奇妙に絡みあう呪いに彩られた三つの掌編

からした火南/たかなん

最初の話:言葉なく抱き合ったあの五分間を、ボクは決して忘れない

 温かな指先が頬にふれる。コタツの中で上気したボクよりも、さらに熱をおびた指先……緊張の程は彼女の方が上だと知る。

「内緒だよ……」

 照れくさそうに目を伏せ、薄闇の中でノブちゃんが笑う。

 ベッドからは、マリコの規則正しい寝息が聞こえてくる。罪悪感に胸が痛んだ。

「大丈夫。一度寝ちゃうと、お姉ちゃん起きないから」

 耳元でノブちゃんがささやく。マリコは起きないにしても、同じコタツで眠っているマサが目を覚まさないか気が気ではない。

 いまだ生々しく残っている柔らかな唇の感触、切ない息づかい、そして高鳴る胸の鼓動。ぎこちなく重ねられた唇は、かすかに震えていた。

「お姉ちゃんには、絶対に内緒。約束だからね」

 コタツの中で、彼女の指先がボクの右手を探り当てる。小指をつなぎ合わせたあと、二人から隠れるようにしてもう一度ボクに口づけをした。

 彼女の胸は張り裂けそうなほど強く脈を打ち続け、ボクの胸だってマリコやマサに聞こえてしまうんじゃないかと心配になってしまうほど高鳴り続けている。


 学校の帰り道、四人でクリスマスを祝おうと言い出したのはマリコだった。

 半年前、高二の夏に付き合い始めたマリコ。初めてのクリスマスだし二人きりで過ごしたいけど、はしゃぐ彼女を見ているといつものメンツで過ごすのも悪くないと思い直した。

「妹も連れて行くから、マサくんも呼んであげたら?」

 マリコと妹のノブちゃんと、友達のマサ……妙な取り合わせではあるのだけれど、付き合い始めてから四人で遊ぶ機会は多い。

 べつにマサとノブちゃんをくっつけようとか、そんな意図では決してない。付き合う前からボクはマサとつるんでいたし、マリコとノブちゃんも仲の良い姉妹だ。付き合う以前の人間関係を大切にしている、それだけのことなのだ。

 選択の余地もなく、ボクの家がパーティー会場に選ばれた。両親がゆるくて自分の部屋がある我が家は、しばしば溜まり場として便利に使われる。マリコとノブちゃんの家はきっと、ボクの家よりも広くて居心地がいいのだろうけど、さすがに女の子の家に野郎二人が押しかけるのは気が引ける。マサの部屋は最初から選択肢に入っていない。雑然として足の踏み場もないあの部屋では、パーティーなんて望むべくもない。

 六畳部屋に机とベッド、そしてコタツとクローゼット。決して広いとはいえないけど、四人で騒ぐくらい問題ない……と思っていたのだけれど意外と狭っくるしい。だけど、誰も文句なんて言わない。この距離感が良いのだ。

 カセットコンロを持ち込んで鍋をつつき、腹がふくれるとゲームで遊び、睡魔に負けた奴から好きな場所で眠りに落ちる。零時を超えた頃「最初に寝た奴は罰ゲーム!」と言っていたマサが真っ先にコタツで眠ってしまうと、続いてマリコがベッドに陣取り眠ってしまった。

 残されたボクとノブちゃんはそのまま他愛もない話題に興じていたのだけれど、先に眠った二人を起こしては悪いとコタツにもぐって声を潜めているうちに、いつしかノブちゃんはボクの隣へと滑りこみ、甘えた声で腕枕をせがんで、気がつけば唇を重ねていた。


