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釣果/@shibachu への簡単な感想」への応援コメント

  • ご感想ありがとうございます。
    「宿花」に愛崎アリサさんが下さったコメントに「南も入ってそう」という一言がありました。南は感性の方角。自認とは違ったのですが、創作の始点で言うと、自分の感性の中から書きたいものを掬い取る過程があり、そこを指摘された気がしました。最終的な方角が北西あるいは北北西としても、一度南下してから北西方面に向かう、平仮名の「し」の字のような弦曲線に沿って動いた感触を覚えたのです。
    この弦曲線が自分の書き癖のような気がしたので、それを炙り出すために書いた作品が「釣果」です。
    三人の兄弟は自分が創作をするときに使う思考を具象化したもので、書きたいものを決める直感が長男、書く対象物がどうあるべきか設定を作り出す次男、どういった物語が作られるか方向性を決める三男、と三つの人格から成ります。非常識な長男に対して、弟二人が常識的な整合性を働かせて物語を整えていく感じです。
    普段の創作では次男>三男>長男くらいの作業量で働いている動きを、この作品では三人の作業量がほぼ等しくなるよう意識して書いてみました。相対的に感性の動きが強くなるので、南に寄るんじゃないかな、と考えていましたが、出来上がった作品は継ぎ接ぎだらけで、よくわからないものが出来上がってしまいました。ご指摘通り「こういう趣の作品を作ろう」という意識が薄くなっていますので、無色でニュートラルな素体感が出ていますね。
    夢を見ているときに、見ているものから連想したものが出てくる事があります。鯨の夢を見ていて「鯨は竜に似ているな」と考えたら鯨が竜になっていた、みたいに。この作品を書きながら、ぼんやりと夢を見ているときの感覚に近いものを感じていました。同文構造なんかも意識して取り扱ったわけではなく、無意識のうちに採用しています。多分、僕はこういう語感が好きなのでしょう。
    最後のコンピューターゲーム的な表現は、竜というより兎が人間を殺すところからの着想でしょうか。人間を殺す強力な兎は、モンティ・パイソンの映画かウィザードリィRPGくらいしか知りません。殺さず互角に戦えるという条件ならピーターラビットやバックスバニーがいますけど。僕は竜にはゲームよりも物語の中の生き物を感じますね。この点以外はフィンディルさんの考察通りだと思います。
    フィンディルさんとしては「短い」この感想だけで、作者の僕より作品の本質を看破している。ものすごく勉強になりました。

    作者からの返信

    『平仮名の「し」の字のような弦曲線』というのは(あるいは「J」)、実は共感できる小説書きは少なくないんじゃないかなぁという気がします。メジャーではないかもしれませんが。
    着想は非エンタメだけど、それを作品に具現化していく過程で北が付着していく感じ。食材は大衆向けではなくて、それを他意なく調理するつもりなのだけど、無意識のうちに既存の調理技術に当てはめてしまう感じ。中華料理人が非中華食材を使って料理をすると、別に中華料理を作るつもりがなくてもどことなく中華料理っぽくなる感じ。そんな感覚なのかなという気がしないでもありません。わかりませんけども。

    三兄弟にそれぞれの役割を持たせるという方針は、あんまり作品表現として主張してこない感じがありました。そもそも芝中さんとしては、その作品表現を読者に届けるという意思があまりなかったのかもしれませんが。「三兄弟に役割を持たせている」ことを表現することに興味があるのではなく、「三兄弟に役割を持たせている」ことでどんな作品になるのかということに興味があるのかなと。
    結果として素体感が出たと。

    あるいは「三兄弟に役割を持たせている」をもっともっと極端に色付けしてみると、それが作品表現として顔になってくれるかもしれないと思いました。
    「宿花」でもそうだったのですが、芝中さんが作品に込めた方針や表現があんまり主張してこない印象があります。「作者はこうしたかった」が作者解説からしか覗けないというか。
    なので「ちょっとここまでやっていいのかな?」というくらいやってみてもいいかもしれませんね。「作者はこうしたかった」の内容そのものには、きちんと可能性を感じますので。
    それが不条理の北西・北北西になるか実験の北東・北北東になるかは実際に作品を見てみないとわかりませんが。