飛べない鳥のセレナーデ

虎渓理紗

飛べない鳥のセレナーデ

 死んだ叔母が隠れて飼っていたのは、翔べない天使だった。


 叔母が周囲の者から嫌われているのは、親戚のものなら誰もが知っていることだった。離れの別邸、誰も立ち寄らないその場所に、大きな鳥籠と、その彼だけがいる部屋。

 昔から幼い子どもの天使が天から落ちて、帰れなくなるというのは、よく聞く話で、その場合は二つしかそのものの未来はない。誰にも見つからずに飛べるようになって天に帰るか、心もとない人間に捕まって奴隷商に売られるか。

 前者は幸。後者は不幸。

 見世物として売られた天使は、飛べるようになる前に羽根の筋を切られる。

 そうすると二度と翔べなくなる。

 彼は口が聞けなかった。

 私が彼の部屋に入ると酷く怯え、掃除をするのも大変だった。彼の衣服は乱れておらず、綺麗な清潔な服を着ていたのが救いというべきか。

 時折見える彼の腕についた鞭の痕、鬱血した首回りと足首と手首。今まで屋敷のものが誰も彼のことを見たことがなかったことからして、おそらく外に出たことはない。

「貴方、名前は」

 羽根の筋は切られていた。随分前に切られたのだろう。この大きな羽根は、空を飛ぶことはできない。

「私は貴方の飼い主ゾフィの姪、クリスティーネ。叔母がこんな隠し財産を残していたのは知らなかったけれど……売るのも、殺すのも可哀想だから」

 彼が同じ歳くらいの……、二十歳前半で、黒髪に青い瞳の、綺麗な容姿だったということもあるのかもしれない。

「今日から私が貴方の御主人さまよ。よろしくね」

 返事はなかった。口をパクパクさせて、何かを言いたげなことはわかったが、発声する術を持たないようだった。


 ***


「お嬢様! ……あのようなものを屋敷には」

「いいのよ、私が許可致します。大人しいし、害は無いわよ。ちゃんと躾けられているようだから」

 躾けられている、とは愛玩動物のようでその表現は好きではなかったが、おとなしく従順で命令をよく聞くことは、確かに「躾けられている」としか言いようがなかった。

 見つけたばかりの当初は、首輪や足枷をつけたままにしていたが、飛べないことがわかると外した。彼がいた部屋を与え、彼に寝床を与えるとその日は素直にそこで寝ていた。

 まん丸くなって寝ているその様子を見ていると、雛鳥を思い出す。

「それに貴方は、この私に口答えをするつもり? この……次期当主の私に」

「あっ、いえ……そのようなことは」

「分かったら持ち場についてちょうだい」

 叔母がなくなる前、私より二つ上の兄が航海に行って亡くなった。船が行方知れずになった。海賊にやられたと言われている。

 彼の骨は海の底。

 母は取り乱して精神を病み、父は怒鳴ることが多くなった。この家で女は家を継げない。

 次期当主としても、地位は大して高くない。

 養子を受けることも両親は考えているかも知れない。私は幼い時から戦略結婚で公爵と婚約すると決まっていた。それが白紙になったのは、両親の顔を見ていれば分かる。

「……」

 喧嘩が絶えない本邸。怒鳴る声は聞きたくない。母が泣く声なんて尚更だ。

「はぁ」

 私は自然と別邸に向かっていた。私だけの小鳥が住む場所、私の……。

 ドアを開けると彼の目が合った。彼は日中ぼうっと窓を見ていることが多い。庭が好きなのかと外に出るのを促したが、外に出ることはなかった。

「……」

 彼は口をパクパクさせるが、声が出ることはない。喉に何か異変があるのかと前に医者に調べて貰ったが「精神的な問題」と言われた。

 過去に何かあったから、声を出せなくなった。身体中にある浅い傷跡と関係があることは明白だった。

「うぐっ、グスッ」

 なぜだか分からないが、彼の胸に飛び込んで泣いていた。彼は一瞬体を強張らせて、しばらくあたふたしていた。私がぎゅっと抱きつくと、彼は自分のベッドに座って私が抱きつきやすいように。ふんわりと彼の羽根が触れた。

