あのよろし

イロハにぽてト

第1話

「こんにちは」

 夕暮れ時、川沿いの土手を歩いてた。学校からの帰り道中、すれ違った見知らぬ人に思わず挨拶をした。

 少し。ほんの一瞬、目が合ったからだ。といえばまぁまぁの理由は立つだろう。

「こんばんわ」

 その見知らぬ人は挨拶を返してくれた。この時間帯なら「こんばんは」でもおかしくは無いのだけれど。

 そう思って、私は帰り道をいつものように歩く。歩いていると後ろから、その見知らぬ人も同じ方向を歩いてくる。向かい側から来て、すれ違ったと思ったのだけれど。時折、後ろを振り返ってみると、見知らぬ人は少し俯いたまま、僅かに劣るペースで私の後ろに。普通に考えれば、いや考えなくても、おかしな人だなぁ、と思うし、何より気味が悪く感じるだろう。しかし何故か、そんな事は一切感じる事は無く、いつもの「帰り道」そのままであった。


 もうすぐ家に着くという所で、また振り返ってみると「見知らぬ人」はいなくなっていた。特に何かを気にする事もなく「ただいま」と玄関の戸を開けると、父親がドタドタと足音を立てて、私の方に向かってくるやいなや、突然怒鳴り付けてきた。何事か。私の頭の中では、はてな。が溢れかった。よく分からないが、中学生がこんな遅くまで何処に行っていたのか。という事らしい。益々持って理解が遠のく。いつもと同じ程度の時間に学校を出て、そこから寄り道もせず、真っ直ぐ帰宅したのだから、ほぼいつもと変わらぬ時間に帰って来たはずだろう。父親にそのように説明したが、今、夜の十時を過ぎた頃だ。と一括された。


 そんな馬鹿な事はあるはずが無い。居間に向かい、時計を確認した。十時十三分。付いていたテレビも夜のニュース番組だった。

 居間の傍らで母が、上擦った声でどこかに電話していた。私を心配して、あちらこちらに連絡をしていたようで、私が帰ってきた事を知ると、その事をお礼と申し訳なさを報告していた。

 これっぽっちも身に覚えがないし、とてつもなく不思議な事だが、割と素直に現実を見れた。中学生が夜遅くまでフラフラと出歩き、両親に心配をかけたのだ、と。ひとまず両親に謝り、後は日常を過ごした。風呂に入り、夕飯を食べ、少し勉強をして布団の中で漫画を見て眠りにつく。少し妙な疲れを感じたが、帰宅が遅かった為、就寝時間もいつもより遅くなったからかな、と思いながらゆっくり目を閉じた。

 

 翌日の朝、まるで何事も無かったかのように、朝の食卓を囲む。父は黙々と平らげ、会社へ。

 「いってらっしゃい」と母が見送る。続けて学校へ向かう私にも声をかける。明日からゴールデンウィークという事もあってか通学路がふわふわとやけに軽い。浮き足立っている事が自分でも感じて、なんだか愉快な気分になっていた。

「おはよう」

 友人達への挨拶も軽快だ。雑談を交わしつつ、話題はお祭りの話になった。

 この町内では定番の夏祭りは勿論、五月の連休前、田植えが始まる季節にお祭りがある。ずっと昔からの習わしらしく、豊作の願いを込めたお祭りなんだそうだ。そのお祭りに今年も皆で行こう。という話。どちらかいえば田舎であるこの町。なので大して賑わう程でもないけれど、幼い頃から毎年行っている私は二つ返事で友人達と約束をした。

 そしてあっという間に放課後になり、これまた軽やかな足取りで帰宅するのだった。


 途中、昨日の晩の事を、ふと思い出す。そして確認する。間違いなく、毎日通っている帰り道。そして時間。大丈夫だ。いや、昨日も同じだったはず。「大丈夫」と確認する事は違うのだ。

 そう思いつつ歩いていると「こんにちは」と誰かから挨拶をされた。色々と考えてて、少し呆けていたからか、突然声をかけられた事で体がすくみ上がったが、挨拶されただけ。と分かるとすぐに冷静になれた。

「こんにちは」

 と私も挨拶を返しつつ、目を向けると、そこにいたのは昨日の「見知らぬ人」が立っていた。この人もこの道をよく通るのだろうか。というか昨日も挨拶をしてくれたのだから、それはもう見知らぬ人、では無いのかな。そしてすれ違う。少し歩いて後ろを振り返ってみる。見知らぬ人は私とどんどん離れていって、その姿は見えなくなった。


「ただいま」玄関を開けると母が夕飯の支度を始めようとする姿があった。

 どうやら今日は「いつも」通りであるようだ。母に明日、友人達とお祭りに行く事を伝えると、小遣いを用意しておくからね。と言い、台所の方へ行った。

 休みの初日。早起きする必要もなく、目覚まし時計の準備も無く、悠々と朝を迎えた。祭りは夕方から始まる。それまで何をして過ごそうか、寝ぼけ眼で布団から出る。何気なしにテレビを見ていれば昼の情報番組が始まった。もうそんな時間なのか。全くどうして、休日という時間の流れはというものは。漫画やゲームと洒落込みたいところだが、学生の本分として少し勉強でもしておこうと思った。祭りの後に勉強などという野暮な事はしたくない気持ちもあった。そうしている内に、あっという間に待ち合わせの時間が迫ってきていた。少し急いで身支度を済ませ、母から小遣いを貰い、家を出た。

 豊作のご利益があるという、町の神社の鳥居の横に小さな石碑がある。なんとなくその石碑に一礼をし、友人達を待っていた。約束の時間に割とギリギリで着いたと思ったのだが、友人達は来ていなく、その内に次々と人が集まってきた。近所の人、家族連れ、恋人同士、日が暮れるとまだ、うすら肌寒い日もあるこの時期だが、浴衣姿で訪れる人も珍しくない。

