第47話 煉獄の戦い2

 指揮官が最前線に進出したことは、もとより練度の高いハンガリー軍が立ち直るのに十分な効果を発揮した。

 それでもなお再編には数十分の時間を必要としたが、ようやくにして再び十字軍はワラキアに破滅の顎を開けようとしていた。

「包囲して締め上げろ!! 敵は小勢ぞ!」

 あの新兵器には驚いたが、こちらには無傷の兵士がまだワラキア軍の四倍近い数で残存している。

 損害を省みず攻撃を続ければ、いずれワラキア軍は疲弊に耐えられず瓦解する、とヤーノシュは洞察していた。

「ちっ! もうちったぁ驚けよ!」

 舌打ちとともにゲクランは声を張り上げる。

「てめえら! 女にモテてえ奴から前に出ろ!」

「そいつぁ先を越されるわけにはいかねえな、シェフ殿」

 旗揚げ以来ゲクランにつき従ってきた手長団を中心に、常備軍の最精鋭部隊が堅固な方陣を形成した。

 その不退転の意思力と鉄壁の防御力は、この時代最大の評価を受けているスイス槍歩兵すら凌駕していた。

「構ええええ!」

 ようやくワラキア軍に供給されつつある最新のスナップハンスロック式の銃を一斉に構えゲクランは不敵に嗤う。

「ぶっ放せえええええええ!!」

 信じられないような密集隊形から撃ちだされた一斉射撃は、突撃に移った十字軍兵士を少なからずなぎ倒した。

 その命中率の高さにヤーノシュは驚愕する。

(―――――そうか、密度の違いか)

 いったいどこまでワラキアの技術革新は進んでいるものか。

 従来の火縄銃は発射の際に派手に火の粉を撒き散らすため、あまり集団を密集させられないという弱点が存在する。

 それを克服する機構をワラキア軍は開発したということらしい。

 ―――――よかろう、なおのこと手に入れる価値があるというものだ。

 いかにワラキアが新技術と投入しようとも銃という兵科は火力の連続性に乏しい。

 どんなに急いだところであと一度射撃する時間があるかどうか。

 懐に飛び込まれた銃兵など狼を前にした仔山羊のように無力な存在にすぎないはずであった。

「いいか! てめえら! 上品な騎士様の尻を掘るより商売女をベッドで啼かせらるほうがずっと難しいもんよ! てめえのマラに自信があるやつは銃先をあげろ! よっしゃ!突けやああああ!!」

「おおおおおおおおおおおおっ!」

 射撃を終えたあとの銃兵など蹂躙するだけだとばかり思っていた騎兵たちの前に白銀の林が出現した。

 小回りが利かず防御力の低い騎兵の天敵は統制された槍兵である。

 しかし自分たちの目の前にいたのは近接戦闘では全く無力な銃兵なはず。

 槍の穂先に貫かれ浮足立った騎兵に向かって至近距離から銃兵の第二列が一斉に火ぶたをきる。

 はずしようがないほどに至近距離で浴びせられた銃撃は、ハンガリー騎兵の士気を折るには十分な一撃だった。

 両翼からワラキア軍を包囲しようとする騎兵部隊にも手榴弾が投擲され、銃兵部隊が鉄壁の方陣を組んで迎撃する。 

 数において圧倒していながら十字軍の攻勢はワラキア軍の高い士気と新兵器群の前にとん挫を余儀なくされていた。

「銃兵が………槍だと??」

 ヤーノシュともあろうものが正しく瞠目した。

 近接戦闘に弱いことこそが銃兵最大の弱点であった。それをまさかこんな方法で解消してしまうとは。

(悪魔め! なんということを思いつくのだ!)

