第3話



 家が隣のはずなのに、どの時間に出ても顔を合わすことができない。相変わらず夢も食べれていない。



「いつき、これはおかしいと思わないか?」


 問われたいつきは、冷め切った視線を零斗に送る。


 今日が2人だけの撮影という現実から逃げ出したくなって、零斗を無視することにした。



「よほど不規則な仕事をしているのか...それはそれで心配なんだ。どうすればいいと思う?」


 何も言わずにいると、痺れを切らした零斗に揺さぶられる。いつきは自分の血管がキレる音がした。


「知らねーよ!好きにすりゃいいだろ!!あんたが嫌われようが、僕には関係ないしね!!ストーカー極めてろクズが!!」


 零斗は頭上から石を落とされたような衝撃を受ける。


「嫌われる!?ストーカーなんて、俺、そんなことしたか!?」


 自覚がなかったことに、いつきは全力で引いた。それはもう、物理的にもかなり距離を取るほどに。

 そのままスマホを取り出し電話をかけ、すぐに出てくれた遥希が天使に思えた。奥で巳也のキレる声が聞こえたような気もしたが。





 撮影後、迎えに来た遥希に、いつきが抱きついた。ごく自然に頭を撫でてもらっている。


「あの無自覚ストーカー怖い。僕には処理しきれないムリ」



「零くん、何したの?」


 呆れたような遥希の声に、零斗は何がいけないのかわからず、狼狽えている。



「満月ちゃんの隣へ引っ越したけど、会えなくてっていう相談を、いつきにしたんですけど」


「引っ越した?わざわざ、隣に...」


 一瞬、遥希の纏うオーラが冷え込むが、すぐに柔らかな笑みに変わった。零斗は本能的に危機を感じて固まっている。


「それはストーカーって言える行為だよ?向こうは、零くんの存在は認知していないだろうし。もし知られたら、嫌われるんじゃないかな」


「いやです!嫌われるのは...っ」


 予想以上の零斗の必死さに、遥希は瞠目して、ため息をついた。


「零くんも本気なら、人間に合わせて、ちゃんと手順を踏んで、彼女との関係を作らないとダメだよ」


 遥希は言い聞かせるように、殊更ゆっくりと伝える。頷く零斗からの真っ直ぐな視線は真剣だが、きちんと理解できているのか、不安になる。

 「絶対わかってない」と、ぼやくいつきの声は、彼には届いていないだろう。




***




 ドラマもクランクアップし、久しぶりのオフを使って、零斗は玄関で廊下の音に耳を澄ませていた。

 時計は深夜0時を過ぎようとしている。


(11時くらいになってもいつも寝てないし...俺が帰る時間にも会えなかったしな。帰ってくるのはこれくらいの時間だと思うんだけど)



 満月の夢にたまに出てきた、好きであろうお菓子の箱を撫でる。喜んでくれるだろうかと、頬を緩ませていると、小さくガチャっと聞こえた。勢いよく扉を開いた。


 目を大きく開いてこちらを見る満月は、最後に見た時よりも痩せていて、隈まで作っている。


「え、そ、どっ」


 心配が先走りそうになって、問い詰めかけたが、遥希の言いつけが頭をよぎった。


(手順...っ。怖がらせない。わざわざ引っ越してきたことがバレたら嫌われる)


 コンマ1秒で、アイドルスマイルを作る。


「こんばんは。隣に引っ越してきた咲岡です。挨拶が遅れてしまって、すみません」


 より、彼女の瞳が大きくなる。

 美味しそうな香りがふわりと漂ってきて、顔の筋肉が攣りそうだった。



「れ、零斗く、...!?、!?」


 驚愕を超えて、混乱しているようだ。

 零斗は安心させるように、柔和さを演じる。


「俺を知ってくれてるなんて、嬉しいな。...よかったら、これ。挨拶がわりに」


「え、あ、アリガトウゴザイマス...。アレ、コレは、夢?疲れすぎて幻覚が」


 菓子箱を受け取る満月の手に、さりげなく触れる。流れ込む精気の美味しさに、力が入りそうになるが、先に彼女の肩が大きく跳ねた。

 それに気づかないふりをして、握手の形に持っていく。


「夢でも幻覚でもないですよ。...俺も人なので、そう言われると傷ついちゃうな」


「ぴゃ」


 零斗が眉尻を下げ悲し気に俯くと、満月は変な鳴き声をあげる。気にせず、再び微笑みを向ける。


「これからよろしくお願いしますね、お隣さん」





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