 ボクの腕に顔を埋めながら、ノブちゃんが深く息を吸い込む。

「ヤバイ。顔熱い……」

 ハタハタと手のひらで顔をあおぐ仕草を見て、ボクは不覚にも可愛いと思ってしまう。

「ワタシがこんなにドキドキしてんのに……余裕ぶってて、なんかずるい」

「余裕ぶってねぇし。驚いてるだけだし」

 まさか恋人の妹に唇をうばわれるだなんて、思ってもみなかった。

「初チューなんだからね。責任とってね」

 応えあぐねるボクを、腕の中のノブちゃんが見上げる。

「嘘よ、責任なんて。初チューってのは本当だけど……」

 口を尖らせ、言葉の後半は口ごもっていた。

「責任とってなんて嘘だから……」

 そう言いながら、ノブちゃんが目を伏せる。

「……もしかして好きなの? ボクのこと」

 間の抜けた訊き方だったと、言った瞬間に後悔した。

「好きって言うか……」

「って言うか……なに?」

「その、なんか……ごめん」

 そう言ってさらに深く目を伏せるノブちゃんを、ボクは思わず抱きしめていた。

 腕の中で身を固くするノブちゃんに、「なんで謝るんだよ」と訊きたかったのだけれど、なぜだか言葉にならなかった。ノブちゃんも黙り込んだままだ。言葉の代わりに細い腕に力がこもり、ボクにしがみつく。

 言葉なく抱き合っていたあの五分間……時が止まったかのように抱き合ったあの五分間のことを、ボクはこれからも忘れないだろう。


 クリスマス以降、マリコと過ごす時間が急に色あせてしまった。

 マリコからノブちゃんに乗り換えたいとか、ノブちゃんんのことが忘れられないとか、そんな訳ではない。でもあの夜のできごとは小さな棘となって、ボクの心に刺さり続けている。

「心ここにあらず……って感じね」

 ボクの部屋で過ごす週末、マリコはそう言って寂しそうに笑った。結局ボクたち二人は、春を待たずして別れることになった。

 別れてすぐにノブちゃんと付き合い始めた……などということはない。別れたらすぐに次の人、しかも相手は元恋人の妹だなんて、そんな節操のないことはできない。それができるほど図太い神経を持ち合わせていれば、人生をもっと楽に生きられるんじゃないかと思う。

 別れてからは、ノブちゃんとも疎遠になった。そしてマサとも疎遠になってしまった。マリコとは、学校ですれ違えば挨拶くらいは交わす……そんな関係に戻った。互いに積極的に関わろうとはしなかったけれど、避けている訳でもなかった。彼女に恋人ができたという噂も伝え聞いたけど、真偽なんてどうでも良いと思うくらいにマリコに対する興味を失っていた。


     ◇


 一年が過ぎ、高校を卒業した。

 大学生になった今でも、特定の女性と付き合う機会は訪れていない。コンパで二歳上の先輩にお持ち帰りされたりもしたけど、付き合うには至らなかった。決してモテない訳ではない。だけどいざ付き合う段になると、どうしても腰が引けてしまう。

 さらに一年が過ぎた二回生の春に、ノブちゃんと再会した。

 我が校の新入生の中に彼女は居た。十代の女の子なんて二年も会わなければ別人だ。以前よりも大人びた雰囲気の彼女に、どう接して良いかわからず困惑してしまう。

「逃げたでしょ。ワタシから」

 ゼミ室の前で待ち伏せしていた彼女が、いたずらっぽい笑顔をむける。

「そういうつもりじゃ、なかったんだけどね……」

 思わず目が宙を泳ぐ。

「お姉ちゃんと別れたから、ワタシを迎えにきてくれるんだと思ってたのにな……」

 そんなことを言われても、そこまで無節操にはなりきれないボクがいた訳で……などと応えあぐねているとペースはどんどん彼女のものになってしまい、気がつけば夕食をともにし、気がつけば独り暮らしを始めたボクのアパートに転がり込んで、二人でシングルベッドに寝転がっていた。

