第7話 合わせた拳と、香月の思い


 昨日より早い時間帯に、学校へ行く準備を整えた美海みう


「ほら、美海お弁当。忘れもんは無いかいな?」

「お母さん、ありがと!ええとですね……カバンの中、シートにも包んだ、よしっ!遠峰君の分は、手に持ってます、よしっ!」


 香月の問いかけに、カバンと自分それぞれに、ぽん、と手を置いて返事をした。


「そっか!じゃあ、準備万端だな」


 香月が、やるじゃねえかコノ野郎!と言わんばかりの表情でサムズアップをした。


 すると。


「……あれれ?あれ?あっ!マグボトル忘れたあ!」

「お約束、ごちそうさん」

「ち、違うもんっ!」


 靴を脱ぎ、慌てて台所へと駆けこむ美海。


(ま、五年越しの一大イベントだ。無理ない無理ない)


「えへへ、忘れ物でションボリしなくて済んだ!」

「そりゃ、よござんした」

「言い方っ……!じゃあ、行ってくるね!」

「ん。どんな伝え方でも悔いは残すなよ?」

「うん!ありがとう、お母さん!ほあ!」


 美海は顔いっぱいの笑顔で拳を差し出した。

 ありったけの想いを握りこんで、香月は拳を合わせる。


「やった!元気いっぱい貰えた!行ってきまーす!」



 慌ただしく駆けていく足音を聞きながら、香月はベランダに移動した。


 朝の冷え込みに構わず、エプロン姿で外に出る。

 そのまま眼下の光景を見下ろしていると、走る美海の背中が見えた。

 その背中が曲がり角で見えなくなると同時に、香月は煙草に火をつける。


 美海を身籠みごもって以来吸っていない煙草にふらつく。

 が、構わず大きく吸い込んで、紫煙をくゆらせる。


(は、効くな……。好きになってから五年、か)


 今まで、好きという気持ちを伝えずに温めてきた。

 

 そんな美海が今日、勇気を出して初恋にぶつかる。

 飛び込んでいく。

 

(時間は、誰にでも平等だ。早くも遅くもなりはしない。だが、小さな体いっぱいに色々な事を経験して、泣いて笑って、転んで、立ち止まっては、また走って)


 ふうううう。

 

 想いを噛み締めるように、大きく煙を吐き出した香月。


(子供達の時間は、経験と予測で動けるようになった大人とはまるで重みが違う。初めてに出くわして、何かを得る。その連続の中で成長していく。そして美海は……親バカを差っ引いても本当にいい娘に育った。けれど)


 ジジジ、と音を立てて真っ赤にくすぶる煙草の先を見つめながら吸い込んだ香月は、混ぜこぜになった自分の中の期待と不安を煙と共に吐き出していく。


(こればっかりは、結果は神のみぞ知る、だ。自分の気持ちと意思を目いっぱい抱きしめて走り出した美海に今、私達ができる事は……応援して、祈るぐらいしかない)


 香月は、美海に声を掛けて、先に出勤していった遥人はるとの昨晩の台詞を思い出す。


『娘を嫁に出す親の気持ち、分かる日がくるとはね』

『落ち着け。したり顔で滅茶苦茶抜かすな。はええよ』


 寂しそうに、そして感慨深げにグラスを傾ける遥人にツッコミを入れた香月。


 が。


 娘が親の手から羽ばたこうとしている事に対する感覚。

 遥人のその気持ちは、痛いほどわかった。


 そして。


 美海は、この初恋が成就しても、しなくても大きく成長するだろう。

 いつか来る、巣立ちの日に向かって。


 そう考えつつ、香月はライターと煙草と一緒に昨日買った携帯灰皿に煙草を押し込んだ。


(遠峰君の事は五年間美海からリアルタイムで聞いてる。きっと、美海や告白してくる女の子達を無碍むげにする事なく真摯しんしに向き合ってくれるだろうな。後は……)


 ぱんっ!


 香月は手を打ち合わせ、目をつぶった。


(恋の神様、頼むよ。ホンの少しでもいい。美海の告白も応援してくれないか。もし、もし。想いが届かなかったとしても……美海が『告白してよかった』って思える様に。私達の命より大事な、娘なんだ)


 一心に願い、目を開けてそっと手を離した香月。


「やっぱ、寒ぅ!晩ご飯、どうすっかな。いっそ遥人におねだりして、三人で美海のお疲れ様会してもらうのもいいか?いや……」


 部屋に戻り、エプロンのポケットからスマホを取り出した香月は、スイスイ、と遥人にチャットを送る。


「美海。『初彼ぴっぴ、できました!』会にしてくれよ?期待してるぜ?」


 顔を真っ赤にしながら、あうあう!と照れまくる美海を想像した香月は、ニンマリと笑った。

 今はただ、信じると決めて。


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