「……」

 しばらくそうしていると、彼が歌っていた。か弱くも凛と鳴るオルゴール、子守唄のように優しく、彼が私の背中を叩く音と同調する。

「……綺麗な歌声ね」

 彼は口が聞けなかった。

 でもそれは、彼が言葉を発したことがないということであって、彼が喉を潰されたわけではない。

「なんの曲かしら」

 聞いたことのない曲だった。

「素敵な声……昔、ウィーンに行った時の少年合唱団を思い出したわ。あぁ、ウィーンにね、――この国の首都なのだけど、とっても綺麗な声で歌う少年だけの合唱団があるの。天使の歌声……なんて言われていて。あぁ、貴方は天使なのだけれど」

 彼が喋らないから自然と私ばかり話すようになる。

「昔、お父様が連れて行ってくれた。お兄様と一緒に私は遊びに行ったわ。……お兄様は楽器が得意だったの」

 兄のことを思い出す。航海に行く前、「絶対に帰ってくるよ」と彼は行っていたのに、彼はその約束を守らず海の中に消えてしまった。

「……ヴェンデル」

 彼の目が見開いた。

「あなたの事、そう呼ぶわ」


 ***


 僕がいつこの地上に降りたのかは、僕も覚えていない。気づくと地面を歩いていた。

 羽根は折れて使い物にならなかった。

 ふらつく足で歩いていると、人間に見つかった。僕はそのまま捕まり、そして牢に入れられた。何日か鎖に繋がれ狭い牢から出られず、ご飯もろくに食べさせてもらえずにいた。お腹が常に空いていて、ご飯の時間が来ると貪った。

「餌の時間だ、早く食べろよ」

 僕を捕まえた男は、僕にご飯をやる時間、そう言って僕に残飯をくれた。残飯は美味しくはなかったが、腹が減っているよりはマシだった。

 何日が過ぎると僕は外に出された。

 やっと自由になれると思った時、僕は現実を知った。僕が捕らえられているところはとある施設の地下牢だった。

 後ろ手に手錠をされ、歓声の前に出される。

「珍しい商品ですよ! ……では、五〇〇万から!」

 この時、嬉々として僕を狙う恐ろしい人間達を見た。

 僕はそのあと、いろんな主人達の屋敷を転々と移動することになる。買い手がついたその日に、羽根の筋は切られた。男手で取り押さえられて刃物を突き立てられるのは本当に怖かったが、羽根は折れた後だったので感覚はあんまりなかった。

 転々とする間、酷い主人もいたもので、怖い思いもした。

 僕はほとんどの時間を鳥かごの中で過ごした。たまに主人は外に出してくれたが、鎖はつけられたままで逃してはくれなかった。

 貴族や王族の中では、僕のようなものはたまに市場に出てくるのだという。

 そして僕のようなものは「カナリア」と、いうらしいのだ。

 カナリアは声が綺麗だからと、歌を覚えさせられる。毎日朝から夜遅くまで練習させられ、パーティの時にお披露目をする。

 主人達は歌を教えてくれても、言葉は教えてくれない。だから僕は人間の言葉を理解はできても、喋ることはできない。

 歌うだけの鑑賞愛玩生物、――それが「カナリア」だ。

 そんな中、僕が最後にたどり着いたのはこの屋敷だ。主人は気の難しそうなおばあさん。

 なんで僕なんかを買ったんだろう、と初めは思った。周りに見せびらかすこともなく、歌を覚えさせることもなく、ただ主人と二人で過ごす別邸。僕は比較的綺麗な服を着せてもらった。

 朝ごはんは主人が作り、毎日髪をとかしてもらい、羽根の手入れをして、夜は鳥かごの中で眠る。僕は羽根のせいで背中が開いた服しか着られないのだけど、僕のために仕立てた服を着させてもらった。

