やせいのカレーパン Home Sweet Home

七草かなえ

第1話 であい

 学校帰り、俺は野生のカレーパンと出会った。


 最近、大手製パン工場を中心として、出荷前のパンが大量に脱走して野生化する事例が相次いでいるのだ。


 クラスメイトから「昨日、チョココロネが玄関ドアに張り付いていた」、「ペットのカメの上にメロンパンが乗っていた」との話は聞いていたが、実際に直接俺が目するのは初めてだ。


 そりゃ、日本どころか世界的に、このパン騒動は大きな話題になっている。クールジャパンの新たな形、とか言われてる、らしい。


 そんなこともあって、「生きるパン」のビジュアルは、今やネットでテレビで好きなだけ見ることができる。

 だが静止画像だと、まったくただのパンと見た目の変わりがない。確か、アップルパイがリンゴのコンポートを食べている動画が話題になっているらしいけど。でもアップルパイは、パンっていうよりお菓子じゃないか……?


 とにもかくにも、今は目の前のカレーパンだ。


 こいつは、昨晩降り積もった雪にまみれて、小刻みに震えていた。


「お前、俺の家に来るか? 寒いんだろ?」


 俺の口から、思わぬ言葉が飛び出した。相手はカレーパン。「ウチ来る?」より「お持ち帰りテイクアウトします」のほうが合っている気がする。

 

 第一、俺の日本語通じるのかこれ?


「く、くぅー」

 カレーパンは、子猫みたいにか弱く鳴いた。少なくとも、警戒はしていないようだ。俺が両手でカレーパンを抱えあげると、丸くてじとっと油ぎった身体をぶるぶるっと震わせた。同時にカレーパンについた雪が、一瞬にして溶け去る。体内のカレーを自力で加熱したのだろう、と勝手に解釈。


 俺の両手に、優しいパンの温もりが広がった。カレールーは甘口か?


 一軒家の自宅に帰りついた。俺はエアコンの暖房をつけ、熱風が当たる場所にカレーパンを置いた。ちょうどテレビ真正面に位置する、やわらかソファの上だ。

「くー」

 あたたまったのか、カレーパンがうつらうつらしだした。けど眠りこみそうになるたび、ハッとして一センチほど飛び上がる。何かに怯えているようだ。


 製パン工場から(多分)脱走。冬の街を凍えてさまよい、見知らぬ人間の家に連れ込まれたんだもんなあ。


「大丈夫、俺はおまえを食べたりしないよ」

「く、くー?」


 なお怯える様子のカレーパンを俺はこわごわとなでる。


「この家、実は俺一人で住んでるんだ」


「高校生が二階建てに一人暮らしなんて、笑えるだろ? おまえがひとりで雪まみれになってるの、見捨てられなかったんだ」

 俺がやさしく声をかけると、カレーパンは間もなく眠り込んでしまった。


「……おやすみ」


 まるで妹か子供ができたような感傷が、胸の奥で吹き荒れる。俺はその感情に蓋をした。一人で抱えきれない何かに、おぼれてしまいそうな気がしたから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る