第32話 「賽の河原の奪衣婆(だつえば)」③
二人が振り向くと、ラウラが立っているではないか。眼球がなく、腹に汚い包帯を巻いている。
「この野郎!」
沢村は、ラウラを殴ろうとしたが、手が動かなくなった。
「今は争っている場合じゃない! あの時はああするしか方法がなかったんだ。真弓は違う場所で魂だけは生きている、安心しろ」
ラウラが左右本数の違う指を動かしながら、話し始めた。
「おまえたちは運悪く、現場に居合わせてしまった。このままではまずいのだろう? 人間は、驕り高ぶった生き物だからな。自分たちの学習能力を超えた話は信じないだろう。だから、提案しよう。いまここで隠蔽工作をしてやる。少しは、この状況を撹乱できる」
ラウラはそう言うと、細い腕を伸ばして、手の平をあっちこっちに翳し始めた。すると、どうだろう。真弓と安良岡の倒れている周辺に、無数の足跡が浮き出てきたではないか。
ラウラは、そのまま破壊された談話室へも手の平を向けた。
「あの壊れた部屋に、ロケット弾の残骸をばら撒いておいた。どんな現場検証になるかな? ケケケ……。楽しみにしてろ」
ラウラは振り返り、今度は沢村と宮脇に手の平を向けた。すると、突然今まで見えていたはずのラウラの姿が二人の視界から消えた。
「俺の目玉を返してもらった。俺の体は見えなくなったと思うが、俺の存在を忘れるなよ。このあとの『闇鬼』退治には力を貸してもらうからな。じゃあな」
「お、おい!ちょっと待て!」
沢村は、何処にいるかわからないラウラに向かって大声を上げた。
「天宮は、本当に生きているのか? ならばいつ生き返る? この少年を生き返らせることは無理なのか?」
「そうだなぁ……。真弓は、俺の世界を少し案内してからだ。……その小僧は、無理だよ。今頃『
「なに? ソウズカ? 何だ、それは? おい、何とか言え!」しかし、二度とラウラの声は聞こえてこなかった。
宮脇が不安げに沢村の顔を見て呟いた。
「こんなこと、誰も信じませんよ。あんなETのでき損ないみたいなのは出てくるし、現場を余計、メチャクチャにされたような……」
「いや、あの化け物なりに考えてのことだ。意外といい奴かもしれないぞ。それよりも、そろそろ救急車や機動隊が到着するだろう。俺はここであったことを上手く脚色して報告する。宮脇、おまえは俺の言うことに口を出すなよ。何を聞かれても、気絶していた、で押し通せ! わかったな?」
夜空を見上げていた沢村は、舌打ちして現場検証の人の動きに目を移した。
「ロケット弾の残骸が破壊された部屋で確認されましたが、どうやら日本製ではないようです」
(あの化け物、何処から残骸を持ってきた?)
「検視の結果、変死した少女の司法解剖を申請します」
そんな言葉が、沢村の耳に飛び込んできた。宮脇も一瞬、目が飛び出るような不安な表情を隠せない。
そりゃそうだ。犯罪による疑いのある死体であれば『司法解剖』するのはあたり前だ。
(しまった!)と沢村の表情も曇った。現場のことばかりに気を取られて、肝心な事を忘れていた。
『司法解剖』となれば、真弓の体はバラバラにされてしまう。外部損傷もなく,なぜ窒息死したのか、変死体と判断された真弓の体を調べるのは当然のことなのだ。
体のきれいな部分も解剖されてしまう。外傷のない頭部であっても、頭蓋骨はノコギリで切り開かれ、脳は取り出されて調べられてしまう。
(何とか時間を稼がなくては!)沢村は動揺した。
(体がバラバラになってしまっては、魂の戻る場所がなくなる!)
