第17話 錬金術師という生き物

 15世紀のワラキアのみならず、欧州や亜細亜全体を見渡しても科学者なる言葉は存在しない。

 もしそれに類するものがあるとすれば、それは究極の生命の秘密を探究することを目的とした、錬金術師と呼ばれる人々のことであったろう。

 もともとは卑金属から純粋な金を産みだすための学問であり、精製の過程で万物の法則を解き明かし永遠を手にしようとした。

 実験ではしばしば化学的な手法が用いられていたが、根本的なところの神秘主義から脱却ができずパラケルススの登場以後も学問としては停滞する。

 とはいえ知識はあれども実践と周辺知識の少ない俺にとって、ギリシャの火の開発にはどうしても彼らの力が必要であった。

 しかし……………

「ふむ! これは実におもしろい!」

「ほう! なかなか興味深い精製だの」

 実験を見守る錬金術師は鼻息も荒く口々に感想を漏らしていた。

 原油を常圧蒸留するとナフサが生成される。

 沸点が低く石油化学製品の原料とされることの多い平凡な石油製品だが、これにパーム油から抽出された増粘剤を加えて、ゼリー状にするとある有名な物質に変化する。

 これがベトナム戦争でアメリカ軍によって使用され悪夢のような戦火の爪痕を残した悪名高い兵器、ナパームである。

 着火すると極めて高い温度で燃焼し、しかも親油性が高いため水をかけても消えない。

 また燃焼する際、近くにある酸素を急速に消耗するため、近くにいるだけで酸欠死しかねないという恐ろしい代物だ。

「おいおい、あまりおかしな真似をするなよ? 気化ガスが引火したら大爆発だぞ?」

「気化………? 水元素が空気元素になることですな?それを防ぐのに土元素を加えるとなると………ふむ」

 まったく四大元素説面倒くせえ!

 遥か紀元前、古代ギリシャの哲学者デモクリトスは万物な微小な粒子で成り立っているという原子論を発表した。

 いったい何をヒントにその結論にたどりついたのかわからないが、はっきりととんでもない発見であった。

 もしこの学説が普及していれば、物理学の発展は数百年早まったかもしれない。

 ところがここでデモクリトスに強力すぎるライバルが現れる。

 形而上学で有名な、おそらくは人類史上最大の哲学者アリストテレスである。

 「万学の祖」などという空恐ろしい尊称が彼の人類史に残した足跡を物語っていると言えよう。

 しかし問題なのは彼が偉大すぎるがゆえに、その誤りもまた後代に受け継がれてしまったということだ。

 アリストテレスは、(アトム)などという目に見えない粒子が万物を構成しているなどとは考えもしなかった。

 彼は万物の構成要素として、土、火、水、空気の四元素と、完全元素であるエーテルからなるという四大元素説を唱えたのである。

 ネームバリューの大きさからか、あるいは可視可能なわかりやすさゆえか、この四大元素説は当時の学者たちの通説として爆発的に広まった。

 錬金術師として著名なあのパラケルススは四大元素説に代わり三原質説を提唱するが、あまり普及することはなかった。

 錬金術師がこの呪縛から解き放たれるには、実にフランス革命直前の1785年アントワーヌ・ラヴォアジェによる水の分解の証明を待たなくてはならなかったのである。

 要するに錬金術師は水銀や硫黄などの各種鉱物の化合などの実験を通し、火薬や塩酸、硝酸などの合成にも成功し、光のスペクトルを解明し、未来の蒸気機関の出現を予言したりもしていたが、その根本となるところが迷信を脱していなかったためにひどく不安定な存在であったのだ。

「うむ………アラビアの三原質を加えることで水元素に対する影響がどうなるか…………」

「いやいや、もう元素の話はいいからこの油をゼリー状にするためのつなぎを見つけてくれよ!」

「……つまり精製された油に粘性を加えたいわけですな? ならば鯨油の脂肪酸を加えればよろしい。量を調節すればお好みで油に粘りを与えられるでしょう」

お前ら、ちょっと知識偏りすぎだろう!

 俺がパーム油の代用品を見つけられなくて、四苦八苦していたのにこいつらいともあっさりと解決しやがった!


「私が思うにやはり水銀に含ませる月の魔力が足りないのでは…………」

「魔力の大きな動物の血ということも考えられるが………」

 現実は魔力とか血とか意味ないんだよ! お前ら知識偏り過ぎだって!

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