第38話 両雄の邂逅

 街の中心に設けられた教会の聖堂で、先に到着したヤーノシュはヴラドを待ち受けていた。

 父であるヴラド2世とは因縁浅からぬ仲だが、これまでヤーノシュ自身はヴラドと直接会う機会はなかった。

「来たか」

 ガシャガシャという武装した騎士の鎧の立てる音とかすかな馬のいななきが、ヴラドの到着を告げた。

 はたして2度までもこの自分に煮え湯をのませ、串刺し公と恐れられる若者はいかな男であることか。

 鈍い木枠の軋む音とともに扉が開かれる。

 そこに傲然とたたずむ長身の少年を一目見た瞬間にヤーノシュは理解した。

 ――――――この男と決して並び立つことはできないことを。


 おそらくヤーノシュの自分と同じことを考えているだろう、と俺は確信していた。

 この男と手を取り並び立つことはできない。

 互いの相手の息の根を止めた方が新たな世界の地平を切り開くのだ。

 小柄だが戦に鍛え上げられたヤーノシュの丸太のように太い身体は今にも斬りかからんばかりの威に満ち溢れている。

 今ここで確実に俺の息の根を止められると判断すれば躊躇なくこの男は俺を殺すだろう。

 ゲクランとその精鋭を同行させておいて大正解だった。

「あまり父上には似ておらぬな、ワラキア公」

「長くオスマンにて人質として生活しておりましたゆえ、無調法はお詫び申し上げる」

 ちょうど父と息子ほどに年の離れた二人であるが、二人は互いを好敵手として認めあっていたと言っていい。

 かたやハンガリー王国の実質的君主であり、史実においてもペストで早逝しなければ神聖ローマ帝国皇帝の座すら狙えた英雄。

 かたやオスマンの人質から徒手空拳の身でワラキア公国を統一し、圧倒的な戦力差を覆しトランシルヴァニア公国をも征服した男。

 いずれも必ずや歴史にその名を残す男たちだった。

「息子たちは息災にしておるか?」

「つつがなくシギショアラにてご静養中です。ラースロー殿はいささか気が塞いでおるご様子ですが」

「あれは少し根がまじめすぎるものでな。くれぐれも大事のないようお願いする」

「最善を尽くします」

 立会の枢機卿は、二人がいたって友好的であることに心から安堵していた。

 この和平にあってはローマカトリックと正教会の双方から大司教が派遣されており、両者が決裂するようなことがあれば両教会の面子は丸つぶれになりかねなかったからである。

「それではワラキア公国はトランシルヴァニアを領有するということでよろしいか?」

「異議なし」

「引き換えにハンガリー王国はワラキア領であったファガラシュとアルマシュに公都であるシギショアラを領有することでよろしいか?」

「異議なし」

「なおこの和平以後、ワラキア公は北部ハンガリーとの接触を禁ずるものとする。よろしいか?」

「異議なし」

「では父と子と聖霊の御名において、両国の和平をここに承認するものとする。アーメン」

 和平の条件についてはすでに最初から打ち合わせが済んでいる。

 それをわざわざこうしてハンガリーにまで足を運んだのは儀式上の礼でもあるが、何よりヤーノシュという男をこの目で見ておきたかったからだ。

 史実においてヴラドの父、ヴラド2世を暗殺したのは直接にしろ間接にしろほぼ間違いなくヤーノシュの意向が働いているはずであった。

 にもかかわらずモルダヴィアを追われたヴラドが亡命先に選んだのは、ヤーノシュの治めるハンガリー王国であった。

 そこでヴラドは後の正義王マーチャーシュとともに、ヤーノシュの英才教育を受けたとされる。

 軍事指揮官として傑出した才能を発揮したヴラドではあるが、その基礎はヤーノシュの薫陶によって磨かれたものであったのである。

 ヴラドの師として恥じぬだけのカリスマと力量が間違いなくヤーノシュにはあった。

 だからこそヤーノシュはヴラドと戦わずにはおれぬ。

 その確信を持てただけでも俺にとっては十分すぎるほどの収穫だった。

「ワラキア公」

「何かな?」

「先の戦いでフスの戦いを真似たのは公の発案によるものか?」

 正確には俺が採用したのはフスの連結車両による簡易野戦陣地の作成だけではないのだが、ヤーノシュにとって印象的だったのは、やはり長年の敵であるヤン・イスクラの戦術だったらしい。

「……当方には経験のある有能な傭兵が少なくないもので」

 実際のところワラキア公国軍の主力は、まだまだゲクラン率いる傭兵出身者たちである。

 ようやく正規軍としての新兵も育ってきているが質的主力は傭兵出身者であることに変わりはない。

「謙遜せずともよい。傭兵の言葉を容れるのも君主の度量というものだ。だが、これだけは言っておく」

 黒目の大きなヤーノシュの瞳が鷹のような獰猛な視線を向けた。

 俺に向かって宣告するというよりは、まるで自分自身に誓いを立てているように俺は感じた。

「いつまでもあのような異端の戦いが通用すると思うな。所詮万能の戦い方などありはしない。しかし―――王道は存在する。それはあのような根なし草の悪魔の能くするところではないのだ」

 守勢においてフス派の連結車両は無類の力を発揮するが、それはあくまで形勢が悪ければ逃げることを前提にしている。

 火力戦に徹することで局所的な優位を確立するこの戦術は、その一方で攻城戦や敵の野戦軍を打ち破るための攻勢には向いていない。

 だからこそ不敗を誇りながらフス派は、自らの占領領域を広げることができなかったのだ。

 ヤーノシュはそのことを指摘しているのである。

「――――ご忠言ありがたく」

「再び相まみえる日を楽しみにしておるぞ」


 戦場で、とはヤーノシュは言わない。

 しかし再び会うのが戦場以外にはありえないことを、誰でもなく俺自身が承知していた。

 

「とんでもない男を敵に回しているな、我が夫は」

 ローマの中立を保障する意味でも迂闊に姿を現さないほうがよい、と言われて隙間からヴラドとヤーノシュのやり取りを覗いていたヘレナは、考えていた以上のヤーノシュの巨大さに呆れたように呟いた。

 衰えたローマの国力では間違っても敵に回したくない男だ。

 ヴラドという存在がなければ、代わってローマの命運を託したくなるほどの英傑である。

「だがあの男は勘違いしておる。フス派? 我が夫がそんなちっぽけな路傍の石のおかげで勝利を拾ったとでも思っているのか? ――――甘いな、我が夫を嘗めてもらっては困る」

 ヤーノシュよりもヴラドの器は遥かに大きい、とヘレナは確信しているが、心のどこかでいささかの贔屓目があることにヘレナは気づかずにいた。

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