第三話 謝伸が事のあらましを語ること、また謝霊がフランス租界に足を踏み入れること

 私と謝霊は一様に目を丸くした。ただ死んでいただけならまだ分かるが、これはたしかに大使館も工部警察もどうしようもない。特に謝霊は俄然興味が湧いたらしく、前のめりになって謝伸の話に聞き入っていた。

「五日前になるな、私が最初に話を持ち掛けてからかれこれ四日は拒否されていたのだから。オベールが新しく選んだ小妃シャオフェイという妓女が、朝起きたら髑髏に変わっていたのだ。夜に床に就いたときには何の異変もなく、いつものようにオベールの相手をしていたようなのだが、それが朝起きたら変わり果てていたという。悪戯にしては悪質すぎる上に小妃の姿も見つからず、本当に忽然と、としか言いようがないのだと」

「そこで招魂探偵の出番だと考えたわけですね。たしかに、私以上の適任者はいないでしょう」

 謝霊は自信たっぷりに椅子の中でふんぞり返った。

「どんなくだらない話かと思えば、私が手出しする価値しかないじゃないですか。良いでしょう、明日早速オベールの邸宅に行って彼女に話を聞きましょう」

 そう言うと謝霊は当然のように私の方を見た――私は居心地の悪さを感じながらも急いで視線を外した。しかし、予想していた一言を謝霊はそのまま言ってきた。

「一緒に来てくれますね? 慧明兄」

「……明日ですか。仕事を抜けられるかどうか……」

 私は目を逸らせたまま言葉を濁した。探偵としての腕前はともかく、彼の根底にある死者への肯定は私には分かり得ないものだったからだ。今は会いたくないだけで済んでいるが、次に決定的に分かり合えないことがあったら本当に別れを決意するかもしれない――そんな予感がずっとしている今、やはり以前のように彼を信用するということができないというのが正直なところだった。それに、こんなことでは探偵の助手など務まらないのではないかという気がする。

「そうですか。もしかして、私が逼安が死ぬのを止めようとしなかったことを根に持っているのですか?」

 果たして謝霊は私の胸中をぴたりと言い当てた。

「……まあ、そんなところです」

 私は素直に頷いた。謝霊に悟られた以上、ごまかすのはかえって良くないからだ。

「気持ちも分からなくはないですがね。現に謝伸など、私が死んだ人間に同情するとこの世の終わりのように世話を焼き始めますから」

 謝霊はあっけらかんと言った——兄に対する攻撃もいくらかは含まれていそうな物言いだったが、謝伸には相変わらず効いていないようだ。

「私からすれば父上のように放っておける方が稀有だと思うがね。母さんや姉さんだってそうじゃないか」

「あの人たちは単に私が嫌いなのですよ。特に母さんは昔坤道こんどうだったって言うじゃないですか。そんな人が、私のような冥府に足を突っ込みかけている人間を快く思うはずがない」

 謝霊はそう言うとため息をついた。鬼の気配が分かるという奇妙な勘を父親だけがまともに取り合ってくれたという過去や、義理の親子でありながら師弟でもあったという話はどうやら私が想像していた以上に複雑なようだ。

「まあ、気が向いたら来てください。どうしても気味が悪いというのなら止めませんよ」

 謝霊のこの言葉は他人事のようにあっけなく、空虚に響いた。言われた者の心中に一抹の罪悪感さえ抱かせるような寂しげな口調――果たして私は、それを無視して別れられるほど非情にはなれなかった。

 帰り際、私は謝伸に呼び止められた。足を止めて振り返ると、謝伸が私を追って足取りも軽く階段を降りてくるところだった。

「張先生。あなたが弟の相手をしてくれて本当に助かります」

「相手だなんて。私はただ、放っておけないと思っただけです」

 私が応えると、謝伸は「そのお気持ちこそがありがたいんです」と言って私の手を握ってきた。

「あの子は昔から、鬼と死んだ生き物以外に友人らしい友人もいないのです。それが自分から生きた人間と行動したがるなんて初めてです」

 私の耳元で早口に告げる謝伸に、私は成る程と一人納得せずにはいられなかった。この謝伸という男、どうやら――というよりも間違いなく、謝霊のことになると過保護になるきらいがあるらしい。

「だから、あいつからは目を離さないでほしいのですよ。あなたがいてくれれば、あいつもこの世に多少は馴染めるかもしれない」

「多少もなにも、もう十分馴染んでいると思うのですが……」

 私が反論しかけた声はしかし、言うことを言い切った謝伸には届かなかった。謝伸はすがるような目で頷くと、さっさと踵を返して事務所に戻ってしまったのだ。


 その日の夕刻、謝霊と一緒にオベールの邸宅を訪れる許可をもらいにサー・モリソンに事情を話すと、彼は呆れたような驚いたような、なんとも言えない表情になった。

「あれだけ誘われていたのだから私も引き留めることはしないが……しかし、あのルネー・オベールだろう? 面倒なことにならないと良いんだが」

「さすがに大丈夫ではないでしょうか。他の人選もないわけですし」

 私はそう答えたが、サー・モリソンの顔は晴れないままだ。オベールの評判は租界に住んでいる漢人、その中でも私のように西洋人を相手に働いている者、日本人、そして西洋人(特にイギリス人とフランス人)の間という順番で悪さに拍車がかかる。

「それにあの男は横柄だろう。別の妓女が飛び降り自殺しようとしたときのように、今回の彼女もあいつに振り回されて自棄を起こしたのかもしれないぞ」

「その可能性もありますが、どうしようもない以上多少は大人しくするのではないでしょうか。とにかく、行ってみないことには始まりません」

 私がそう告げると、サー・モリソンはため息とともに明日の休みを改めて言い渡した。

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