第27話 内通者

 エイスケとアレクサンドラがシャークから情報を聞き出して闘技場に戻ってきた時、ちょうどハルがアンブローズに吹き飛ばされたのを目撃した。

 闘技場に乱入すると、エイスケはハルを守るようにアンブローズの前に立ちふさがる。いつかの墓地で出会ったことのある男、ディルクからの情報提供にあった写真の男。


「あんたがアンブローズだな。ハルを返して貰うぞ」

「どうぞ。もう興味無いわよ」


 背後でアレクサンドラがハルを抱えたのを確認しながら、エイスケはアンブローズを警戒する。


「それじゃあ、あたしはこの辺で失礼しようかしら」

「まあ待てよ。ハルがやられてるのにさようならって訳にはいかないんでね」


 つい呼び止めてしまった。ハルにあれほど戦うなと言っていたのに、ハルがやられているのを見た瞬間、頭に血が上ってしまったのを自覚する。相棒がやられてこのままというのは、エイスケの気が済まない。ハルから悪い影響を受けているのかもしれない。


「あら、意外と熱い男なのね。でも時間稼ぎは終わったから、もう目的は済んだのよね」


 時間稼ぎ? 何の時間稼ぎだ?


「そうだわ。せっかくだし、エイスケちゃんには面白いもの見せてあげる」


 アンブローズは自らの首筋に注射器を打ち立てた。追想レミニセンス! ハルを守るためにアンブローズから距離を取っていたエイスケには、それを止めることが出来ない。


「あたしは『暴力』の悪役ヴィラン。あたしの悪望能力はね、近くにいる人間を少しの間だけ『暴力』の虜に出来るの。本来なら一人を操るのが精々の能力だけど、このドラッグあれば、この通り」


 突如、地下闘技場の観客が叫びだした。観客席を見渡すと、観客たちの瞳が赤く染まっているのが分かる。アデリーやブラハードと同じく、凶暴性が発露する現象。「ぶち殺してやる!」「てめえ、気に食わないんだよ!」「死ね! 死ね!」観客たちはお互いに罵りながら、争いはじめる。


 これがアンブローズの悪望能力、他者を凶暴化させる悪役ヴィラン。アデリーを初めとして、ここ最近の事件で悪役ヴィランの様子がおかしかったのは、この能力の影響を受けたから、と言うわけだ。


「あんたの悪望能力は硬質化じゃ無かったのか?」

「あたしにとっては同じことよ。『暴力アイ』を受けることも、『暴力アイ』を広めることもね」


 悪望能力は一人に一つが原則。だが『サメ』の悪役ヴィランシャークが複数の形態変化を発動したように、その悪望の解釈によって能力は無限の可能性を見せる。


 アンブローズにとっては、自己の硬質化も、他者の凶暴化も、一つの悪望を叶えるための同じ能力なのだろう。

 そして、アンブローズが凶暴化の悪望能力を持っていたことで、薄々、エイスケはアンブローズと悪役対策局セイクリッドの内通者の目的を察知しつつあった。


「それじゃあ、お先に失礼するわね。ここを収拾できたら追ってきても良いわよ」

「なあおい、アンブローズ」

「なにかしら?」

「ハルは、まだ負けてない。こいつが本気を出せば、お前程度に負けるはずがない」


 エイスケは、先ほどからアンブローズがハルのほうを見ないのが気にかかっていた。もしかしてこいつ、格付けが済んだとでも思ってるんじゃあないだろうな?

 エイスケの啖呵に、アンブローズは満面の笑みを浮かべる。アンブローズにとっては、エイスケも、ハルも、生きが良いおもちゃ程度にしか見えていないのかもしれない。


「エイスケちゃん、偽物の悪役ヴィランなのに良い表情するじゃない。それじゃあ、ハルちゃんとの再戦を楽しみにしてるわ」

「ああ、あとでお宅にお邪魔するぜ。首を洗って待ってな」


 アンブローズが去っていくのを見届けながら、エイスケは暴徒と化した観客たちの対処を考える。

 叫び、暴れ、互いに傷つけ合う群衆。エイスケの所持する悪望能力の全てを使用しても対応は難しい。


 一人ずつぶん殴って止めていくか? エイスケが悩んだところで、アレクサンドラが『雷光』を纏った。


「エイスケ・オガタ、ハル・フロストを見ていてください。ここはワタシが対処します」

「おう、頼もしいね」


 アレクサンドラの考えを悟り、エイスケはハルを引き受けた。アレクサンドラの悪望能力は暴動鎮圧にも向いている。


『雷光』をバチバチと鳴らしながらアレクサンドラが駆ける。アレクサンドラが人だかりの間を走り抜けるたびに『雷光』が鳴り、人々が気絶していく。改めて凄まじい悪望能力だった。あの桜小路家の総帥の護衛まで登り詰めるわけだ。

