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2023年2月25日 20:13
フィンディル様、私の作品を深く読み込んでいただき、ご感想をありがとうございます。この作品の方角は真北だったのですね。意見交換をする中でも、ストーリー自体はありきたりなものになっているということに、自分でも気が付けました。そのため、なんとなくですが西向きではないのかもしれない、と思っていまして……。詳しい説明を聞いて、納得しました。嗜好と設定だけでは、方角はあまり変わらないのですね。勉強になりました。 また、「目的と達成」については、確かに結末が自然なようにしていたな と改めて知ることができました。私は何か目的がないとおかしい、と考えることが癖なのでしょうね……。 「非日常の日常」を意識すると西向きになるのですね。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」などを意識すればよろしいのでしょうか。解釈が間違っているかもしれませんが、考えてみようと思います。そして、「頭を別の物にしても物語は成立してしまう」というご指摘には、一番ハッとされられました。これは本当にそうですね……。この作品は、作品名の熟語「冥契」の意味から考えて書き始めたので、「異形と結ばれるストーリー」が先に出来たのです。その上で、頼人の頭は感情表現が分かりやすいものが良いだろうという理由で電球になったのですが……。私も改めて読み返してみて、電球である必要性がないように思えました。私にとって、頭は何でも良かったのだと思い、少し悲しくなりました……。好きなものの良さを伝えきれていないのは、致命的ですね……考え直したいです。電球人間ならではの何か、詳しくご提案いただき、ありがとうございます。記述の部分は、橙花の感じ方の変化を伝えたくて書いたのですが……。なるほど、頼人からすれば分かっていることですね。頼人は「気遣いのできる人」という設定でもあるので、確かにおかしいように思えました。異形頭の「異形」の部分が、それである意味や魅力を考えて、より良い真北作品にしたいと思います。また、少し西向きの北北西や北西の、異形頭を題材にした作品も書いてみたいです。この度は、素晴らしい企画の開催と丁寧なご感想を、ありがとうございました。とても勉強になり、創作意欲も刺激されました。また、「フィンディルの感想」に強く興味を惹かれたので、より詳しいご感想を企画終了後に応募させていただきたく思います。その際はどうぞよろしくお願いいたします。
作者からの返信
勘違いしないでいただきたいのが、「何か目的がないとおかしい」と考えるのが癖になっているのはエンタメ書きとしてはすごく良いことだということです。特に意識せずに「目的と達成」が成立するような作話ができているのは、エンタメ書きとして素晴らしいことだと思います。なので真北を基本に創作していくのならば、その癖は是非維持していただきたいと思います。飽くまで「目的と達成を軸にしない創作もあるんだ」という異文化交流に留めていただければと思います。嗜好と設定だけでは方角は変わらない。本当に嗜好と設定だけの作品だとまた話は別なのですが、およそ夜桜さんは嗜好を出しつつ「良い話にしたいな」という意識もあったはずです。その「良い話にしたいな」の「良い話」が北向きベースなので、作品も北向きになるという話です。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」は、「非日常の日常」というより「日常の非日常」に近しいものだと思います。ギャップに焦点をあてるのは視点者(執筆者)にとって取材対象が非日常(=変わった存在)に感じられるからだと思います。変わった存在に感じられるから「ふとした時に見せる人間に近い行動」が映えると考えてしまう。この場合は「日常(視点者)の非日常(取材対象)」になって、やっぱりエンタメの香りが出ると思います。「非日常の日常」においては「見るからに異形らしい者」を「見るからに異形らしい者」とジャッジするのは飽くまで(人間である)読者であって、作品側にとっては「見るからに異形らしい者」なんてものは存在しないんです。電球人間こそが普通であって、強いて挙げるなら眼球や鼻や口や耳を頭部に持つ生物こそが「見るからに異形らしい者」という認識なのです。頭部に器官集まりすぎキモ、みたいな。「私達(電球)人間の日常を、訳わからん器官集約頭部人間に読ませましょ」みたいな認識で綴った作品が、「非日常の日常」だと思います。夜桜さんも電球人間になりきるのです。たとえば夜桜さんがご自身のとある一日を散文調に綴ったとします。何の起伏もない、ただの一日です。夜桜さんは(多分)私達と同じような人間ですから、その散文を我々が読むうえでこれは「日常の日常」です。これをそのまま電球人間でやってみる。電球人間が自身のとある一日を散文調に綴る。何の起伏もない、ただの一日。ただ電球人間は我々にとって非日常の存在ですから、その散文を我々が読むうえでこれは「非日常の日常」になる。取材・エッセイなのか、日記なのか、という違いだろうと思います。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」は取材・エッセイなんですよね。夜桜さんが日記を書くような温度感で書けると「非日常の日常」らしくなると思います。話が変わりまして、電球人間以外では成立しないような物語にしましょう、は「日常の非日常」的な真北エンタメの考え方です。ここを混同してしまうとややこしくなるのでご注意ください。こちらの考え方は、夜桜さんが今後も同様の創作をしていくうえでとても大事になる考え方だと思います。その設定でなくても物語が成立してしまうときは、大体その設定の魅力が出ていないことが多いと思います。その設定を変えるとまったく物語が成立しなくなっちゃうよ、という塩梅が基本的に大事だろうと。ジェンガの、取っても問題ないブロックなのか、取ったら崩壊必至のブロックなのか、みたいな。こちらは夜桜さんに刺さったみたいなので、詳しく紹介しなくても大丈夫だろうと思います。フィン感に興味を持っていただいて嬉しいです!どの作品で応募されるのかはわかりませんが、楽しみにしています!
