83. ケンカごっこ

 時は数年前にさかのぼる――――。


 女神の仕事を手伝うようになったオディールは、その日も朝早くから神殿のコントロールルームへ出勤していた。


「おはようございまーす!」


 自分の席に座って目の前に大きな画面をいくつか開くオディール。任されていたのは蜘蛛男のような危険分子を探し出し、世界の健全性を保つという仕事なのだった。


 コントロールルームは、まるで外資系コンサルのオフィスを思わせるような、木の魅力を活かした洗練されたインテリアとなっている。高い天井近くには多くの丸い照明がふんわりと浮かんでおり、温かみのある光で空間を照らしだしていた。


 あくびをしながら画面をつらつらと眺めていると、幼女の叫び声が響いてくる。


「いやぁぁぁ! つまんないの!」


 どうやらタニアがグズっているらしい。


 見るとパパがタニアを抱き上げるが、バシバシと叩かれ、なんだかとても痛そうである。


 オディールは苦笑いを浮かべ、タニアに近づいて声をかけた。


「タニアちゃん、どうしたの? おねぇちゃんと遊ぼうか?」


 パパから逃げ出して涙目になっていたタニアは、オディールを見るとテコテコと駆けだしてオディールに飛びついてくる。


「おー、よしよし」


 ふんわりとミルクの匂いにつつまれながら、オディールはタニアのプニプニのほっぺに頬ずりをした。


「結城くん、ごめんね。今日はちょっとご機嫌斜めみたいなんだ」


 パパは疲れ切った顔で謝る。


「大丈夫です。今日の作業は緊急でもないので僕がしばらく面倒見てます」


 オディールはタニアを抱き上げると休憩室の方へ移動した。


 休憩室は壮麗なガラス張りで、足元には碧く煌めく海王星が広がり、頭上には雄大な天の川が流れ、星々が輝く壮大な宇宙が見渡せる。


「さーて、何して遊ぶ?」


 オディールが聞くとタニアはピョンとオディールの腕から飛び降り、嬉しそうに叫んだ。


「ケンカごっこ!」


「ケ、ケンカ……?」


 戸惑うオディールをしり目にタニアは肉球手袋をポッケから取り出し、装着すると、キラリと目を輝かせた。


 きゃははは!


 タニアの嬉しそうな声が部屋中に響き渡る。


「いや、それ、危ないから……」


 なんとか肉球手袋を取り上げようとしたオディールだったが、タニアは楽しそうに肉球手袋を光らせて光の刃を放ってくる。


「いっくよー! きゃははは!」


 ひぃ!


 オディールは習ったばかりの魔法の盾を慌てて出し、間一髪で光の刃を打ち消した。パン! と、衝撃音が響き閃光が放たれ、オディールは目がチカチカしてしまう。


「何すんだよ! ちょっとヤメ!」


 怒るオディールをしり目にタニアはソファーの上によじ登ると、両手を腕の前でクロスして、得意満面で叫ぶ。


「おねぇちゃん! くらえー! きゃははは!」


 放たれる巨大な光の刃。これは渋谷で高層ビルを一刀両断した大技である。


「おっ、お前! ふざけんな! うわぁぁぁ!」


 オディールは慌てて楯を展開するものの、巨大な刃全部はフォローできない。


 ぐわぁ!


 オディールは自分の身は守れたものの、照明器具やキャビネットなど周りの家具は切り裂かれ、吹き飛び、最後は透明な壁も切り裂かれていった。


 ゴォォォォ!


 部屋の空気が盛大に宇宙へと漏れていく。


「コラッ! タニア!」


 頭にきたオディールは、手のひらをタニアに向け、巨大なシャボン玉をポンポンと放った。これは暴徒鎮圧などに使う魔法である。


 きゃははは!


 ちょこまかと嬉しそうに逃げ回るタニア。


「逃がさんよー!」


 オディールはそんなタニアを先回りし、大人げなく全力でシャボン玉を撃っていった。


 いやーー!


 最初は器用にかわしていたタニアだったが、シャボン玉が床のあちこちに残り始めると徐々に追い詰められる。


 キャァッ!


 最後にはシャボン玉にけつまづいて、転び、シャボン玉を浴びてしまうタニア。


 エイエイエイ!


 オディールはとどめを刺すように、タニアをシャボン玉だらけにして動きを奪ったのだった。


「あー、楽しかった!」


 タニアはハァハァと荒い息をつきながらシャボン玉だらけの中で嬉しそうに笑う。


「『楽しかった』じゃないよ、これどうするのさ?」


 オディールはめちゃくちゃになった室内や壁を指さし、口をとがらせる。


 休憩室のある神殿を構成しているデータは渋谷とは違い、最高レベルのセキュリティ管理がされており、実質女神にしか操作はできない。こんなことを女神にどう報告したらいいのかオディールは頭が痛くなる。


「大丈夫っ!」


 タニアはニヤッと笑うと指先をクルクルっと動かした。


 ヴォン!


 不気味な電子音が響くと、壊れた家具たちは一瞬ブロックノイズの中に沈み、直後、家具は元通りになって出現したのだった。


 見れば割れた壁も元通りである。


 へっ!?


 驚くオディールを見ながらタニアは「きゃははは!」と、楽しそうに笑った。


「ちょ、ちょっと待って!」


 オディールは慌ててキャビネットに走り寄ると、切断されたはずの切り口を探すが、木目の美しい板にはどこにも切れ目などなかったのだ。


 オディールは首を振りながら後ずさりする。


 女神にしかできないはずの操作をタニアはいとも簡単にやったことになる。しかし、何の権限も与えられていない幼女ができるようなことではない。何かがおかしい……。


 オディールは背筋にゾクッと凍るような戦慄が走るのを感じた。


「な、なんで……。こんな事……できるの?」


 オディールはこわばった笑顔でタニアの顔をのぞきこむ。


「うーんとね、上から入るの!」


「う、上……?」


 意味不明なことを言い出したタニアにオディールは眉をひそめた。


「ふふふっ。おねぇちゃんにだけ教えてあげるねっ!」


 タニアは指先で空間をパリパリっと割ると、オディールの手を取り、異空間へと引っ張っていく。


「えっ!? ちょっ! 待っ……」


 いきなりのことに頭が追い付いて行かないオディールは、目を白黒させながらそのまま異空間へと連れられていった。

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