 これが手榴弾のような新兵器であれば、ヤーノシュもここまで衝撃を覚えはしなかったであろう。

 しかし銃剣という装備はその気になればいつでもハンガリー軍でも装備することができる単純なものだ。

 ただその発想の飛躍がヤーノシュは何よりも恐ろしかった。

 単にヴラドが異端な人間であると言うだけでは足りない。

 ヴラドは同時代の人間と、根本的なところで発想の質が異なっているということの証明に思えたのである。

 銃剣の歴史は意外に浅く、初めて銃剣が装備されるのは17世紀のフランス、バイヨンヌで農民の咄嗟の機転によって発明されたという。

 銃剣をバイヨネットと呼ぶのはこの来歴が由来している。

 しかし真に恐るべきはワラキア軍の士気の高さであるのかもしれない。

 確かに銃槍という武器の出現は騎兵の突撃を防ぐには有効であったろう。

 馬という生物はいかに訓練しようとも、尖ったものに突っ込むことを恐れるためだ。

 とはいえ馬という巨大な質量が猛然と接近してくる恐怖はそうそうぬぐえるものではない。

 まして構造上、銃剣は間合い、リーチという点で正規の槍兵に比べて数段劣るものになるのである。

 ほとんどが傭兵出身者で占められているはずのワラキア軍でこれほどの統制された勇気が発揮されるということが、ヤーノシュにとっては完全に予想外の誤算であった。

 所詮金で雇われるだけの根なし草である傭兵は、スイス傭兵のような例外を除いて勝ち戦では勇猛に戦うが負け戦ではいち早く逃走してしまう使い勝手の悪い戦力である。

 しかし必要なときに必要なだけいてくれればよく、常備軍ほど金がかからないために欧州では長く戦力の中心を担ってきた。

 もともと傭兵の出身であるヤーノシュは、傭兵の長所と短所を知り尽くしていると言ってよい。

(信じられんがあの悪魔が、荒くれ者の傭兵を騎士にしたか)

 若き日の自分が、神聖ローマ帝国皇帝ジギスムント陛下に騎士にしてもらったように。

「認めよう、ヴラドよ。貴様は紛れもなく天才だ。だからこそ貴様とはこの地上で相入れることはない。そして貴様は英雄であるこのわしの前に倒されるべきなのだ!」

 戦いの開始から数時間、十字軍の損害を省みぬ波状攻撃の前にワラキア軍もまた少なからぬ損害をこうむっていた。

 しかし時代を先取りした火力とゲクランの巧みな戦術指揮によって、ワラキア軍の戦闘力はなお健在であった。

 それでもヤーノシュは自らの優位を疑っていない。

 限定された騎兵部隊しかもたないワラキア軍は攻勢に打って出るだけの能力がない。

 いくら堅固であっても防御一辺倒の軍に最終的な勝利はないことをヤーノシュは経験的に知っていた。

 無敗を誇りながらフス派が結局分裂を繰り返しその影響力を失ったわけがそこにある。

 追い足がないために敵対勢力を殲滅しきれず戦線を維持できないのだ。

 しかし懸念がないわけでもない。

 問題なのは時間の経過である。

 この時代の軍隊は夜間戦闘を続けられるほど軍事技術が発達していない。

 日没までにワラキア軍を倒しきれなければ、そのままワラキア軍を取り逃がす恐れは高かった。

 現にワラキア軍は防戦しつつもすでに数キロ戦線を後退させていた。

 しかもその途上で林のなかにわずか数百名ではあったが伏兵をひそませていたために、側背を衝かれた右翼が食い破られてワラキア軍に貴重な時間を与えてしまっている。

 まったくあれほどの寡兵でありながら伏兵に数を割くとはどんな神経をしているのだろうか。

 それにしても――――――。

「へっへっへっ……どうしたい? 腰がふらついてるぜ騎士さんよぉ!」

「シェフ殿、俺もそろそろ膝が笑ってんですけど……」

「ん? シギショアラでアンナ相手に5回も奮闘したのに比べればまだ2時間くらいは平気だろうがよぉ!」

「なんでシェフ殿が回数まで知ってんですか!?」

「そりゃおめぇ……お前らのアノ声がちょっと派手なもんでよぉ……」

 高らかに哄笑する男たちで無傷の者はほとんどいない。

 戦闘が始まってからもっとも激烈な十字軍の攻勢に耐えてきたにもかかわらず、彼らの士気は一向に衰える気配はなかった。

(…………続くはずがない。奴らも同じ人間であることに変わりはないのだ)

