第25話 「闇鬼・第2次遭遇/真弓の死」①

 刑事たちがいなくなったリビングで、真弓の体を何とも言えない虚脱感が支配していた。


 喋りすぎた!きっと何も信用してくれかったに違いない。刑事とはいえ、見ず知らずの人間にあんなこと言ったって、信じるわけがない。


 せめて、録画しておいた映像で説明ができれば良かったのに……。

 何で録画した映像が、消えてしまったんだろう?


 (とにかく疲れた~)剣道の稽古でも、こんなに疲れることはない。

 真弓は、伸びをする元気もなくリビングを出た。清恵と真琴が寝ている両親の部屋へ行くためだ。


 (刑事が来たことをお母さん、勘づいてないかな?)


 沢村と宮脇が帰ったあと、勝彦が夕飯のおかずを買ってくると出かけたのだが、その折り「刑事が来たことはお母さんに言ってないからな」と告げられた。

 具合の悪い清恵に余計な心配は掛けたくない、という勝彦の配慮だった。


 「お母さん、入るよ」そっと襖を開けた。

清恵も真琴も眠っている。真琴など、清恵にくっつくように熟睡していた。

 エアコンをドライに設定しているのか、やわらかな風が頭の上を通り過ぎる。


「もうお友達は帰ったの?」清恵が薄目を開けて、真弓に顔を向けた。

(お友達?美香のことかしら)

「あっ、ごめんね。起こしちゃった?」

 真弓はそっと清恵の枕元に座りながら、帰ったよ、と告げた。


 刑事が来ていたことは、やっぱり知らないようだ。お母さんが元気になったら、話せばいいや。


「夏バテかな、疲れが出ちゃったんだね」と、真弓は話を変えた。

 清恵の顔色は、一昨日よりもいい。少しやつれているものの、頬に赤みがさしている。


「ねぇ、真弓。お父さんから聞いたんだけど、あの犯人、自殺したんだって?」

 母の問いに真弓は頷いた。

「そう。……良かった」少し頬のこけた清恵の顔が、ほころんだように見えた。


(あいつは死んでも『闇鬼』はまた誰かに憑依して、悪事を繰り返す。そして、いつかわたしの家が狙われるんだわ)


 なぜそんな理不尽な事が起こるのか、真弓には皆目見当がつかない。ラウラもなぜか教えてくれないまま、消えてしまった。

 あれから、姿を現さない。


「起こしちゃって、ごめんね。もう少し寝たら?」

 真弓は、真琴のおでこを擦りながら、可愛い寝息を立てている尖がった口を指でつついてみた。よく寝ていて、起きるどころではない。


「そうね、そうさせてもらうわ。夕方には、起きるから……。ううん、大丈夫よ。せっかく真琴が退院してきたんだから、この間できなかった、わたしの誕生日の続きをやりましょうよ。真琴の好きなカレーでも作ってあげようかしら」



 その夜は「真琴快気祝い&お母さんのバースデー・カレー・パーティー」となった。

 勝彦がジャガイモ丸ごとカレーを作れば、清恵がシーフードカレーを作った。対面式のため、キッチンで作ったカレーのニオイがリビングに流れやすく、充満してしまう。

 真琴が「カレーミュージアムみたいだね」と手を叩いて喜ぶ姿がやけに眩しく映った。


 真弓が、林檎ジュースやカルピスや牛乳を混ぜて「トロピカル・カクテルジュース!」などと言って振る舞えば「これは意外とイケル!」と言いつつも勝彦は、ビールを飲みながら余計味を分からなくしていた。


 久しぶりに笑い声の絶えない、幸福な時間が過ぎていく。まるでこれが真弓たち家族にとって、最後の団欒となるかのように……。

 ほんのひと時、真弓の頭の中から『闇鬼』の『ヤ』の字も抜けていた幸せな瞬間だったと言っていいだろう。


 真弓が空になったスープ皿を運ぼうとしている時だった。

「真弓!鹿間君から電話だぞ」という勝彦の声に、一瞬背筋に冷たいものが走った。

(まさか、鹿間君になりすました『闇鬼』!)子機を受け取った真弓の手が、心なしか震えてしまう。


「……、もしもし……。電話、代わりましたけど……」

 リビングを出ながら、真弓は囁くように口を開いた。


「あっ、こんばんは。ごめん、こんなに夜遅く。今、大丈夫?」

 それは、まぎれもなく鹿間の声だ。しかし、真弓は口を開くのを躊躇った。やはり、怖い。

「もしもし!ねぇ、どうしたの?俺の声、聞こえる?」鹿間が受話器の向こうで叫んでいる。


「あのさ……。あなた、本当に鹿間君? 何か証拠ある?」真弓は恐る恐る訊いてみた。

「あたり前だろ! 俺は、黒辺高校、超常現象研究会部長・鹿間菅生です! どうしたの? いったい。この間、図書館であった時に『闇鬼』について分かったら連絡入れるって、約束したじゃないか」