フィンディル様、私の作品を深く読み込んでいただき、ご感想をありがとうございます。
この作品の方角は真北だったのですね。
意見交換をする中でも、ストーリー自体はありきたりなものになっているということに、自分でも気が付けました。そのため、なんとなくですが西向きではないのかもしれない、と思っていまして……。詳しい説明を聞いて、納得しました。
嗜好と設定だけでは、方角はあまり変わらないのですね。勉強になりました。
また、「目的と達成」については、確かに結末が自然なようにしていたな と改めて知ることができました。私は何か目的がないとおかしい、と考えることが癖なのでしょうね……。
「非日常の日常」を意識すると西向きになるのですね。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」などを意識すればよろしいのでしょうか。解釈が間違っているかもしれませんが、考えてみようと思います。
そして、「頭を別の物にしても物語は成立してしまう」というご指摘には、一番ハッとされられました。これは本当にそうですね……。
この作品は、作品名の熟語「冥契」の意味から考えて書き始めたので、「異形と結ばれるストーリー」が先に出来たのです。その上で、頼人の頭は感情表現が分かりやすいものが良いだろうという理由で電球になったのですが……。
私も改めて読み返してみて、電球である必要性がないように思えました。私にとって、頭は何でも良かったのだと思い、少し悲しくなりました……。
好きなものの良さを伝えきれていないのは、致命的ですね……考え直したいです。
電球人間ならではの何か、詳しくご提案いただき、ありがとうございます。
記述の部分は、橙花の感じ方の変化を伝えたくて書いたのですが……。なるほど、頼人からすれば分かっていることですね。頼人は「気遣いのできる人」という設定でもあるので、確かにおかしいように思えました。
異形頭の「異形」の部分が、それである意味や魅力を考えて、より良い真北作品にしたいと思います。
また、少し西向きの北北西や北西の、異形頭を題材にした作品も書いてみたいです。
この度は、素晴らしい企画の開催と丁寧なご感想を、ありがとうございました。
とても勉強になり、創作意欲も刺激されました。
また、「フィンディルの感想」に強く興味を惹かれたので、より詳しいご感想を企画終了後に応募させていただきたく思います。その際はどうぞよろしくお願いいたします。
作者からの返信
勘違いしないでいただきたいのが、「何か目的がないとおかしい」と考えるのが癖になっているのはエンタメ書きとしてはすごく良いことだということです。
特に意識せずに「目的と達成」が成立するような作話ができているのは、エンタメ書きとして素晴らしいことだと思います。
なので真北を基本に創作していくのならば、その癖は是非維持していただきたいと思います。
飽くまで「目的と達成を軸にしない創作もあるんだ」という異文化交流に留めていただければと思います。
嗜好と設定だけでは方角は変わらない。
本当に嗜好と設定だけの作品だとまた話は別なのですが、およそ夜桜さんは嗜好を出しつつ「良い話にしたいな」という意識もあったはずです。その「良い話にしたいな」の「良い話」が北向きベースなので、作品も北向きになるという話です。
「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」は、「非日常の日常」というより「日常の非日常」に近しいものだと思います。
ギャップに焦点をあてるのは視点者(執筆者)にとって取材対象が非日常(=変わった存在)に感じられるからだと思います。変わった存在に感じられるから「ふとした時に見せる人間に近い行動」が映えると考えてしまう。この場合は「日常(視点者)の非日常(取材対象)」になって、やっぱりエンタメの香りが出ると思います。
「非日常の日常」においては「見るからに異形らしい者」を「見るからに異形らしい者」とジャッジするのは飽くまで(人間である)読者であって、作品側にとっては「見るからに異形らしい者」なんてものは存在しないんです。電球人間こそが普通であって、強いて挙げるなら眼球や鼻や口や耳を頭部に持つ生物こそが「見るからに異形らしい者」という認識なのです。頭部に器官集まりすぎキモ、みたいな。
「私達(電球)人間の日常を、訳わからん器官集約頭部人間に読ませましょ」みたいな認識で綴った作品が、「非日常の日常」だと思います。夜桜さんも電球人間になりきるのです。
たとえば夜桜さんがご自身のとある一日を散文調に綴ったとします。何の起伏もない、ただの一日です。夜桜さんは(多分)私達と同じような人間ですから、その散文を我々が読むうえでこれは「日常の日常」です。
これをそのまま電球人間でやってみる。電球人間が自身のとある一日を散文調に綴る。何の起伏もない、ただの一日。ただ電球人間は我々にとって非日常の存在ですから、その散文を我々が読むうえでこれは「非日常の日常」になる。
取材・エッセイなのか、日記なのか、という違いだろうと思います。「見るからに異形らしい者が、ふとした時に見せる人間に近い行動」は取材・エッセイなんですよね。夜桜さんが日記を書くような温度感で書けると「非日常の日常」らしくなると思います。
話が変わりまして、電球人間以外では成立しないような物語にしましょう、は「日常の非日常」的な真北エンタメの考え方です。ここを混同してしまうとややこしくなるのでご注意ください。
こちらの考え方は、夜桜さんが今後も同様の創作をしていくうえでとても大事になる考え方だと思います。
その設定でなくても物語が成立してしまうときは、大体その設定の魅力が出ていないことが多いと思います。その設定を変えるとまったく物語が成立しなくなっちゃうよ、という塩梅が基本的に大事だろうと。
ジェンガの、取っても問題ないブロックなのか、取ったら崩壊必至のブロックなのか、みたいな。
こちらは夜桜さんに刺さったみたいなので、詳しく紹介しなくても大丈夫だろうと思います。
フィン感に興味を持っていただいて嬉しいです!
どの作品で応募されるのかはわかりませんが、楽しみにしています!