ステータスが支配するこの世界で

紙のみそ汁

答えを得た日

 中学三年の七月、部活の大会を目の前に大怪我をした俺は今まで特に仲良くなかった人達と遊ぶようになった。


 夜の公園で話したり道路でスケートボードに乗ったり、火で遊んでいた。彼らは思いの外すぐに俺のことを受け入れてくれた。正直心の底から楽しんでいたわけじゃなかったけど、なんとなくいるだけで心が安定していると思っていた。

 彼らの友達が酒を持ってきた日のことだった。


「お前親の酒持ってくるとか、マジやべーわ」

「ありえなすぎだろー」


 中学生が酒に興味を示すのはやはり、としか言いようがない。そういう俺も少し、いやかなりいつもと違っていたように思う。


「誰から行く?」

「持ってきたお前だろ」

「いやいや、ここは蒼太そうただな」


 俺にルーレットの針が回ってきたみたいだった。他の者からの賛同の声も聞こえる。缶をあけて意を決し、


「何やってんだ蒼太!」


 俺の手から缶が奪われる。


「姉さん……」


 聞き覚えのある声だったが、その声色は初めて聞くものだった。


「これは子供の飲み物じゃない!」


 そう言ってはな姉さんはあっという間に缶の中身を空にした。


「もう十一時過ぎてんの。あんたたちの家族が心配してんの分かってる?」


 それからのことはあまり覚えていないが、その日はすぐに寝て翌日こっぴどく𠮟られた。姉は頭が痛いとか言って昼過ぎまで布団の中にいた。




 俺らは進路を決めなくてはならない時期になったこともあり、あの日を境にあまり関わらないようになった。


 そして中学生三年の二月、とても寒かった日。午後四時半。丁度、曇り空が嫌に不気味な雰囲気を演出していた時だった。今でもよく覚えている。


 端的に言えば、世界中を真っ白な光が包んだそうだ。家にいた俺の視界のすべてを白色が支配した。その時からだった。俺たちが『ステータス』を見れるようになったのは。 沢山の実験、研究によってその数値が示すものはほぼ真に近いものであると証明された。


 数値は非常に分かりやすい。三十パーセントの確率で助かる道と九十パーセントの確率で助かる道のどちらかを選べ、と言われたとしたら誰だって後者を選ぶだろう。命がかかっているならばおさらだ。

 それからすぐに、大半の人が『ステータス』を受け入れるようになった。




 高校一年の六月、一言でいえば真夏日。ソファーに座りながら自分の『ステータス』を眺めていると水分やら塩分やらの数値が減っていることに気づく。お茶を取り出そうと冷蔵庫へ向かうと、華姉さんが降りてきた。


 正直あの日以降、彼女から逃げたくなる。あの日の出来事が気まずいというよりは俺はあまり彼女のことを見ていたくないから少し避けているのだと思う。


「ふぃー、つかれたー、あついー」

「オンライン講義は終わった?」

「前半は終了、これから後半て感じだね」


 彼女は海外で働きたいらしく、英会話のレッスンを行っているみたいだ。夢があって、それを実現させる為に努力している。そんな彼女を見ていると自分の怠慢さや気力のなさ、そして自分が嫌いになってくる。だからこそ逃避行動をとってしまうのかもしれない。


「数値は順調に上がってる?」

「うーん、一進一退の状況かな。一昨日は一下がって、昨日は一上がったっけ」

「ふーん。もし俺に数値を弄る権限があればプラス百くらいはしても怒られないと思うけどな」

「そうでしょ、私頑張ってるでしょ。なでなでよしよしとか、してくれていいんだよ」

「姉が弟に向かってなに言ってんのさ」

「えー、だって私、兄か姉のどっちかも欲しかったんだもん。おもちゃとかお菓子とか買って欲しかったんだよねー」


 これは初めて聞いた。今の今まで、全く気付くことができていなかった。


「お母さんがいるじゃん」

「もうそんな年じゃないもん。じゃあ、後半戦行ってきます大佐」


 ビシッと敬礼して去っていく彼女の背中は小さいけれど、多くの物を背負うことのできる大きい背中だと、ふと思った。


 頑張っている人を見て自分も頑張ろうと思う程俺も純粋ではない。しかし、何もしないまま、一歩を踏み出すことを恐れ続けたくはない。今この瞬間が何かの境目のような気がした。明日でもない、明後日でも来年でも百年後でもない。今だ、今やろう。


 十一か月程眠らせていたランニングシューズは思いのほかほこりをかぶっていなかった。


「行ってきます」


 そう言って扉を閉めると家が少しきしんだ気がした。それは家が返事をしているように聞こえた。




 リズムよく、小刻みに腕を振る。雨上がりの土のにおいが嗅覚を支配する。久しぶりにあの公園にやってきた。中学生三年生の時以来だった。

 ふと、俺は自分のステータスを眺めてみると筋力や体力の値に変化はなかった。だけど満足度は上昇していると思った。


「それにしてもどうしてステータスなんてものが現れたんだろうなあ」


 普通であれば夜の公園でこんな独り言に反応する人はいない。しかし、


「知りたいかい少年?それがどんな理由で追加されたのかを」


 木の下に人がいた。朱色のパーカに黒色のパンツを身に着け、白い帽子を目深に被った女だった。


「えっと……あなたは……?」

「私は藤堂とうどう亜香子あかこ。元探偵と言ったところかな」


 女はどこか自虐的な笑みを浮かべてこちらを見る。姉の目とは違う雰囲気だったが、自分の全てを見られているような、そんな感じがした。彼女の珍しい職業に俺は若干興味をひかれていた。


「探偵……ですか。俺は」

「蒼太君、だろう?」


 彼女はどうして俺の名前を知っているのだろうか?以前この人に会った記憶はないが。


「おや、私が君の名前を知っているのが不思議と言った顔だね。しかしそれは重要なことではないさ」


 だそうだ。だから俺は重要な話に耳を傾けた。


「ステータスが現れた理由、それは自分の頑張りを正しく評価して欲しいと言う気持ちを神さまかが知ったからだ」


 もしそれが本当ならその評価システムはどこかおかしいのではと思った。姉だけでなく、多くの人々の頑張りをただの数値に変えてしまう。それは本当に正しいと言えるのか?


「ただ、こんなものは君には不要だろう?」


 そうだ、俺にはステータスなんてどうでもいいものなんだ。だって、


「君をちゃんと見てくれる人がいる。そうだろう?」


 そうだ、彼女は俺の良いところも悪いところも全部見ていてくれる。


「今日は君と話せてよかったよ。私が一年間ここに残っていた意味がやっとわかったんだ」

「あの、色々とありがとうございました。失礼かもしれないですけどあなたって……」

「うん。君の考えている通り既に死んでいるよ。一年前にね。まあ、そういうことだから私もどこかで君のことを見させてもらうよ」


 そう言った探偵のお姉さんの姿はどこにもなく、ただ一羽のカラスが飛んで行ったのを見ただけだった。




 帰りの足取りは軽く、満足のいく走りができた。


「ただいま。ってあれ、まだ姉さんは講義中かな?」


 彼女はいなかった。しかし食卓には付箋が貼られていた。


「冷蔵庫にスポドリ冷やしてあるよ!」


 俺は二つのアイスクリームと羊羹を袋から取り出した。

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