失恋アップルパイ

華川とうふ

失恋とお菓子作りが趣味

 神崎めぐるの趣味はお菓子作りと失恋である。

 平均すると月に一回、彼は失恋をして、失恋するとケーキを焼く。

 それに付き合わされるのは神崎とは腐れ縁、ラブコメだったら幼馴染と表現される高梨小鳥だった。

 神崎めぐるの失恋はプロの域である。

 彼曰く、お菓子作りと失恋ほどはまるものはないらしい。

 下手なアイドルより沼は深いということだ。

 これだけ失恋すれば普通あきらめるだろうと思っていても、彼はまったく動じることなく毎月告白をする。

 そして、失恋のたびに大量の菓子を焼くものだから彼のお菓子作りの腕もプロの域である。


「なあ~、小鳥。俺、何がいけないんだろうな」

「それを私に聞いちゃう?」


 神崎に問われた小鳥は一瞬ためらったあと、あきれた顔をして返事をする。

 このやり取りはもう何度も繰り返されている。

 毎月、毎月、よくも飽きないものだなと小鳥はあきれていた。

 だけれど、この場にいるのはおそらく彼の作る菓子が好きだからだ。

 初めて彼が失恋したときに作った、菓子はひどかった。


「失恋には林檎がきくらしいよ」


 少女向けの雑誌か何かに書いてあった情報を「失恋だ」と騒いでいる神崎に伝えたところ、彼はその日のうちにアップルパイを焼いた。

 冷凍のパイシートで作るアップルパイなんてそんなに難しいはずがないのに、彼がはじめて作ったアップルパイは林檎は生煮えでパイ生地はべちゃべちゃ。パイとは呼べないひどいものだった。

 だけれど、小鳥はそのパイを神崎と一緒に食べたのだ。

 熱くて甘いアップルティーとともに。


 それ以来、彼が失恋するたびに、小鳥は夜、神崎家の台所で彼の作った菓子を食べることになった。

 前の晩から仕込んであったであろう、パイ生地はもう市販のものではない。

 小さな角切りにしたバターを練りこんで何層にも折りたたまれたそれは神崎の手作りだった。

 小鳥は神崎の手を見つめる。

 あの頃と違って大きな手。

 だけれど、パイ生地を作れるということはきっと同年代の男の子の熱い手と違って、彼の手はきっとパイ生地をだらけさせない心地のよい冷たさを保っているのだろう。


 林檎も前日から干しブドウとともにワインで煮込まれていて綺麗な紅色をしていた。


 甘い香りが漂うキッチンが小鳥は好きだった。

 腐れ縁――もとい、幼馴染の特権だとずっと思っていた。

 小鳥がこの場所で神崎とお菓子を独り占めできるのは、彼の幼馴染だから。

 小鳥は自信にそう言い聞かせていた。


 神崎は慣れた手つきで、パイ生地の上に煮込んだ林檎を並べ包んでいく。

 焼き上げたとき美しい模様になるように包丁で切れ目をいれて、艶出しの卵黄を塗る。


 その手つきはとてもやさしく、小鳥は思わずのどを鳴らした。

 まるで恋人を触るみたいな手つきだと思ってしまったからだ。


「ねえ、今日は何回目の告白だったの?」

「四十九回目」


 小鳥の質問に、神崎は間髪入れずに答えた。


「ちゃんと数えてたんだ……」

「ああ、どれも本気だったから」


 その言葉に小鳥は赤面した。

 そして、そっと切り出す。


「あのさ……、もしかしたら五十回目なら、いいかもよ?」


 神崎はその言葉を聞いて静かに息をのんだ。


「失恋は本当は趣味じゃないんだ」

「うん」

「だから、毎回失恋するのはつらい」


 小鳥はこくりと頷く。

 その様子をみて神崎は安心したように何度も繰り返してきた言葉を口にした。


「高梨小鳥さん、俺と付き合ってください」


 小鳥はそっと、神崎を抱きしめてこう言った。


「次からは、私がアップルパイを焼くね」


 甘く香ばしい香りが恋の始まりを告げていた。

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失恋アップルパイ 華川とうふ @hayakawa5

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