 あっという間に観客たちを制圧すると、アレクサンドラは流石に疲れたのか膝をついた。シャークとの連戦の後だ、無理もない。


「俺は行くところがある。アレクサンドラ、ハルを医者に連れて行ってくれ」


 ハルのダメージは大きい、まずは治療が必要だろう。


「待て、アンブローズを追うんだろ? 僕も追う」


 ハルが意識を取り戻し、フラフラと立ち上がろうとしていた。


「その怪我じゃ無理だろ」

「もう治った」

「そんな訳が――ハル、お前」


 ハルが立ち上がり、全身の調子を確かめるかのようにピョンピョンと飛んでいるのを見て、エイスケは絶句した。立ち姿を見ただけでも、ハルがどの程度のダメージを負っているかぐらいは分かる。全開とまではいかないが、先ほどまでは明らかに重傷だったはずのハルは、すでに回復していた。回復速度が尋常ではない。


「無理はするなよ」

「分かってるよ。それで、アンブローズの場所にアテはあるのか?」

「ある。アンブローズの目的が分かった。いったん第十二課テミスの拠点に戻りながら説明するぞ」


 地下闘技場の外に出て、悪役対策局セイクリッドの拠点に向けて駆けながら、エイスケはハルとアレクサンドラに状況を説明する。

 第十二課テミスをまるで狙っているかのように、立て続けに起きていた悪役ヴィランの暴走事件。その犯人がアンブローズであったことで、目的がはっきりした。


「アンブローズが『暴力』の悪望能力を使って暴走する悪役ヴィランを生み出していたのは、第十二課テミスに対処させ続けて人員不足に陥らせるためだ」


 今思えばアデリーやブラハードの件もそうだったのだろう。強化ドラッグの実験を行いながら、第十二課テミスの管轄の事件を増やすことで、疲弊させるつもりだった。


「それで、アンブローズに何か得があるのですか?」

「ある。第十二課テミスの手が回らなくなれば、ユウカ・サクラコウジの私兵も第十二課テミスの任務に割かれる可能性が出てくる。アンブローズの目的は、ユウカの護衛を減らすことだ」

「護衛を減らしてユウカを襲撃でもするつもりか?」

「その通りだ。ユウカから最強の護衛アレクサンドラを引き離すのが、アンブローズの目的だった。アレクサンドラの悪望能力は逃走にも長けているからな」


 アンブローズがいくら強くとも、『雷光』の悪望能力でユウカを連れて逃げられたら襲撃は成功しない。だから、悪役対策局セイクリッドに内通者を作り、内側から崩すことにした。


悪役対策局セイクリッドの情報を悪役ヴィランたちに流していた内通者がいる。アンブローズは、ユウカからアレクサンドラを引き離したうえで、ユウカを内通者に拐わせる算段だ」

「不可能です」


 ハッ、とアレクサンドラは鼻で笑った。アレクサンドラにとっては、そう見えるだろう。なにしろ、アレクサンドラを引き離したところで、ユウカの護衛には最強の老執事がついているのだ。


「ユウカ様にはローマン様が護衛についています……か……ら……」


 アレクサンドラの言葉が徐々に弱々しくなっていく。気付いたのだ。逃走能力に長けたアレクサンドラを、ユウカの護衛から引き離したのが誰だったかを。

 地下闘技場の潜入調査を行う前に、老執事は確かにこう言った。


”ではアレクサンドラを調査人員にするのはどうでしょう?”


 エイスケは断言した。


「内通者はローマン・バトラーだ」



 ◇◇◇



「そういえばね、ローマン」


 第十二課テミス拠点のユウカの執務室。今はユウカとローマンしかいない。


「エイスケさんから報告があったんです。もしかしたら、悪役対策局セイクリッド内に、強化ドラッグの犯人と内通している者がいるかもしれないって」

「ほう……」


 机に向かって書類作業をこなしながら、ユウカは会話を続ける。

 ローマンはユウカの後ろに控えており、ユウカから表情を見ることはできない。


「その報告を聞いた時、わたし、思ったの。まだシンリさんしか報告書に目を通してないうちから、ドラッグの形状を知っていた人がいたなって。わたしは粉末や錠剤のほうを思い浮かべていたから、よく覚えています」


 強化ドラッグについての意見を聞いた時、確かにローマンはこう言っていたのだ。


”注射器からは何か手がかりは見つからなかったのでしょうか?”


 あの時点で強化ドラッグが注射器だと知っていたのは、直接目撃したハル・フロストしかいない。ならば、それを知っていたローマンは、強化ドラッグを流通している者と繋がっている可能性が高いのだ。

 ユウカは、静かにローマンに問うた。


「ローマン。あなたが内通者ね?」

「ほっほっほ。まさか。あり得ません」

「そう。残念だわ」


 ユウカの足元から、水が空中に浮かびだす。『暴きだす真実の水瓶』を机の下に置いていたのだ。水文字は、はっきりと虚偽FALSEを描いた。

 ローマンの表情を見ないまま、ユウカは投降を告げる。


「ローマン。二人きりの時にこの話をしたのは慈悲です。自首しなさい」

「まったく嘆かわしい。その甘さを捨てなければ桜小路家の跡取りとは言えませんな」


 首元に痛みを感じた瞬間、ユウカは意識を失った。

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