それは白馬に乗ってやってきた

Blue Raccoon

第1話

 それは白馬に乗ってやってきた——


 早朝、いつもは動かない足でアトリエの外へ出る。


 今日はがやってくる日。


 外はとても寒かった。


 そして、とても静かだった。


 今朝は寒凪のようだ。


 静かな朝に蹄の軽い音が遠くから響く。


 私の横を風が通り抜ける。


 その風は白馬に乗ってやって来た。


 足の数が8本の綺麗な白馬だ。


 それを乗せた白馬は堂々たる態度で私の前までゆっくりと歩いてくる。


 また、私の横を風が通り抜ける。


 春の薫る緑色の風は白馬に乗って私の元へやってきた。


 私の頬をその風が掠める。


 花壇の花々がその風に揺られながら喜んでいる。


 アトリエの木材もその風に撫でられながら静かに喜んでいる。


 春は白馬に乗ってやってきた。


 白馬に乗ってやってきたそれを見つめる。


 は薄汚れた濃緑色のローブを羽織った老人だった。


 顔には灰色の長い髭を持ち、左目がない。


 つばの広い草臥れた帽子を被り、左手には長い槍が握られている。


 老人は右手で白馬の首をやさしくポンポンと叩いた後、ゆっくりと白馬から降りる。

 

 老人は白馬をなでながら私を見つめ返す。


 そして私に尋ねる。


「どうだったかね。君の人生は」


 私の横を春の風がまた通り抜ける。


 心地の良い風だった。


 心が落ち着く風だった。


「私にしては上出来でした」


 老人は長い髭を右手で撫でながら満足そうに笑う。


「それはよかった。もう、心は決まったかね?」


 老人は私にそう尋ねる。


「あと、少しだけ、ここにいたい」


「ふむ。ではカネルブッレとコーヒーでも頂こうかね」


「はい、こちらへどうぞ」


 老人はオーディンと名乗った。


 白馬はスレイプニルという名前だという。


 私は老人と話しながら半生を振り返る。


 ——たった30年の人生。


 この小さなアトリエとも今日でお別れだ。


 楽しい時はいつも一緒だったアトリエ。


 どんなに苦しい時でも一緒だったアトリエ。


 老人のコーヒーがなくなった。


 そろそろ時間だ。


「もう、よいかね?」


「はい」


 老人が白馬に乗る。


 私も老人に手を引かれその後ろに乗る。


 白馬はゆっくりと歩き始める。


 私は今日になった。


 は白馬に乗って運ばれていく——

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