第3話 マッチ売りの少女

 まだ午後六時を過ぎたばかりだが、学校を出ると日は既に沈んでいた。

 肌寒さを感じて、左手に持っていたコートを身に着ける。肌に冷たい何かがそっと触れ、空を見上げると薄暗闇に、うっすらとだが粉雪が見えた。

 勤務先である学校からの帰り道、数えきれないほどの往復を繰り返し、今では目を瞑っても迷わない程だ。……少し言い過ぎたかもしれない。

 住宅街を抜けると見慣れた公園と、その先にある通いなれた駅が見えた。あとはこの公園の中を抜けていけば、いつもの改札口にたどり着く。この時間なら電車中で仮眠ができそうだ。

「マッチは入りませんか?」

 何処からか、幼く高い声が耳に届いた気がした。

「……?」

 声のする方向へと視線を向けると街頭の明かりの下、ベンチ付近に一人の少女が佇んでいた。

「どなたかマッチは入りませんか?」

 改めて、自身に向けられた問いかけだと認識したが、突然のことに一瞬足がすくんだ。

 ただ、彼女をよく見ると、無邪気な笑顔を浮かべ、ありきたりでカラフルな洋服を身に纏い、手にはマッチ等が大量に入った籠を持っている。

 安心した。何より地に足はついているから大丈夫だろう。

「初めて見たよ、マッチ売りの少女。今の時代にもいるんだな」


           *


「そのマッチはいくらになりますか?」

「あ、ありがとうございます! えーと、200円になります」

 少女は満面の笑みを浮かべた後、何やら思案した様子でそう答えた。

 うーん、ちょっと高くないかな……いやでも今の時代これくらいなのか、あんまり買ったことないし。

「じゃあ一つもらおうかな」

「ありがとうございます!」

 正直、いまマッチを購入する必要性は全く感じていなかった。けれど胸の前で手を合わせてお礼を述べる幼気な彼女の笑顔に、私の心は十分な充足感を覚えていた。


           *


「……あの実は商品はまだあるんですが」

「え?」

 そう言うと彼女は腕に掛ける籠に手を突っ込むと、せわしなく漁ると何やら手に持ち、自信満々に私の前へと見せてきた。

「ライター500円になります」

「やっぱりちょっと高くない? それにいきなりグレードアップしてるけど」

 思わず心の声を口に出してしまった。

 恐る恐る彼女の表情をみると……彼女は涙目立った。

「うう……ライター便利ですけど、気に入らなかったですか?」

「いや、まあ、ライター一つあっても困らないし、買っても……良いかな」

 自分に引け目は全くないはずだが、全くないはずなのだが、彼女の涙につられていた。

「ありがとうございます! お客さん!」

「お客さん?」

「実はお客さん好みの、より火起こしがいのあるものが……」

 そう言った彼女は再び籠のなかを覗き込んだ。


         *


 目を輝かせて私を見上げる彼女に対して、彼女に渡された石と小さな金属のようなものを両手に持っていた

「いや、これ火打石だよ!」

「ライターよりマッチに近いですよ。原始的です。千円です!」

「そうかもしれないけど、」

「しかもこれ、私の手作りなんです。石は探して、金属片は打ちました」

「これ手作りなの!すごいな! ん? 千円……、すごいな!」

 あまりに予想外なことが続いて、早口でまくしたて、会話のレベルが著しく低下してしまった。


           *


「というか、どうして外でマッチとか、売ろうと思ったんだ?」

「お母さんがお菓子を買ってくれなくて……」

「……」

「お金を稼ぐのはとても大変なことなのよ、って言うから……それなら自分でやってみようって、ぐすん」

 彼女の母親はそう言うつもりでいったのではないと思うが、想定外の彼女の努力に敬意を表して、ここは何も言わないで置くか。

「へっ、くちぃ」

 くしゃみをする彼女を見て、改めて今日の寒夜を思い出した。

「もう暗いから家まで送っていくよ」

「ありがとー、わたしの家すぐそこ!」

 彼女と並んで歩く中、彼女に渡された火打石の存在を思い出し、せっかくの機会にお決まりの文句を口にした。

「火の用心!」

 かち! かち!

私の言葉に影響を受けた彼女も、籠から同様の物を取り出した。

「ひのよーじん!」

 かちっ! かちっ!

「火の用心!」「ひのよーじん!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る