第43話 「ダーク・レディ」③

「シュルシュルッ」という不気味な音と共に、真琴の体から舌が抜かれると、小さな体は力なく床に崩れ落ちていった。





「馬鹿な子だねぇ。二階でおとなしく、冷凍になっていればいいものを」

 リビングに腕組みをしながら、再び『ダーク・レディ』が現れた。


「きさまぁ、マコになんてことをしたんだぁ! 早く手当てをしろ! このままじゃあ、死んじゃうだろ〜!」

 真弓は、串刺しになった痛みも忘れて、大声で泣き喚いた。


「どうせ、この子は短い命なんだよ。同じ死ぬなら、母親の手にかかって死んだ方が幸せだろう?」

『ダーク・レディ』がせせら笑った。


「黙れぇ~! お、お母さんが、マコを殺したりするもんか! おまえの方が死んじまえ! うぅ……」


 泣きじゃくりながら、真弓は必死に叫んだ。こんなことを言えば『闇鬼』が喜ぶだけだとわかっていても、もう自分の感情を抑えることなんてできない。

 真弓は指を折り曲げて、突き刺さった手の平を壁から取ろうと、必死でもがいた。


「馬鹿だねぇ。わたしが死ぬということは、清恵が死ぬということなんだよ。まっ、わたしが死ぬわけないけどさ。そんなことより早く戻って、続きをやらなくっちゃ。可愛い沢村刑事が待ってるの」


『ダーク・レディ』は、笑みを浮かべて寝室に戻って行った。

 その態度が、いっそう真弓をイライラさせた。


(くそ~っ! 何とかならないの~! このままでは、マコが死んじゃう。何とか、しなくちゃ! 何とか……!)


 真琴は、床に血まみれになって倒れたままだ。身動き一つしていないから、既に事切れているかもしれない。

 しかし、真弓は最後の力を振り絞るように手の平を壁から抜こうと試みていた。だから、すぐそばに男が立っていることなど気がつかなかった。


「いま、抜いてやる」

 押し殺したような囁きに、初めて真弓は男の存在に気がついた。


「あ、あなたは!」

 びっくりして大声を出しそうになる真弓の口を男が押さえた。

 男は宮脇だった。何と、ラウラをおんぶしているではないか。


「どうして、ここに?」

 真弓がそう思うのも無理はない。宮脇は、ついさっき『ダーク・レディ』の命令で『鬼丸』を警察の金庫に入れるため、出て行った筈だ。


「突然、車内に現れたこのラウラ君に、正気に戻されたのさ。とにかく、この槍を引き抜くのが先だ」

 そう言って宮脇は、ラウラを床に寝かせると、真弓に突き刺さった爪を力任せに抜こうとした。


「ちょっと待て!」

 ラウラが苦しそうに起き上がり、両手の平を寝室に向かって翳して、ブツブツと何かを唱え始めた。


「いまの俺に……できる限りの力を集中して、結界を張っておいた。……これでしばらくの間『闇鬼』にこちらの様子は……わからない筈だ」


 真弓は、寝転がっているラウラを見て唖然とした。

 この間、屋上で見た時は傷だらけだったが、今はそんな生易しいものではなかった。 


 体中がケロイド状に溶けかかっているといってよかった。土色の細い腕や脚の皮膚が、所々、手の甲、足の甲に向かって流れるように落ちて固まっている。


 それでなくても、デコボコの顔なのに、左右高さの違う目は垂れ下がり、鼻の穴は見えない状態。口も爛れて痛々しい限りだった。


 宮脇は、真弓を串刺しにしている爪を耳たぶから引き抜いていった。

「うぅぅ!」真弓の顔が苦痛で歪む。

「もう少しの辛抱だ。我慢しろ!」


 耳たぶの爪は意外と簡単に抜けたが、手の平に突き刺さった爪はしぶとい。宮脇は、壁に片足をつけて踏ん張り、両手で思い切り引っ張った。骨がギリギリと軋む音がする。


「い、痛い……!」思い切り叫びたい気持ちを真弓は必死に堪えた。


 悪戦苦闘すること数分。

「ふ~っ、抜けたぞ」


 宮脇にすべての爪を抜いてもらい自由になった真弓は急いで真琴の元へと膝を床にすりながら、近づいた。手の平からは、血がまた噴き出し始めている。


「マコ! しっかりして!」

 血まみれの真琴を見て、真弓はどうしていいのかわからず、そっと仰向けに寝返りをうたせた。


 真琴は血の気の引いた顔ながら、目を瞑っている。口元に耳を近づけてみたが、息をしている気配がしない。


 ラウラも這いずりながら真琴ににじり寄った。

「真琴……、痛かっただろう。…すまない。俺がもっと早く来られれば」

「うっぅぅぅぅ……」


 真弓は、真琴を抱きしめた。涙が止めどもなく溢れてくる。


 真琴をそっと床に寝かせた真弓はラウラの元へ跪いた。

「まさか、また結界を張られていたの?」


「あぁ。……今度のは強烈だった。何処にも出口がなかった。『鬼丸』を持っている刑事が見えたんで、思い切り結界を突き破ったら、このザマさ」

 ラウラは、真弓に抱きかかえられて起き上がった。


「あとは、俺に任せろ! 真弓はここにいない方がいい」


 本当は苦しい筈のラウラだったが、無理に真顔を作っているようだ。しかし、その顔はますます醜く見えるだけだった。


「生きた人間の肉を食えば、パワーが百倍つくんだけどな」

 ラウラはわざと真弓の嫌がることを言っているようだ。真弓にはわかっていた。


 宮脇は『鬼丸』をラウラに渡しながら「とにかく、機動隊と救護班を呼んでこよう。あとはラウラ君に任せて、早く!」そう言って真弓に向かって手を差し伸べたが。


 真弓はその手を振り払って、ポケットからハンカチを取り出し引き千切った。それを口に咥えたかと思うと、両方の手の平に器用にそれぞれ捲いて、止血してキュッと結んだ。


 そして、ラウラから『鬼丸』を奪うように取り上げると、スッと立ち上がったではないか。ズシリと重い感触が、両手に伝わってくる。

 しかし、掌の痛みでしっかりと握れない。


「真弓……」


 真弓のただならぬ気配を察したラウラが細い腕を伸ばした。

 力の入らない指が真弓の血で滲んだハンカチの巻かれた手を微かに握った。


「オレの右手を両手で包め…」

 ラウラはそう言いながら、今度は左手を思い切り伸ばして真琴のお腹に手の平を乗せた。


 ラウラは目を閉じて何かブツブツと呟いている。するとどうしたことだろう。

 真琴のお腹と背中から床に流れ出ていた血が真琴の体へと吸い込まれていくではないか。

 そして真弓の手の平の激痛もあっという間に消えていった。


「これでよし…。真琴のキズは塞いだ。真弓も鬼丸をしっかり握ることが出来るだろう」

 そう言いながら、ラウラはもたれるように片膝をついている宮脇に自分の体をあずけた。

『お兄ちゃん、ありがとう…」

 真弓はスックと立ち上がった。




(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)

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