直家と忠家は決して兄弟仲が悪いわけではない。忠家は直家を恐れている。いつも相対する時、服の下に鎖帷子を仕込んでおくほどにだ。

譜代の家臣には優しい直家だが、敵に対する厳しさが家臣達にも恐怖となって返ってきている。さらに忠家の恐怖は親族達にも及び、誰もが明日は我が身かと背筋を凍らせる。

恐れを反逆心へと変えることが出来ないのは直家を裏切った者の末路をよく知っているからだ。戦場で死ぬならまだしも暗殺されるほど武人にとって不覚なことはない。

 だから直家の家臣を自分に対する刺客と誤解して、殺めたこともある。

 その時、直家は目が笑っていない笑みで許してくれたが、明らかに怒りを押さえていた。

 岡山城では直家の弟である忠家と春家、そして直家の側室であるお鮮が薄暗い部屋で話し合いをしていた。

「しかし、此度の浦上の若様を葬ったのは失敗ではないか?」

 定期的に行っているが、いつも話の主導権を握っているのは春家である。春家は首を捻りながら忠家とお鮮に同意を求めてくるが、二人は何も言わずに春家の言葉を待つ。

「今少し生かしておけば宇喜多が下手人だという疑いは今ほど強うならず、病死と謳っても諸勢力も納得しただろうに……」

 春家は直家の謀略に否定的で武人らしく正々堂々と戦い、勢力を広げるべきだと思っている。勝ち気な性格で何度か直家にも直談判をしてきたが、その度に一蹴されている。その為、直家を除いた宇喜多の者達の会談では春家の愚痴を忠家とお鮮は毎回聞かされている。

「されど、殿のこと。何かお考えがあるのでは?」

「義姉上、私もその台詞は聞き飽き申した。いい加減に長兄の肩を持たず、自らの意見をお聞かせ下さい」

「私の意見でございます」

「……何故に長兄の非道を見て見ぬふりをしているのか分かりませぬ」

 相当今回は鬱憤がたまっている。忠家は小さく溜め息を吐いた。忠家自身、直家の謀略に反対しているわけではない。かつて直家や忠家の祖父も謀略によって葬られた。小名の宇喜多を守る為の謀略は仕方ない。

「次兄は如何思われる?」

 やはり来たと忠家はゆっくり顔を上げる。

「兄上の望みは備前の大名になること。それ故、浦上は邪魔な存在。いつまでも久松丸殿を保護していては浦上を慕う者が増えてしまうと危惧したのであろう」 

 忠家は春家を諭すように口調を穏やかにしたが、それが良くなかったようだ。春家の顔が少し赤みを帯びてきている。

「ならば、毒など盛らずとも……」

「与六(春家)、今の備前の情勢をお主も知っておろう?」

 春家は返す言葉がないと悔しげに奥歯を噛み締める。備前は宇喜多と浦上の対立だけでなく、両家を取り巻く者達の権力争いも相まって戦でも始まれば国中に戦の火種が燃え広がる状態にある。戦を仕掛けてたとえ勝利したとしても長らく備前を治めていた浦上になびく者が多いのは目に見えている。

「与六。今の宇喜多には力が要る。それ故、手に余る者は戦を避け、退けるのだ」

 戦になれば必ず金銭的出費と人の犠牲がある。浦上との戦を終えたばかりの宇喜多に

「されど、私は納得いきませぬ。世が下剋上の風潮であるにせよ、暗殺などという卑劣な行為は武人の恥にございます」

「力を得る為、力を減らしては意味が無い」

「ならば力を付けるべきでござろう!」

「如何にして?」

 一瞬、間があいた。春家は額に頭を当てて考える。それから口を開いたが、先程よりも語気が数段弱まった。

「む、無論。浦上に対抗するが為の大義名分を得て、戦に勝利致す」

「浦上程の力と大義名分以上のものを如何様にして得るのだ?」

 春家は忠家の指摘に返す言葉を失い、下唇を思い切り噛む。ここにはいない直家への不満と同調してくれない忠家とお鮮への不満が積み重なり、たまらず立ち上がって襖を力強く開け放って出て行った。

「生粋の武人よのう……」

「真に……」

 忠家は開き放しの襖の外を眺めて溜め息を吐き、お鮮も首を何度か横に振りながら険しい表情をしている。襖を閉めると二人だけになったせいか、部屋の雰囲気がかなり重くなった。