(あっ、本物の鹿間君だ!)真弓はホッとした。もし『闇鬼』だったら、あの時の鹿間との約束を知るわけがないし、自分から『闇鬼』なんて言う筈がない。真弓はやっとで緊張感から解放された。

「ごめんね、いろいろあってさ。変なこと言っちゃった」


 真弓は、自分の部屋で体育座りをしてリラックスした。これが一番、落ち着く姿勢だ。

「まあ、いいや。『闇鬼』についてわかったんだよ。正体が!さっき、超常現象ネットの人がメールくれたんだ。それを俺なりに分析してみた。すると、意外なことが判明してさ。すぐに見せたいんだけど、電話じゃ上手く伝わらないと思うんだ。これから会えないかなあ? 今、7時半だから8時に図書館で待ってるよ」


 これには、真弓もびっくりした。鹿間君って意外と強引だ。

「明日じゃ、ダメなの?」楽しかった夕飯の余韻をもう少し味わっていたい。

「ごめん。それが、明日からイギリスへ行くんだ」鹿間の一言に、さすがの真弓も驚いた。


「ま、まさか、ネッシー!?」

「そうさ。スコットランドに行って、ネス湖に泊り込みだ。ばっちり、ネッシーの写真を撮ってくるからさ」

 鹿間は本気なのだ。でも、大学の受験勉強はどうするの? 真弓は自分のことのように、心配してしまった。


「だから、今日じゃないと天宮さんに会うのは、2週間後になってしまうんだ。それで良ければ、いいんだけど」


「わかった! 会うわ! 8時に図書館ね。うん、うん、わかった。エントランスから、裏に上がった2階の広い所ね。忙しいのに、どうもありがとう。じゃあ、後でね」

 電話を切ると、真弓は急いで大好きなリラックマがプリントされているTシャツに着替えた。


 勝彦と清恵の心配をよそに「鹿間君に図書館で会って来る! すぐ帰ってくるから!」と言って、飛び出していった。


(普通に行っても、8時5分前に着くわ)そうは思うものの、『闇鬼』の正体が分かると聞けば、自然と足早になってしまう。

 真弓は、待ち合わせの時間より10分も早く、図書館のエントランスに到着した。


 そこは2本の大理石でできた円柱があるが、その右奥に大きく左に弧の字を描いた広い階段がついている。

 そこを上れば、2階の踊り場に出る。


 ここはこの前、鹿間と話をした談話室に続いている場所だ。談話室からこの踊り場へ出られるようになっているところだった。

 夜は図書館の利用もない。というより、今日は休館日だった。それでも外灯が、2つポツンと灯っている。


「ザワザワッ」と、風が図書館の周りの樹を静かに揺すり始めた。

 夜空には、満天の星が輝いている。このまま眺めていると、宇宙に吸い込まれていくような気持ちになってしまう。

 真弓は、大きく伸びをして腕時計を見た。もうすぐ、約束の8時だ。


 当然、階段を上ってくるのかな、と思ってそちらを見つめているのだが、来る気配がない。5分経ち、10分経ち、もうすぐ15分が経過しようとしている。

 おっかしいなぁ。何かトラブッてんのかなぁ。


 真弓が再び、腕時計に目をやったときだ。誰もいない談話室の方角から、足音が聞こえてきた。

 もちろん、談話室は真っ暗だ。室内に光る非常用ライトが、微かな緑色の蛍光を発しているぐらいだった。


 聞き間違いかな?と思ったが、確かに「コツッ、コツッ」という靴音がする。

 真弓は、背筋が寒くなった。少し後退りしながら「誰っ!誰かいるの?」と叫んでみた。


 何かが動いた。真っ暗な談話室を誰かがこちらに向かって歩いて来る。

(誰!?)真弓は、戦慄が走る前に大きな声が自然と出ていた。

「誰なの?出てきなさいよ!」


「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン!」

 何と、談話室のドアを開けて出てきたのは、アニメオタクの安良岡ではないか。

 相変わらず丸い顔に髪の毛をだらしなく額に垂らし、ズングリとした体でエヘラエヘラと笑っている。


 腰が抜けそうになった真弓は、安良岡をキッと睨んだ。

「ちょっと、脅かさないでよ!」

 真弓は安良岡に向かって、一言そう言うと、しかし安堵の表情を浮かべた。


 彼なら別に心配はない。気味は悪いが、いつものっそりしていて、人畜無害という感じだからだ。きっと、鹿間君に呼ばれたんだろうと思い聞いてみた。


 しかし「違うよ~」とニヤニヤ笑うだけだ。ちょっと、薄気味悪くなってきた。


「わたし、帰る!」真弓がそう叫んで、安良岡に背中を見せた時だ。

 背後から「天宮さん、だめだよ帰ったら!せっかく『闇鬼』の正体を教えようって言うのに」と、鹿間の声が聞こえてくるではないか。


 真弓はびっくりして振り返った。しかし鹿間はいない。いるのは安良岡ただ一人だ。

 すると、安良岡が口を開いた。


「そんなびっくりした顔しないでよ。体は安良岡だけど、声は鹿間だろ」

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