「独り暮らしなのに、綺麗にしてるじゃん」

「実家の部屋も綺麗にしてただろ?」

「あぁ、初チュー奪われた部屋?」

「奪ってねぇし。奪われたし。俺の純潔が汚されたわ」

 彼女は急に身を起こし、真剣な面持ちでボクを見つめる。

「……迷惑だった?」

 もちろん、迷惑なんかじゃなかった。けれども、あの夜からボクの中で、何かが変わってしまったことだけは確かだ。首を横に振るボクを見て、ノブちゃんは安堵の表情をこぼす。

 なんだか気まずい雰囲気になってしまい、なんとか場を和ませようと話を変える。

「そ、それより良いのかよ。独り暮らしの男の部屋に上がりこんだりして……」

「もしかしてワタシ、貞操の危機!?」

「いや、襲ったりはしないけど……」

「いいよ、べつに」

「え?」

 間の抜けた声で訊き返したボクを、ノブちゃんは不思議そうな表情で見つめていた。

「だから、襲ってくれてもいいよ。男の人の部屋に来てるんだし、それくらいの覚悟はあるけど?」

「無理すんじゃねぇよ。経験もないくせに」

「え? 処女じゃないし。ワタシ」

「え? だってあの時、初チューだって……」

 間抜け面のボクを見て、ノブちゃんがため息をつく。

「いつの話をしてるかな。二年も経てば、ワタシにだっていろいろあるって」

「へ、へぇ。そうなんだ……」

 動揺を隠そうとしたのだけれど、情けないことに声が震えてた。そして意外なことに、胸の奥で嫉妬が湧き上がっていた。

「初めての相手って、どんな奴?」

 できる限りの平静を装って訪ねたつもりだった。けれども女の勘ってやつは、こういう時に発揮されるものらしい。彼女の口元が、ニヤリとゆがむ。

 卒業前に仲良くなった同級生の男の子がいて、卒業したら会えなくなるから記念に……という訳で事に及んだらしい。相手の部屋の、コタツの中で。

「おまえ、コタツ好きだな……」

 今度はボクがため息をつく番だ。二年前のクリスマス、唇を奪われた場所もコタツの中だった。

 恥ずかしげに、ノブちゃんが視線をそらす。

「だってコタツってなんか……ほら、エッチじゃない? 暖かくて気分も上がるし、足とか不意に触れ合ったりしてドキッとするし、なんか秘め事に最適って言うか……」

「ごめん。よくわかんない」

「なんでよ。もっと風情ってものを理解しようよ……」

 風情。コタツでの秘め事が風情……。風情ってどういう意味だったかと思い出していると、真剣な声色でノブちゃんがつぶやく。

「がっかりした? 処女じゃなくて」

 そう言って、神妙な面持ちで見つめる。

 問われて答に困った。正直に言えば、落胆の気持ちはある。しかしボクの中では、さほど重要なことではないように感じられていた。

「そうでも……ないかな」

「本当?」

「ホント、ホント……」

 ノブちゃんの表情が晴れる。そしてやわらいだ笑顔が、ボクの胸を撃ち抜く。気がつけばボクの左腕がノブちゃんの肩を抱き、右の指先が頬に触れていた。指先が口元へと滑るうちに、彼女がそっと目を閉じる。

 唇を重ねようとした瞬間、目尻から涙がこぼれ落ちて指先を濡らした。

「ど、どうしたの??」

 突然の涙にうろたえてしまう。

「……相変わらず、優しいんだね」

 涙声でつぶやくと、ベッドへ突っ伏して嗚咽をもらす。

「何やってるんだろう、ワタシ。お姉ちゃんの彼氏にキスしたり、迎えになんて来てくれるはずもないのに、ずっと待ち続けたり……。そのくせ、好きでもない奴とヤッちゃったり……。ダメだな……ワタシ。大体お姉ちゃんが、マサくんと浮気なんてしなきゃ……」

 どう慰めようかと思案していると、聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできた。

「浮気? マリコが!?」

 高校二年の夏、ボクとマリコが付き合い始めて、そして四人でつるむようになって程なくして、マリコとマサは隠れて付き合っていたらしい。まるで知らなかった……疑おうとすらしなかった。恋人だと思っていた女性と、親友だと思っていた男が、ずっとボクを騙していただなんて……。