 たまに僕は歌を歌った。

 何もすることもなく、暇だったから。

 待遇がいいとしても、変わらず鎖はつけられているのだから。

「……綺麗ね」

 それはつぶやくような声だった。

「毎朝、私のために歌ってごらんなさい。あなたが私にすることはそれだけでいいわ」

 それが、主人が僕にした最初で最後の命令だった。

 それから僕は毎日、主人のために歌った。

 僕のようなカナリアは、だいたい主人に楯突かないように躾けられる。僕もこれまでの主人に躾けられており、命令は守るし、反抗はしない。してもどうにかなるようなら、そうして鎖に繋がれたままではいないというわけだ。

 主人が死ぬまで、その命令は守る。

 そんな主人が死んだのは、寒い冬の日だった。

「……ヴェンデル」

 彼女は僕のことをこう呼ぶと言った。

 僕はその名前を知っている。

『ヴェンデル、私の甥っ子の名前よ』

 主人がそう言っていた。この家の亡くなってしまった跡取り息子。

 僕の、今の主人のお兄さんの名前だ。


 ***


 私は彼を自分の兄と重ねている。

 彼が愛されていることは、この屋敷のものなら誰もが知っていた。彼がいたからこの屋敷は安泰だった。

「この家はね、昔は皇帝から認められる大貴族だったらしいわ。でも、戦争の資金繰りに失敗してみるみるうちに財をなくし、今じゃ潰れかけの没落貴族一歩手前ね」

 彼は黙って聞いていた。

「屋敷の者の中には、貴方を売ればお金になると言っているものもいるわ」

 カナリアは希少価値であるが、何個もの屋敷を渡り躾けられたカナリアは特に高値で売買される。大人しく歌声も良く、新たに躾ける必要もなく、扱いやすいのが理由だ。

「それは可哀想だと思う」

 安全な屋敷にいれず、いつも不安だなんて可哀想だ。この屋敷は檻だ。羽ばたけない鳥は、空がどんなに広いのかを知らない。

「私も……この屋敷から出たい」

 彼は何も言わなかったが、彼はぽんと私の頭に手を乗せた。撫でる手は優しい。

「ねぇ」

 お兄様。どうか、どうか、許してください。

「一緒に逃げない?」


 ***


 空は広い。

 屋敷にいる時、こんなに空が広いとは思いもよらなかった。華やかな街はすっかり冬ごもり、厚いコートを着た彼女が手を振り呼んでいる。

「ヴェンデルー! こっちにいいお店があったの!」

「ちょっと待ってよ、クリスティ!」

 僕らは各地を旅している。

 覚えたてのドイツ語はまだ勉強が必要だと思うが、彼女は教え方が上手く良い先生だ。

 僕らは各地を回り、僕が歌を、彼女が楽器を弾いてお金を貰っている。僕は珍しいカナリアだから、この大きく美しい羽根を見に来る客も多い。

 僕らは自由がない飛べない鳥だった。だが、それも昔の話。今は違う。

 境遇は違えども……、僕らは飛べない鳥だった。彼女は精神的に、僕は物理的に自由ではなかったのだと思う。

「なに考えてたの」

「え? なんで?」

「遠い目をしてた。だれか良い人でもいた?」

「まさか。君が一番綺麗だよ」

 彼女はりんごのように赤くなる。

 言葉を覚え声に出せるようになって思ったことは、自分の気持ちを伝えるということはとっても嬉しいということだ。声を出そうとすると昔なら怒られた。声を出すのは歌う時だけ。口答えをするための口はいらない。

「もう!」

「うん? どうしたの」

「……そういうのは人がいない時にしてよ……」

「え? あぁ、うん。分かった」

 僕は、僕を籠から出してくれた彼女が好きだ。

「大好きだよ、ずっとね。僕は君を愛してる。ずっとずっと一緒にいてね」

 彼女の手を掴みそっと自分の方に寄せる。僕の最愛の人。元貴族の気品は忘れず、今でも美しさは変わらない。

「大好きだよ」

 僕にはとっておきの武器がある。僕しか持っていないものだ。

 天使たる僕がね。

「誰も見ちゃいないよ。羽根がみんな、隠してくれるからさ」

 天使で良かったと、思える日が来るなんて僕は本当に幸せ者だ。




 Fin.




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