糠喜ウカレの衝撃

羽織 絹

第1話 宿題

 朝のホームルームが終わると担任の教師が一旦クラスを離れる。

 そして授業が始まるまでの少しの間教室が騒がしくなる、いつもの光景だ。

 教科書を取り出し机にしまう。1時間目の科目を確認した。英語だ。

「英語かー、一時間目から重たいな」

 しかも夏場先生、雰囲気は穏やかなんだけど、結構厳しいところがあるからな。

「昨日は早くベッドに入ってぐっすり寝たけど、また寝ちゃいそうだよ」

「あんた英語じゃなくてもよく寝てるじゃない」

 前の席に座っていた高嶺ちゃんが間髪入れず突っ込みを入れてくる。

「違うよ! 瞑想することがためにあるんだよ、わたし」

 言い訳も兼ねつつ、私は普段通り高嶺ちゃんとの会話を楽しんでいたが——頭の片隅で、ふと何かが光った気がした。

「……」

「何よ、固まっちゃって、どうしたの」

 高嶺ちゃんの呆れつつも心配そうな声を掛けてきたが、私の方は高嶺ちゃんの机に出ている一枚のプリントに目を奪われていた。

「しまったー、英語の宿題やって来るの忘れたーー!!」

 突然の大声に目の前の高嶺ちゃんが椅子から滑り落ちそうになる。

「しかも今日私が当てられる日だよ、どうしよう、まずいよ」

 両手で頭を抱えながら、この難問をどうにか乗り切ろうと考えを巡らせる——そう、先週宿題当てられてたの出席番号で言うと私の前だ。ということは、夏場先生がこの授業で誰を当てるかは——容易に推測できるのだ。

「ねえねえ、高嶺ちゃん」

「……なに?」

「一生のお願い! 英語の宿題みせて」

「えー、あんた先週も同じこと言ってなかった?」

「お願い!私今日当てられちゃうの」

目を潤ませて高嶺ちゃんを見上げる。今日は何としても宿題を見せて貰わなければならない。先週当てられていたのは、私の前の出席番号の生徒だ。

「もー、次からは忘れないでよ」

 高嶺ちゃんは口をとがらせながら、しぶしぶノートを貸してくれた。相当無茶なお願いじゃなければ聞いてくれる。高嶺ちゃんの性格を、私は熟知しているのだ。

「ありがとー、すぐうつしちゃうから」


           *


 1時間目の授業時間となり、教室に入ってきた夏場先生が教壇に立った。今日も眩しいな夏場先生。

「えー、今日の宿題は英作文だったか」

 先生が教科書を開きながら先週の授業の確認をしていた。

「それでは今日の宿題は……ウカレか」

「はい!」

 迷いなく、そう答えた私には既に一抹の不安もなかった。心強い相棒が私の手にあるからだ。

「じゃあ読んでくれ」

 うん? 夏場先生が訳の分からない言葉を述べたため、目の前の夏場先生がセピア色のように色褪せて見えた。

「え、読んでくれ?」

「そうだ」

 そうだ? まずい、プリントを持つ手に汗が滲み始めた。

「読む?」

「タイトルからで良いぞ」

 先生の言葉通り、高嶺ちゃんから借りたプリントに目を配る、が当然意味は分からないし、内容も想像できない

 この難局をどう乗り切ればいいのか必死に考え、プリントと先生の頭を交互に眺める——そうだ、ローマ字で読もう。

「とうーみーいんざふちゅー」

「ん?」

 先生の目が丸くなったような気がしたが、私は努めて平常心を装った。平常心、平常心。

「マイパレット、あれー」

「ちょっとまて、それ自分で書いてきたんだよな?」

 先生の問いかけにどう答えていいかわからず、しばらく無言で先生を見つめる。額と思われるところに汗が滴っていた。ただ、それ以上に私も額に汗を流していた。

「えーと、その」

 沈黙に包まれた教室や、後ろをこっそりと心配そうに覗き見る高嶺ちゃん。プリントを借りた彼女にまで心配をかけてしまった事実。私は「心配しないで」と、表情で高嶺ちゃんに訴えた。

「あいどんとスピークイングリッシュ」

「ん?」

「あいどんとスピークイングリッシュ」

 この状況を乗り切る結論。私は英語が少ししか分からない女子高生となり、先生があきらめてくれるまで待つことにした。そんな私を夏場先生は暫く見つめた後、こんな言葉を掛けてきた。

「ウカレ、タイトルの下は読めるんじゃないか」

 突如私にアドバイスを投げかけた先生。一筋の光が先生から届いた。ぬかったな、夏場先生。

「イエスマイティーチャー!」

 言われた通りタイトルの下に目を配ると、確かに私にも読めそうな短い英単語のようなものが、そこにはあった。

「高嶺てんエッチ」

「ん?あれ?」

 自分が口走った言葉に違和感を感じ、前を見ると高嶺ちゃんと夏場先生が同じような表情をしていた——ぬかったわ。

「後で職員室に来なさい」

「イエスマイティーチャー」

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