛い。かと言って、そんなことを言ってられる状況でもないのはわかっている。

何とか──何とか逃げ切って、あれから離れないと……!

…………離れない、と……。

「…………あれ?」


そのとき。

俺は、ふと考えてしまった。

余計なことだった。少なくとも、今考えるべきではなかった。……でも、なぜだろう、思ってしまったんだ。

本当に、俺に、こんなに必死に逃げる必要があるのかって──


「………………あ」

気づけば、俺は階段を一番上の段から踏み外していた。走っていたからだろう、頭から落ちようとしていた。

全ての時間がゆっくりになったように感じる。落ちる瞬間とは冷静なもので、迫り来る床を見ながら、ああ、終わったな、と思った。

そんなものだったんだ。



次の瞬間には、俺は階段の踊り場に転がっていた。ぼんやりとする視界に、赤いものが広がっていく。

なんで──なんで、こんなことになったんだっけ。

足を怪我したせいだろうか。

いや、踏み外したのは逆の足だったな……。

まあ、どうでもいっか。

…………うん、どうでもいいや。

俺は、静かに目を瞑った。


ヒムカイキハル、高校一年生。

勉強も運動も平均で、何の取り柄もないし、友達もいない。どこにでもいる、陰キャ高校生。

しかし、その十五年は、あっけなく終わりを迎えた──と。


そう思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る