11-4

「乃子ちゃん、やっぱり店名変えるの?」

「はい」

 乃子は、ケーキ屋の看板を下ろしながら答えた。

「名残惜しいなあ」

「でも、私が責任を持つ店なので」

「鳴坂君元気にしてるかなあ」

 佐那は、東の空を見た。乃子は、西の空を見る。

「頑丈ですからね。今はフィリピンあたりかな?」

「お似合いだと思ったんだけどねえ」

「やっぱり私は、どこまでもインドア派でした」

 そこに、一台の白い車がやってきた。駐車場に止まると、若い男女が下りてくる。

「こんにちは」

 蓮真が右手を上げる。

「本当にケーキ屋始めるんだ」

 アズサはいつもより目を大きくした。

「いやあ、なんやかんやで」

「将棋講師も誘われていたみたいだけど」

「それはなんか苦手だと思ったから」

「ふうん」

 店の扉を開けて、乃子は中をぐるっと見回す。内装は前の店そのままで、何かを変えるのはめんどくさいと乃子は考えていた。

「試作品あるから食べて行って。あと、重たいもの運んでくれると嬉しいなあ」

「そっちが本命だろ」

「立川さんがこんな人とは思わなかったなあ」

 乃子は、穏やかな表情の蓮真とアズサを見て、少しだけ苦笑した。きっと、同じクラスにいても友達にならないタイプだ。将棋をしていたからこそ、勝負の世界で真剣に向き合ったからこそ関われる人たちだ。

 そんな人たちに、ケーキを食べてもらう。

「じゃあ、私は戻るから。帰るときに鍵はかけておいてね」

「はい」

 佐那を見送って、店の中には三人だけがいる。実は少し、居心地が悪い。だが乃子は、嬉しくもあったのだ。

 裏切りも何もなく、普通に人間関係が変わっていって、そして今、一緒にいてくれる人たちがいる。

 ここでは絶対将棋を指さないぞ、と乃子は心の中で誓った。



 美利は、一枚の写真を見ていた。

 そこには、一人の青年が映っている。奨励会二段だったその人は、将彰の父親である。

 二人で撮った写真はない。どこかに遊びに行っただとか、そういう思い出がない。気が付けば子供ができていて、気が付けば音信不通になっていた。

 今何をしているだろう、ということは思わなくなっていった。どんなにひどい男だったとしても、会えば許してしまいそうなのが怖かった。だから、会いたいと思わないようにしたのである。

「ついに、大学生か」

 美利は、写真を机の引き出しの中にしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る