【第31回電撃小説大賞】バレンタインチョコ・ラプソディ

マクスウェルの仔猫

第1話 なあ、美海さんや美海さんや


「行ってきまーす!」

「はいよ。遅刻、は無いか。なあ美海みうさんや美海さんや」

「……?なあに?」


 ドアノブに手を掛けた瞬間に、母親の香月かづきに呼び止められた堀家の美海。振り返って、ランナーの信号待ちの如く軽く足踏みをしながら母親に聞き返す。


「私、早く学校に行きたいのぉ!でも、どしたのどしたの?」

「それだ」

「え?」

「いつもより早起き。んでバレンタインデー前日にその可愛い荷物は何でさ?今年は遠峰とうみね君、用事でもあるんかい?」


 香月のツッコミに、美海はもじもじ、と俯いて赤くなる。


「あ、う……だ、だって。高校に入学してから更にモテモテで近寄りがたくって。同クラだった去年とは違うし、バレンタインが近づくにつれて更に女子たちの目線が……だから、今日こっそりと下駄箱か机の中に入れとこうって」


 そう言って玄関の床に視線を彷徨わせる美海の表情を見て、香月はため息をつく。何かを言いかけて口を閉じ、息を吐いてから言った。


「今年も、手紙に名前、書かないのか?」





 この子は毎年、この愛の日はこんな感じだ、と香月は愛しい我が娘を見つめる。私達の自慢の娘なのだから、自信を持て胸を張れ、と言っても一歩引いてしまう。


 男勝りの自分には似ず、夫の遥人はるとに似て慎ましやかでおっとりとしている。


 だが、優しい性格とあどけない見た目に反して、しっかりとした芯を持つ美海を、親バカを差し引いてもいい子に育った、と香月は思う。それは、遥人と香月は自信を持って胸を張っていくらでも力説できた。


 親でも顔を赤らめそうな程の、柔らかなお日様のような笑顔。思わず頭を撫でたくなるような、愛らしい仕草。具合が悪そうなお年寄りや女性、子供を見かけたら、全力で走っていく美海。


 小さい頃に年下の子供達と遊び、しょっちゅう大好きなお菓子や本をあげてしまい、それでも満足そうにいっつも泣き笑っていた美海。


『みんなで暮らせるおうちを買うから、大人になるまで待っててね』

『美海、のお嫁さんになって、ずっと一緒なの』

『美海がお婆ちゃんになっても毎日縁側でお茶しようね』


 小さい頃から時折、二人がこっそりと、又は堂々と涙するような事を平然と言ってのける娘に遥人と香月はいつも降参、白旗状態であった。

 

 そんな、二人の愛娘が。


『大好きだから、見てるだけで嬉しいの』

『ううう、来年には名前書きたいなあ……』

『フラれちゃったら、お友達じゃなくなっちゃうの?そんなのヤダよう』

『今年もやっぱり書けなかったや。あうう』

 

 そんな始末である。


 ここ数年は娘の初恋模様を見守りつつもやきもきしている二人。


 だが、美海の為を思えばアドバイスはしても、最後には美海が決断することなのだ、と遥人と香月はそっと、ずっと見守っている。


 小学校からの初恋を温めてきた娘の、恋の成就を願って。



 だが、今年は違った。


 自分の名前をチョコに添えた手紙に書くか書かないか。微笑みながら娘の答えを待つ香月に、美海から予想外の返答が返ってきた。


「……書くよ!今年は名前、書くもん!い、行ってきまっす!」

「お、おお?……………………おおお!よっしゃ!!!」


 両脇を占めて、可愛いガッツポーズを見せた後に勢いよく飛び出していった娘の姿に口をぽかりと開けた後、格闘家さながらの大きな大きなガッツポーズをする香月。


「今日は奮発しないと、な。頑張れよ?堀家自慢の美・海・ちゃん☆」


 娘の本気に顔を綻ばせた香月は、既に出勤していた夫にチャットを打ったのだった。


 

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