祝賀祭餅子の日常
羽織 絹
第1話 洋食店からの挑戦状
「ようやく授業終わったよ」
鞄を小脇に抱えた私、祝賀祭餅子は、友達の誘いも一言で断り、聞きなれた学校のチャイムとともに下駄箱まで駆け出していた。
胸を躍らせそそくさと帰宅した理由、それは私の手の中にある一枚のチラシに書かれていた。。
「今朝チラシに入ってたこれ、絶対挑戦したかったの」
早朝、学校に向かう前。
新聞に挟まれたスーパーのチラシを確認することを日課としいた私は、普段見るチラシとは紙色が違う一枚を発見した。
送り主はこの地域に昔からある洋食店で、今年開店より三十周年を迎えたらしく、栄えある記念日にイベントを行うらしい。
「……なんて太っ腹」
私はイベント内容に思わず心の声が漏れてしまい、よだれが滴る程口を開き、暫く目を奪われていた。
*
「あった、ここ!」
ようやく目的の場所に到着、洋食屋「お茶ノ子さいさい」と書かれた看板が掲げられている。
「期待が膨らんじゃう」
うきうきした気持ちのまま入口の扉に手を掛け、扉備え付けの鐘を鳴らしながら早々と店内に入っていった。
「頼もーう」
「いらっしゃいませ!」
私の声と威勢の良い男性の声が聞こえ、声の元へ目を向けると厨房の奥にてフライパンを振るう男性の姿が見えた。
軽く会釈をした後店内を見渡すと、ディナーにはまだ早い時間だがまばらにお客さんの姿は見え、私は開いた窓際隅のテーブルまで足を運んだ。
*
席に着きメニュ表に釘付けになっていると、先程声を掛けてきた男性が私のいるテーブルまで歩いてきた。
「ご注文は何に致しますか? おすすめは今日……」
「これです!」
落ち着いた雰囲気で声を掛けてきた、店主であろう男性の話を遮り、手に持っていたチラシを店主の顔面五センチほど前に突き出した。
「……お嬢さん、本当に挑戦するのかい?」
「……?」
心配そうな表情を浮かべる店主の意図が分からず、わたしは目を丸くする。
「今まで何回か、この大食いチャレンジを開催して来たけど、いまだかつて成功者がいないんだよ」
店主が心配する理由はわかったが、そんな理由はなんのその。私は今日の授業を半分上の空で聞くほど楽しみにしていたのだ。改めてチラシを見るとチャレンジ成功者無料との文字が大きく書かれている。
「やります!」
「失敗した場合は一万円だけど本当に大丈夫?」
そういわれた私は思い出したように財布を取り出して中身を確認した。
「大丈夫です! 働いて返します!」
がま口財布の中に入った一枚の五百円玉を、店主に自信満々に見せてみた。
「…………わかったよ、じゃあ料理ができ次第スタートだ」
何やら納得した表情を浮かべた店主はそう述べると不敵な笑みを浮かべて厨房に戻っていった。
*
厨房に戻ってから三十分程たつと、料理をのせたワゴンとともに店主が戻ってきた。
店主は自信満々に、私の前まで料理を運んできた。
「嘘でしょ……こんな、こんなに」
目の前に出されたステーキは鉄板の大きさは予想外だった。十センチほどの厚みで一メートルの大きさのそれは、その大きさも相まって鉄板の余熱で大きな音を立てていた。
「ふふ、制限時間五十分だ、よーいスタート!」
「……あの」
「どうした、怖気ついたのかい?」
彼はストップウォッチを手にしたまま「もう遅いぞ」と顔に浮かべているが、そうじゃない。肝心のものがまだ出てきていないじゃないですか。
「サラダ下さい」
「え」
「このサラダ盛り合わせ下さい」
「ど、どうゆこと……もうチャレンジは始まってるんだけど、本当に頼むのかい?」
今度は「この娘は何を言っているんだ?」と表情に浮かべ、恐る恐る私に問い返してきた。
「はい」
「……分かった、持ってくるよ」
しばらく唖然としていた店主だったが、渋々厨房にまで戻って行った。
ただこればかりは譲れない。最初にサラダを食べないと太っちゃうからね。私は自分にも厳しいのだ。
*
「うまっ! うま!」
満足げに野菜を食べる私を店主は怪訝な表情で見ていた。
「紙エプロンまでして、えらい行儀良くたべてるよ」「しかもまだステーキ一口も食べてないし、冷やかしにきたのかな」そんな店主の内心が表情に現れているようだった。
「あと三十分だよ!」
サラダを食べ終わったところで、「勝った!」と言わんばかりの口調で店主が残り時間を店内に響かせた。
「それじゃあメインディッシュをそろそろいただきますか」
ただ、店主の宣言は私にとって些細なことだった。だってまだこんなにお肉が食べられるのだから。
*
「美味しかった、満足満足」
私がナイフとフォークをお皿の両端に戻すと、いつのまにやらテーブル周りに店内のお客さんが集まっていた
「とんでもない娘がいるぞ」「まるで人間掃除機だ!」「……瞬きもできなかったわ」
集まったお客さんは口々に感嘆の声を漏らしていた。若干気になる言葉を口走る人もいたが、腹八分目の満足感から自然と怒りは湧いてこなかった。
「そんなバカな……」
そんな中、料理の提供者でもある店主が驚愕の表情を浮かべて足を震わせていた。
私の前に出されたステーキは既に跡形も残っていない。机に置かれたストップウォッチには、まだ十分程の時間が残されていた。
そんな店主を尻目に紙ナプキンで口元を拭うと、テーブルに置かれていたメニュー表を再度手に取った
「この季節のデザート下さい」
私も言葉とともに、何故だか膝から崩れ落ちた店主が頭を垂れていた。
「もう全部タダで良いよ」
そう言う店主の背中は寂し気で、私は彼の近くまで歩み寄り一緒にしゃがみこんだ。
「デザート代は払います」
私はがま口財布から五百円玉を取り出すと店主の手のひらに乗せた。
*
そのあとは、店主から色紙を差し出されサインを求められたので、ひらがなで「もちこ」と書いて渡した。
カウンター越しの店主へ手を振り返し、店内のお客さんから餅子コールを背中に浴び、勝利の鐘を鳴らしながら、私はこの素晴らしき洋食店を後にしたのだ。
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