「ごめん。知ってるものだと思ってた。てか、それが原因で別れたんだと思ってた……」

「謝らないで。ノブちゃん、何も悪くないから……」

 と言ってはみたものの、ボクの胸の中では、怒りとも失望ともつかぬ感情が渦巻き続けていた。


     ◇


 ノブちゃんがこの部屋に来た日から、一週間が過ぎた。

 結局、二年ぶりに唇を重ねることも叶わず、ましてや一緒に夜明けを迎えるようなこともなく、なんだか気まずい雰囲気のままノブちゃんは終電前にボクの部屋を後にした。

 最もちかしいと信じていた二人に裏切られていたと知り、さすがにショックは大きい。けれども所詮、二年前の話だ。いまさら、どうこうしたいとは思わない。思わないけれども……やはり釈然としないものが胸に残る。

 翌日になってスマートフォンに、ノブちゃんから長文のメッセージが届いた。二年前、同情心からボクに近づいたことを詫びていた。同情から始まりいつの間にか好きになってしまったこと、疎遠になりさらに思いが強くなったこと、なんとか忘れようとしていたこと……気持ちの移ろいが綴られていた。そしてメッセージの最後には、こう綴られていた。

『変わらない優しさに、もういちど好きになりました』

 これまでの人生の中で……なんて言ったところで、ほんの二十年ほどしか生きちゃいないけど、それでもその短い経験の中でも、『優しい』って言葉が決して褒め言葉ではないことを知っている。そして優しさが、ときに他人を傷つけることだって知っている。

 かつて付き合った女性たちは皆、口々にボクのことを『優しい』と言った。マリコも二年前、例に漏れずにそう言った。彼女たちの言う『優しい』は、この場合『退屈』と同義だ。似たような言葉に『いい人』ってのもあり、『便利』と近い意味を持つらしい。優しくていい人と呼ばれたボクは、彼女たちにとって退屈だけど便利な奴だったのかもしれないし、冷たくて悪い人に良いところを持っていかれる運命なのかもしれない。

 それでもボクは、優しく在りたいと思っている。そういう生き方しか知らないし、そう在ることがきっとボクらしいのだと思うから……。

 再会したノブちゃんもまた、ボクのことを『優しい』と言った。ノブちゃんの言う『優しい』と、マリコの言う『優しい』は違うもののように聞こえる。世の中には、優しさを必要としているくせに、無意識に優しさを遠ざけてしまう人たちが居る。自分を傷つけるものばかりを選び取ってしまい、傷つく場所にばかり自分を追い込んでしまう人たちが。

 きっとノブちゃんも、その中の一人だ。そしてそんな不器用な人に限って、とても優しかったりするのだ。

 ノブちゃんからはすでに、たくさんの優しさをもらってしまった。同情だって、優しさの一つだ。二年前の優しさは小さな棘となって胸に刺さり、時を経て無くてはならないものになっていた。再会して、ようやくそれが解った。

 花冷えとなった今夜、寒空のもとノブちゃんは背中を丸めてボクの部屋へとやって来た。一度は仕舞い込んだコタツを引っ張り出し、暖かい部屋で彼女を迎えた。いまボクの背後には、肩までコタツに潜り込んで幸せそうな笑みをこぼすノブちゃんの姿が在る。

 ワンルームの狭いキッチンに向かって、おぼつかない手付きで包丁を振るう。せっかくコタツを出したんだから、今夜は鍋にしようと思う。コタツに入って二人で鍋をつつけば、身も心も温まるだろう。そう思うと、なれない料理も楽しく感じられた。

 二年前のクリスマス、身を固くして抱き合った五分間を今でも忘れていない。今夜もう一度ノブちゃんと抱き合うことができたならば、あの五分間からやり直したいと思う。そして優しくて不器用な彼女に、「好きだ」と伝えるつもりだ。


(了)

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