自分の体がバラバラになるとも知らない真弓は、ラウラに置いて行かれないように、ひたすら闇の中を歩いていた。
グレーの空を見上げても、星ひとつ見つからない。雲が何処までも広がっている感じがした。
ふと、自分のすぐ上にモヤモヤとした煙のようなものが立ち昇っているのに気がついた。
ラウラに聞くと、それは自分の頭から出ている「命の管」だそうだ。
「いま真弓の体は『命の膜』で覆われている。それが、頭から細い管になって人間界に続いているんだ。もしこの管が切れたら、真弓は死んだことになる」
ラウラはそう言って、高さが違う、互い違いの目を細めてニヤッと笑った。
(不気味な奴!)真弓は心底、そう思った。
「そういえば、安良岡君はどうしたの? 彼は助からないの?」
息を切らせながら、真弓が聞く。
「あいつは、死んだ」
ラウラの声が、冷たく感じた。
じゃあ、彼がわたしを殺して自殺したことになってたらどうするの? あそこにいた刑事さんたちは、きっとそんな証言 をするわ」
「大丈夫だ。あの刑事たちには、俺の姿も『闇鬼』の存在も見せておいた。『闇鬼』に憑依されていた安良岡を犯人にするようなことはない。それに知っているか? 安良岡は、おふくろと妹の三人暮らしだ。兄貴が犯罪者になっちまったら、どうなる? 俺はおふくろと妹を悲しませるようなことはしたくねぇ!」
この時、ラウラが言った「おふくろ」という言葉が、真弓には妙に引っ掛かった。
(ラウラのお母さん……。きっとすごい顔をしてるんだろうなぁ)
ところで、さっき『葬頭河』を渡る船の中に、安良岡がいたぞ。おまえに『仇をとってくれ』と手を振っていた」
「!!!!」
真弓は、胸がキュンとなった。
暫く歩くと、突然目の前に、木でできた汚い掘っ立て小屋が現れた。
「ここにオババがいる。何か食おう」言うが早いか、ラウラは細い手で今にも壊れそうな玄関の戸を押した。
「アニ・マニ・マネィ!」
ラウラが突然、聞いた事のないような奇声を発した。これが本当のラウラの言葉なのか?
「ママネィ・シレィ!」小屋の奥で、しわがれた声がする。
ラウラに続いて、真弓は恐る恐る小屋の中に足を踏み入れた。
「これが俺のオババだ。よく来た、って言ってる」
目の前には、ガリガリに痩せて、頬骨のこけた皺くちゃなお婆さんが立っていた。
肩まで垂らした長い髪の毛は、何十年も洗っていないくらい艶がなく、白髪と黒い毛が入り交じっていた。
着ている鼠色のボロボロの着物は、ところどころ継ぎがあたっていて、はだけた胸からは、これまた皺くちゃな乳房が見えそうだった。
「よう来た、よう来た。ほれ、こっちにおいでの」
ラウラからオババと呼ばれているこの人物は、10畳ほどの部屋の隅で何やら料理をしているらしい。湯気がモクモクと上がっていた。
玄関から一段高くなった部屋の真ん中には、木をつなぎ合わせて作ったような四角いお膳が置いてあり、その周りに4枚のボロボロのゴザが敷いてある。
「ラウラ、このお婆さんは何ていう名前なの?」
真弓が小声で聞いても、ラウラは首を捻るだけで黙っている。そんなこと今まで、考えたこともなかったらしい。すると、オババがそれに答えた。
「俺は、おまえたち人間の世界では『
「ダツエバ?」
真弓は聞き返した。聞いたこともない名前だった。
「そうじゃ。人間界では、俺が『死人の着物を剥ぎ取って、衣に現れたその者の業の重さを量る恐ろしい婆』となっているらしいがの。それは何かの間違いじゃ。この世界へ迷い込んだ人間が、俺のやっている事を見間違えたんじゃ。死出の旅路に出ようとしている死者が、あまりにボロボロの着物を着ていたのでなぁ。着物を脱がして、繕っているところをの」
「このオババは、良いオババだ。俺を育ててくれたからな」
ラウラが珍しく胸を張る仕草をした。
(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)
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