第3話 魚屋の主人
胸を弾ませながら、通いなれた商店街に足を運ぶ私。
夕食の献立に悩んだ私は、食材たちからインスピレーションを受けられないかと期待して、いつもより少し早めに家を出た。
それでも、お日様も少しづつ沈みかけ、昼頃に比べれば肌に感じる風は幾分か涼しい。
「今日の夜ご飯何にしようかしら、迷うわ」
買い物バッグを腕にかけながら、夕食の献立を頭で思い描いていると、「あっ!」という間に目的の商店街まで着いていた。
*
いつもの八百屋さんお肉屋さんで、カボチャを何度もたたいたり、少しでも分厚いお肉がないかとショーケースにへばりついて眺めたりもした。
「うーん……、なんかぴんと来ないわ」
緑紫黄赤と様々な食材を品定めしたが、どうもしっくりこない。
「奥さん奥さん!」
「あら? 何?」
突然後ろから声を掛けられ思わず振り返ると、青いエプロンをつけ、頭に鉢巻きを巻く、若干日焼けしたの青年が立っていた。
「今日は活きが良い魚が入ってるよ!」
数秒程、顔見知りの男性かどうか、自分の記憶の海を泳いでいたのだが、彼の言葉からこの商店街の魚屋さんだと気付いた。
開店したばかりなのか、真新しい暖簾が店先でたなびいている。
「そうね……、たしかに美味しそう。今日は魚にでもしようかしら?」
男性の威勢の良さと、新しいお店に興味を惹かれた。ちょっと話に乗ってみようかしら。
「特に今日のおすすめはマグロだよ!」
「あらどうして?」
「油がのってて身がぎゅっと詰まってるんだ、刺身にしても煮物にしても格別に美味しいよ」
「うーん」
魚屋さんのご主人が言うように、並ぶ魚は艶やかで、睨めっこしてもまるで生きているかのように目が輝いている。
「お子さんも大満足間違いなしだよ」
「おいくらなの?」
子供も大満足、という言葉にぴーんと来た私。
確か魚を食べると賢い子に育つとかなんとか。娘の将来のためにも魚をたくさん食べさせなければ。
「これがなんと、たったの500万円!」
そう言ったご主人は、なぜだかこちらの様子を伺うように目を泳がせていた。
「またまた、そんなこと言っちゃって」
「分かったわ、マグロ一つもらおうかしら」
「い、いま持って来るから、ちょっと待ってな」
そう言い残すと、なぜだか顔を赤くした店員は、そそくさと店の奥へと帰っていった。
*
「……」
目の前に店の奥から戻ってきた店主がいる。なぜだか満足そうだ。
「はーはー、ふう、ふー」
肩を揺らしながら息を切らしていた。その理由は彼がハンドルを握る台車の上にあった。
マグロだ。本当にマグロだ。
でかい、え、なにこれどう考えても家庭で食べるサイズじゃない、
私より大きいし、競りに出されるサイズだよ、え? なに、どうゆうこと?
「どうだい、いろんな料理に合いそうだろう」
マグロが丸ごと一匹だもん! そりゃ何にでも合うよ。ん? タグがついてる! 0が6個並んでる! 本当に五百万円! え? 何? この人私が仕入れ業者だと思ってるの? どう見てもこの買い物バッグにはいらないよね。
私はまとまらない思考で、突然の状況を、頭の中で必死に整理してた。
「あの、お客さん、安心してください、うちはクール便にも対応してますから、送料もサービスするよ」
いや、そうゆう問題じゃないから、本体額大きすぎて送料は霞んでるから!
「……」
「……」
表情に私の気持ちが表れてしまったのか、店主の表情が若干曇っていた。
「ま、また今度にするわね」
当然この巨大なマグロを背負って帰るわけはなく、間に流れる気まずい雰囲気をチャンスと見て踵を返した。
「奥さん、すいません!」
私が背中を向けた途端、魚屋の店主が慌てて声を掛けてきた。
あら? いまさら謝罪? でも、もう遅いわ。既に私の感情はマグロのようにぷりぷりしているのだから。
「……その、これ、なん百万って言うの、一度言ってみたかったんです」
「……」
彼の言い訳に心の底から安心を覚えた。変な人のマグロの押し売りではなかったから……でも、やっぱり変な人ではあるわね。
私は彼の方へと再度振り返った。どうしても伝えておかなければならない事がある。
「これだけは言っておくわね」
「冗談にしては長すぎよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます