第30話 「賽の河原の奪衣婆(だつえば)」①

 風もなく、微かな空気のこすれ合う音すら聞こえない闇の中。

 小さな石、大きな岩がゴツゴツと敷き詰められ、草木一本生えていない何処までも続く荒れ果てたそんな場所に、真弓はただ一人、呆然と立ち尽くしていた。


 まるで自分の存在すらわからないような雰囲気で、辺りをキョロキョロと見回している。


「ここは一体何処なの? なんでわたし……こんな所にいるの?」


 以前どこかで見たような景色に、何かを思い出そうとすると、頭が割れるように痛くなる。

 真弓は、両手で頭を押さえて跪いた。ゴツゴツとした石ころが、膝に食い込む。それでも真弓は、動かなかった。


 目をそっと瞑ると、顔も体も傷だらけの男の子の姿が浮かび上がってくる。

(ラウラだ!)

真弓は、急いで立ち上がった。


「わたしは、ラウラが起こしたつむじ風に巻かれて、そして……、息が出来なくなった!」


(まさか『闇鬼』がいるの!?)

真弓の体が一瞬固くなったが、周りには誰もいない。暗く淋しい荒野が広がっているだけだ。


(もしかすると、竜巻に巻き込まれて、どこか遠くの町へ吹き飛ばされたのかもしれない)


 真弓は、小学生の時に家族で見に行ったミュージカル・「オズの魔法使い」の少女ドロシーを思い出していた。


(きっと、脳なし案山子やブリキの木こり、臆病なライオンに巡り会えるのかもしれないわ!)と、頭の中に童話の世界を広げていった。


 少しでも楽しいことを想像しないと、こんな場所に一人ぼっちでいる自分が、淋しくて、怖くて、可哀想で、仕方がなかったのだ。


 でも、いくら希望を膨らませてみても、誰一人として目の前に現れない。たまに生暖かい風が「ヒュ~ッ」と、髪を梳かすだけだ。


 こうしていてもしょうがない!真弓は、気合いを入れて歩くことにした。

 何処へ行けば良いのかわからない。とにかく、一本の木すら生えていない闇の世界なのだ。もちろん、月など出ていなかった。


 しかし、目が暗さに慣れてくると、遥か遠くの地平線が見えてくる。グルリと360度の地平線が広がっていた。

 これはスゴイ!と、正直思った。

 宇宙の中に唯一人で立っているような気分になった。

 

 気持ちが落ち着くと、五感が冴えてくる。今まで聞こえなかった音が耳に入ってきた。

 どうやら、近くで川が流れているようだ。


(飲めるくらい綺麗な川の水だったらいいけど……)

 真弓は、音のする方向へ足早になった。すごく喉が渇いていることに気がついたのだ。


 上り坂も下り坂もこの世界では、歩くことが苦にならない。

 気をつけるとすれば、大小のゴロゴロとした石に躓かないこと位だろう。

 川までは難なく着いた。

 そして、唖然とした。


 ナント巨大な川なのだろう。向こう岸が見えない。まるで海のようだ。

 流れる早さも違う。目の前はゆっくりとした流れかと思えば、その1m先は急な流れになっている。


 真弓は川の色にも驚いた。水色に輝く場所もあれば、夕焼けのようにオレンジ色の箇所もある。真っ黒なブラックホールを思わせる流れの隣は、燃えるような赤だった。


 川全体が虹のように色とりどりだった。

これでは、水を飲むどころではないな、とあきらめかけた途端、忘れていた記憶の切れ端が甦った。


「すまない……死んでくれ!」と言ったラウラの言葉だ。


 真弓はゾッとして、自分の体に両腕を回し「一人抱きかかえ」る格好をした。


 その途端、不意に誰かに背中を叩かれた。飛び上がるくらい驚き、恐る恐る振り返ると、そこに立っているのはラウラだった。

 ラウラは、腹全体に包帯を巻いている、といっても、普通では考えられないほど薄汚れた包帯だった。


「ねぇ、ここ何処?」

真弓は、自分の考えが間違っていることを願いつつ、ラウラに訊いてみた。


「ここは、俺の住んでいる世界だ」

ラウラは無表情で答えた。

「何処にあるの?」

「人間たちが『賽の河原』と呼んでいるところだ」


「『賽の河原』? 地獄……なの!」

真弓の顔が引き攣っている。

「違う。ここは、霊界へ行く入り口だ」

ラウラはそう言って、川を指差した。


「たくさんの死者が船に乗ったり、橋を歩いたり、川を泳いだりして向こう岸へ渡っている」

 ラウラはそう説明するのだが、真弓には何も見えない。

 それよりも、ここが霊界の入り口というのはどういうことなのか?


「まさか! ……まさか、わたし死んじゃったの?」

真弓の問い掛けに、ラウラは首を振った。

「だったら、早く元の世界に戻してよ! 何でわたしをこんな所に連れて来たの?」

 真弓は我を忘れて、ヒートアップしていった。


「ラウラは、あの時わたしに『死んでくれ』って言ったでしょ! こういうことだったのね! わたしをあなたの住む世界に連れて来たかったのね! どうしてよ! どうしてわたしを殺したの!? わたしを、早く家に帰して! 帰しなさいよ!」


 真弓は叫びたいだけ叫ぶと、何かを思い出したように顔を強ばらせた。


「あの時『闇鬼』は、ラウラのことを仲間だって言ってた。まさか本当にそうなの? わたしを騙してここへ連れてくるのが目的だったの?」


「違う! あの時は、こうするしか手はなかったんだ! さもないと『闇鬼』は真弓に憑依していたんだぞ!」


 ラウラが珍しく大きな声を上げた。その途端、腹の傷が割けたのだろうか。包帯が赤く染まってきた。


「いいか、真弓はまだ完全に死んでいない。その証拠に、あの葬頭河そうずかを渡っている死者の姿が見えないだろう? 今は、『半死人』のようなものだ」

 涙をいっぱい溜めた真弓は、ラウラの言葉を黙って聞いていた。


「俺は、真弓が憑依される瞬間に『闇イタチ』という風を起こして、防いだ。あの風には、俺流の結界も張ったから、奴の『闇細胞』の一つ一つに小さな結界がこびり付いている。これが取れない限り、奴は次の人間に憑依することは出来ないんだ。でも、それは真弓をここへ連れて来るという結果になってしまった。悪いと思っている」

 ラウラは、高さの違う細い目を瞑って、ペコリと頭を下げた。


 そういうことだったのか……。真弓はとりあえず納得したが、この世界に長居はしたくない。

 その事を告げると「もちろんだ! とにかく俺たちは、真弓の住む世界に戻って『闇鬼』をやっつけなくてはいけない。でも、それには少し時間が欲しい。もっともっと『闇の力』をつけないと、あの野郎に勝つことは出来ない」

 ラウラはひん曲がった唇を悔しそうに噛んだ。


「取り合えず、オババの所へ行こう。腹が減っているだろう? 何か食わないと……。『腹が減っては戦は出来ぬ』って、ことわざ事典にも書いてあったからな」


 ラウラはそう言って歩き出した。

 真弓も石に躓きながら、置いて行かれないように、ラウラのうしろ姿を追った。

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