「七郎兵衛殿(忠家)、私も此度の殿の行いは尚早ではと思うておる。そなたより殿へ言上出来ぬか?」

 義姉からの願いである以上、すぐに承諾して直家の下に向かいたい。しかし、忠家の体は全く言うことを聞かず、向かうことに拒否反応を示している。忠家もそのことを自覚している為、本当は行きたくないと心から思っている。どうするべきか悩んでいると自分でも気づかない内に。あまりにも重苦しい雰囲気が汗となって表れ、床に落ちた滴がお鮮に見られた。

「七郎兵衛殿、貴方もやはり……」

 様子を見ていたお鮮が哀れむように忠家に声をかけてくる。お鮮に同情するような思いを忠家はかけられたくなかった。妻であるお鮮までもが直家に物を言えず、怖じ気付いている。今の宇喜多は直家の優秀さと冷酷さが故の恐怖で成り立っている。時勢が乱世では万が一ということも有り得る。また、直家の息子は一昨年生まれたばかりだ。何とかしなければならない思いが強い一方で、間近で見てきた忠家には恐怖感が強く根付いていた。

「義姉上。兄上は宇喜多を残す為、手に負えない家臣を徹底的に滅ぼしております。今の宇喜多に下剋上を成そうとする者はおりませぬ」

「ならば良いのでございますが……」

 忠家の励ましも顔を少し青くしているお鮮には届かない。お鮮は直家亡き後に恐怖から解放された家臣の中から良からぬことを考える者がいるのではないかという不安を感じているのだろう。

「ともかく、今は備前を宇喜多の手によって統一することに全力を注ぐのでございます。さすれば宇喜多に抗おうと思う輩も少なくなるかと」

「それまで待てと?」

 お鮮の表情が険しくなる。直家の恐怖に付いてくる者もいれば、逃げる者も当然いる。逃げた者は反抗する。彼らを討伐するには時間がかかる。齢四十を超えた直家の生きている間にはたして備前統一は叶うのか。

「兄上は愚かではござらぬ。それ故に、若君の養育には自らも加わるそうで」

「子供に毒のことをお教え致すのか?」

 お鮮の顔が徐々に青くなっていく。春家の前で見せていた気丈さはどこにも無い。忠家は実に哀れなものだと思いながらも直家へ抱いている感情が同じである為、強く否定したり、励ますことも出来ない。

「いえ、左様なことを致すとは……」

「ないと申せるか?」

 辛うじて搾り出した声も簡単に返されてしまう。直家が生まれた子供にどのような教育をするのか忠家も知らない。直家は本心を人に明らかにすることが少ない。まさか毒のことを教えようと実の息子であり、ようやく出来た世継ぎに何か盛るようなことはしないだろうと忠家は思いたかった。しかし、直家だからこそ断言出来ない側面もある。

「ない。ということにしているのでございます……」

 弱々しく本音を言うとお鮮は溜め息をこぼした。表情には悲壮感を漂わせ、指が手のひらに跡が出来そうな程、強く手を握っている。跡継ぎである直家の息子はお鮮が生んだ唯一の男子である為、息子にはかなりの愛情を注いでいる。

「七郎兵衛殿。殿が我が子を如何様に致すか、逐一見て頂きたく。私も微力ながらもやれることは致す故」

「御意」

 少し一人になりたいと残ったお鮮を置いて忠家は先に部屋から出た。そして、襖を閉めた途端に頭痛に襲われた。前々からあった症状だが、今回はかなり激しい。頭を抱えたくなる気持ちを抑えて忠家は急いで部屋へと戻ると自ら汲んできた水を一気に飲み干す。肩で息をしながら壁にもたれかかると徐々に収まってきた。

 以前から元凶を直家だと薄々感付いていた。兄弟でありながらもあれほど対面する際に恐怖と緊張を抱くことがあるだろうか。他家では互いに血を流すような争いをするようなこともあるが、忠家にはそのような度胸など無く、そもそも刃を交える気など毛頭無い。しかし、直家とそれ以外の宇喜多の者達がこのままであるならば憂うべきことだと忠家も思っている。

「早よう、我らが領地が平穏になれば……」

 家中のことだけでも平和的に解決させたい忠家に出来ることは何も起きないようにと祈ることだけである。いやに風を冷たく感じ、ようやく汗だくであることに気付いた忠家は手拭いを取り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る