中国人の花嫁

だっちゃん

1話目 女書の話

 数年前、大学時代に知り合った古い中国人の女友だちの結婚式に招かれ、中国・湖南省の深山にある小さい村落に数日ほど滞在していたことがある。

 中国で最も貧しい地域であり、外国人の訪問も滅多にないような場所だった。それだけに、私の拙い中国語にもかかわらず興味をもって珍しい客人として歓待された。

 そこに長老のような老婆がおり、日本には大男子主義(亭主関白、男尊女卑)があるけれど、中国にも「女書」というものがあったんだよ、という話をしてくれた。

 女書とは、中国の湖南省を中心とした僅かな地域において女性のみが使用することのできた文字のことである。母から娘、姉から妹へ、女同士で承継されてきた。

 その存在は少なく見積もっても数百年以前からあるとみられているものの、学問的には辛亥革命から数十年してやっとその存在が"発見"され、未だ研究対象として若い分野であるらしい。今では使用可能な者はほとんどおらず、老婆は教養として少し書くことができるのだという。目前でペンを走らせ何やら書いてくれたけれど、私には文字として認識することはできなかった。

 かつて中国では、同姓同士の結婚は忌避されていた。中国人の姓は、基本的に土地と紐づいている。例えば私が訪問していた龍漂鎮という村の元来の住民の姓は「呉」であり、村内には呉姓を祀る霊廟も存在する。

 つまり同姓同士と結婚しないということは、別の村へ嫁ぐということである。

 中国はその広大な土地ゆえに、村と村の距離が基本的に遠い。今でこそ車で数時間の距離でも、舗装されない道を歩いていた時代には数日がかりだ。

 すると村民の人生は必然的に村の中で完結するのが基本となる。それが何世代も経ると、いわゆる「血が濃くなる」という現象が起こり、障碍児や虚弱児が生まれやすくなる。

 そこで「同姓同士で結婚しない」(女は別の村の男の家に嫁ぐ)という知恵が生まれた。血の近親相姦を避け、次世代を守る為の仕組みだ。

 しかし他所の村へ嫁いだ女の運命は、決して明るいものではない。

 女は子供を産む為の道具であり、安くコキ使うことのできる労働力だった。親しい誰かに助けを求めることも、村外へ逃げることも基本的にはできない。纏足が推奨されていた時代でもある。

 抵抗できない者に対して、とことん残酷になることができるのが人間である。粗末な食事と苛酷な労働、そして日常的な心身への虐待はザラだった。それでも耐えなければ生きられない。

 そして女達の絶望が、女書を生んだ。

 言葉は感情を解体する。特に、悲しみや怒りといった負のものにおいて。

 紙という外部媒体に今日あった辛いことを書き出し一旦頭の中を空にすることで、心の痛みを反芻せずに済む。

 女同士で書簡を交わし、庇い合い励まし合い、そして共感することでささやかな発散と抵抗を試みた日々があった。女書で気持ちを吐き出す時間だけが、希望のように女たちの心を満たしていた。

 それは今こうして文章を書く私と何ら変わらない。言葉は心を持った人間の希望の光だ。それでも女書は、女達にとって「思い出したくない悲しい歴史」を物語る。

 村の伝統的な結婚式は、花嫁の実家に数日のあいだ泊まり込み、血縁者だけでなく親しい友人たちとも広義の一族としての絆を確認し合ってから、花嫁を花婿の家に送り出す。母は、花嫁として嫁ぐ娘の行く末を知っている。だからこんなにも濃厚に絆を確認し合っていたのだ、と合点した。

「女書はもう要らないんだよ。良い時代になったものだね。あの大男子主義の日本人の男が、はるばるこんな山奥にあの娘の祝福にやってくるなんて。あの娘の子どもの未来は、きっと、もっともっと良くなっていくんだね。」

感慨深く語る老婆に私は、「きっと、そうですね。」と応えた。

 近所の子供と遊ぶ赤い伝統衣装を来た妊婦の花嫁が、笑顔で私を手招きしていた。


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