 時として死を覚悟した兵士が常軌を逸した戦闘力を発揮することは戦場では往々にしてある。

 しかし人間の体力には限界があり、ある境界線を越えてしまえばそうした兵は逃げる力すら失って倒れ伏すのが常であった。

 だからといって、いたずらに時間の経過を許すだけの余裕がヤーノシュからはなくなりつつあった。

 通常であればワラキア軍が撤退すれば十字軍が勝利したということができるのだが、このままワラキア軍が組織力を保ったまま撤退すれば彼らは十字軍に対して一定の戦果を与えたため一度再編のため兵を自主的に引いたと喧伝する可能性があった。

 実際に十字軍側の損害はワラキア軍のそれと比べれば控えめにみても3倍は下らない。

 いや、おそらく最終的には5倍ほどに達するであろう。

 それでは勝利を宣言したところで、教会や兵を出してくれた各国の君主が納得しない可能性があったのである。

「あの者たちの強がりも限界のはずだ。前面の銃兵に攻撃を集中せよ!」

「ありゃりゃ、こりゃ怒らせましたかね?」

 口調こそ軽かったが、レーブは背筋が凍るような恐怖を抑えるのに相当の意思力を必要とした。

 すでに兵たちの肉体の限界はとっくに超えている。かろうじて残された気力も長くは続かないことをレーブは気づいていた。

「レーブ、おめぇ運に自信はあるか?」

「あったら今頃こんなとこで命賭けてはいないでしょうよ」

「俺もいばれるような運なんざもっちゃいねえが………忠誠を誓った主君だけははずしたことがねんだ。先祖代々そういう運命らしい」

 もっともそんな主君にめぐり合う機会もなく、死んでいく人間のほうが多いのは御愛嬌である。

「だからここはちとご主君の運にあやからせてもらって、もう一踏ん張りしようじゃねえか!」

「………まあ、あの方は運なんて、いかさまでひっくり返しそうではありますがね」

「違えねえ!」

 残された力を振り絞って最後の手榴弾を投擲する。

 総攻撃のために集中密度が高くなっていた十字軍兵士が、次々と爆風に吹き飛ばされ大地に赤い花を刻印した。

「野郎ども! ぶっ放せ!」

 所詮は最後の抵抗だ。ヤーノシュはそう確信していた。

「攻撃の手を休めるな!」

 素晴らしい! 実に素晴らしい兵士たちだ。

 しかし気力を振り絞るのもこれが最後で次はない。

 蝋燭の火が燃え尽きる前の揺らぎなのは彼ら自身もよく承知しているはずだ、否、あれほどの勇士たちが気づいてないはずがない。

 それでもなおヴラドに殉じようとするか。それもまたよし。

 最後の予備兵力を投入しようとヤーノシュが決断しかけたとき、ワラキア軍の後方、わずかに小高くなったなだらかな坂の上でむくりむくりと兵士たちが立ち上がった。その数およそ二千。ヤーノシュにとっては完全に想定外の戦力である。

「まさか――この後におよんで伏兵だと?」

 確かに無傷の二千が投入されることは痛いが、こちらにも無傷の予備兵力は三千以上残されている。

 もはや気力だけで持っているワラキア軍に逆撃するだけの余裕はないはずだ。なぜだ? 奴らはいったい何のために?

 混乱するヤーノシュの頭上に、伏兵から弩の一斉射撃が浴びせられた。予想外の二千もの矢の襲撃に十字軍の前衛が隊を乱して混乱する。

 そのとき――――

「なんだっ? 何をしている??」

 この日最大の驚愕がヤーノシュを襲った。

 伏兵のいる丘に向かってワラキア軍が全速力で逃走を開始したのである。

 秩序だった撤退ではない。背中を見せて無防備な潰走を始めたのだ。

 ――――それではなんのための援軍なのだ? わからない、わからないが、ここで放置するという選択肢もない。

「追え! 奴らを生かして返すな!」

 ここでワラキア軍を見逃すという選択肢はありえなかった。

 損害を省みず、兵力の優位を頼りにせっかくここまで築いていた優勢なのだから。

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