 時間を見るがてら、連絡が入っていないかを確認しようとスマートフォンを取り出す。連絡は誰からもなく、時間もとうに過ぎていた。友人の一人に電話をかけてみたが応答なく。まぁもう少し待ってみる事にした。

 …………私が時間を間違えたのかな。と思い返していると、女性が一人、こちらに歩み寄って来た。

「——君、ですよね」

女性というか同い年くらいの女の子が私に声をかけてきた。

 誰だろう。同じ学校の子かな。でも見た事がないなぁ。生徒数が少ないので、学年が違くても大抵の顔は見た事はある。

「そう、ですけど」

まぁまぁそんな事を思いつつ、返事をしてみた。

「——君達。なんだか急用が出来たみたいで来られなくなっちゃったんだって」

 つらつらと彼女は話を続けた。

 来られなくなった事を、友人達が私に伝えてほしい。という。そして彼女自身が暇だったから代わりに私と一緒にお祭りを見て回る。だそうだ。——市の中学校で——ちゃんと友達。——ちゃんは確かに私と同じ学校にいる子で、今日のお祭りの参加者でもあった。

 そうなんだ。と、軽い納得で私の警戒心はすっかり解けたが緊張は解れなかった。何故ならばすごく可愛い。一言で単純な表現だが、その「一言」には様々な要素が絡み合っている。さっき会ったばかりの人だけれども。

 髪は短くもサラサラっと、風もないのに凪いでいるように。ハキハキと飛び出してくる言葉と共に交じる笑顔。その笑顔から見える八重歯、宝石の如し。浴衣姿は余りに現実感がなく、プラトニックな想いを画く。

 そんな彼女に見惚れて、呆けていた私の手は軽く引っ張られると、共に歩き始めた。

 巡る時間が瞬間的。出店の明かりが、やけに煌めいて見えた。どんな事を話していただろう。どんな顔をしていたのだろう。すれ違う人達すら目に映らない。ただ彼女の笑い顔だけはハッキリと脳裏に焼き付いた事は実感した。少し座ろうか、と彼女は言った。

 横道に入り、開けた場所にあった腰掛けに並んで座る。私は少し落ち付かず、手に持っていた飲み物をチラチラ見てはチビチビと何回も口に運んだ。

「見て。星がすごいよ」

 彼女の言葉に誘導され、夜空を見上げれば満点の星空が。あぁ、こんな風に見えるのか、ふと思った。いつもは気にしない事が、色付いて、体に感覚を染み渡らせてくる。

 ふと彼女の方を見た。星空を見上げている横顔が、どこが寂しげで儚げで、遠くにいるような、そう。まるであの星々のような。

「ごめんね。今日は。無理に連れ回しちゃったね」

 申し訳なさを含んだ笑みで、私の方を見て彼女は謝ってきたが、目が合ってどぎまぎしてしまった。しどろもどろでよく分からない返事をしたような気がした。でも、楽しかったよ。とは伝えられたんだ。

 えへへ。と、しどろもどろになる彼女。とても愛らしい。

「君は、——君はきっとこれから大人になるんだね」

 唐突な言葉に口をつぐむ。あまり考えた事もないけども、確かに歳を重ねていくのだろう。今までも、これからも。

「だからきっと。もう会えないね」

 突飛な言葉が加わり、思考が止まった。互いは住まう地域が違う事もある。という事は勿論それなりに距離もある。だから——という訳では、ないよな。

 遠くを見つめる。どこを見ているのだろうか。つられて私も「どこか」を見つめた。

「ふふ。今のは忘れてくれていいよ。本当に……君のおかげで今日は楽しかったよ。まやかしだろうと……楽しかった。ありがとう。——君」

 どうなんだろう? どういう事なのだろう? 分からない、分からないけども、少し泣きたくなった。何か、何かが欠落している。いや。忘れている気がする。

「それじゃあ、そろそろ帰らなきゃ。おやすみ」

 そう言うと彼女は別れを惜しむ感じもなく。スイッチが切り替わったかのようにサッと私の元から離れて行った。

 帰ろう——楽しかったのは間違いないが、疲れを感じた。

「遅かったわね。遠い所だから、と思ったけど、もうすぐバスもなくなる時間なんだから気を付けなさいよ」

 帰ってくるなり母からよく分からない言葉を投げられた。

 祭りがあった神社には、自宅から歩いて十五〜二〇分程度の所だ。学校の方がまだ遠い。疲れもあったせいか、はいはい。と聞き流してお風呂に向かった。眠気が徐々に強まってきて、うっかりすると湯船で寝てしまいそうな。気持ちはそのまま寝ても構わない。という危ない方向に傾いていたが、なんとか止まり、早々と切り上げ、寝る準備をする事にした。

 布団に潜ると同時に眠りに落ちる感覚がすぐに押し寄せてきた。

 

 翌日。気が付けば朝。よく寝たな。と布団から出ようと体を起こそうとした時、枕元にきちんと畳まれている浴衣が置いてあった。寝ぼけ気味の頭だが、すぐに見覚えのあるものだと分かる。これはそう。昨夜、お祭りで出会ったあの子が着ていた浴衣だ——

 その瞬間、ぽろぽろと涙が溢れた。

 ああそうだ。いつかふと思ったんだ。いつかこの風景も失くなるんだろう。一人。また一人。居なくなっていってしまう。誰も居なくなった時。その時には一体どんな気持ちになるのだろう。

 なんて事はない。何も思わない。無常な日常がどんどん全てを流していくだけだった。だから、その中で度々思い出しては——

 


 願わくば このまま ずっと

 

 

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