第23話 「沢村刑事 VS 天宮真弓」②
(この娘、電話のことを聞いた途端、動揺したぞ。やはり、何かあったな。それにしても、なぜ携帯が掛かってきたことを素直に認めないんだ?もしかすると、脅迫されているのかもしれない)
沢村は、家の前で話をしていた立花美香について話を聞こうと思った。そこからじっくり、携帯について問い詰めてみよう、と作戦を練っていた。
その時真弓は、沢村と木刀で戦う方法を考えていた。
いま自分がいる位置なら、手を伸ばせばドアノブに届く。ドアを開いて0.5秒。ドアを盾代わりにして、その隙に木刀を握って0.5秒。
その場で振りかぶっても、玄関の庇に木刀が当たってしまうから、それを避けながら『闇鬼』に向かい合う体勢をとるのに0.5秒。
すぐに面を打てば、すべてを2秒以内で完了できる。
(よしっ!)
次に『闇鬼』が質問してきた時が勝負だ。
真弓は、手の平に浮かんできた汗をショートパンツでそっと拭った。
「では、今ここに居たお友達についてお伺い……」
(いまだ!)
真弓は頭に描いていた通りの動作でドアを開き、同時にドアを盾代わりにして、木刀を握った。
(しめた!)
上手く木刀が手の平に吸い付いた。そのまま、身を屈めるようにして、沢村に相対した。
真弓は電光石火の如く、木刀を振りかぶり、そして沢村の眉間目掛けて振り下ろした。
「死ねぇ~! 闇鬼―!」
「シュン!」と空気を切る音がして、木刀が沢村の脳天に振り下ろされる。
その瞬間、沢村は体をちょっと捻って、木刀を両手の平で挟んでしまった。
(真剣白刃取り!)真弓は、初めての経験だった。
手の平にすっぽりと挟まってしまった木刀は、引いても押しても取れない。まさに両手の平に木刀が吸い付いてしまったようだ。
もちろん、沢村は正面で受けたのではない。左に体をかわして、木刀の流れに逆らわず、包み込むように手の平に納めたのだ。
この時、沢村は真弓の動きをすべて読みとれるほどの時間的余裕があった。
真弓が突然ドアを開け、その影に真弓が消えて、木刀を振りかざして出てきても、沢村の位置は変わっていない。動いているのは、真弓だけなのだ。
「すごい早業だ。でも、まだまだ甘いな。動きをすべて相手に読み取られているぞ」
沢村の言葉に、真弓は悔しさのあまり歯を食いしばっていた。
「こらっ、何をしているんだ! 真弓!……こ、これは、一体どうしたんだ?」
玄関先の騒ぎに、何事かと勝彦が家の中から飛び出してきた。
宮脇と警官も転びそうなくらいの勢いで、駆け出して来る。
沢村は、そっと両手から木刀を離し、笑みを浮かべているが、真弓はこの場をどう収拾していいのかわからず、木刀を握ったまま固まってしまった。
「ほ、本当に申し訳ありませんでした。刑事さんとは知らず、家の娘がご無礼をしてしまいまして。こら、真弓! 謝りなさい!」
リビングで勝彦が目くじらを立てている。
具合の悪い清恵と退院してきたばかりの真琴を気遣って、勝彦は今日一日、会社を休んでいたのだ。
「すみませんでした」と言ったものの、真弓はどうも納得がいかない。
(本当に『闇鬼』じゃないのかな)と思いつつ、ペコリと頭を下げた。
「こら、そんなお辞儀の仕方があるか!」
無理矢理真弓の頭を押さえ込もうとする勝彦を、沢村が制した。
「天宮さん、もういいですから。突然、目の前に現れた男から警察手帳なんか見せられて、お嬢さんは気が動転したんですよ。悪かったね。いろいろなことがあった後に、驚かせてしまって」
沢村は何かを含む言い方をした。もちろん、真弓の顔色の変化を見たかったからだ。
案の定、真弓の顔は強ばった。
(この刑事さんは、一体何を知っているんだろう? 何でわたしに携帯が掛かってきたことを知っているの?)
その後、沢村は真弓の疑問に答えるように、2人に事の次第を告げた。
(容疑者が持っていた携帯は、立花美香のものであり、あの時、容疑者がどこに携帯を掛けていたかを調べている。何か心当たりはないか?)というだけに留めていた。
当然、勝彦の妻であり、真弓にとっては母親である、天宮清恵の過去については触れずにいた。聞けば清恵は、昨夜より臥せっているというではないか。
(やはり28年前に自分を暴行した男の姿を、テレビで見てしまったせいだ。それになぜ清恵の具合が悪くなったのか、勝彦にはわからないらしい。ということは、清恵は自分の過去を誰にも喋っていないということだ)
リビングを見渡せば、テーブルの上には、薔薇の刺繍の可愛いテーブルクロスが敷いてある。Kiyoeとイニシャルが入っているので、きっと清恵が自分で縫ったのだろう。
アンティークな小さな食器棚の上には、二人の子供(真弓と真琴)が笑いながら、手をつないでいる写真立てが飾ってある。
この時、沢村は今まで関わってきた何十件もの性暴力の被害を受けてきた女性たちの顔を思い出していた。
被害を受けた多くの女性が心の傷が癒えずにいた。生きていることに喜びを見出すことが出来ずに自ら命を絶ってしまう女性もいた。
社会復帰できる女性はひと握りだ。
しかし、沢村はKiyoeと刺繍されたイニシャル、そして子供たちの笑顔からひとかたならぬ清恵の決意が伝わってきた。
このような幸せな家庭を築くのに一体どれだけのエネルギーを使ったことだろう。
暴行という忌まわしい過去を振り切り、こんなに幸せな家庭を築いた清恵に沢村は、敬意を表したい気持ちでいっぱいになった。
そして、いまは床に伏せってしまった清恵を不憫に思うと同時に、是が非でも真弓に掛かってきたであろう携帯の内容を知りたくなった。
それで、この事件の行き先が見えてくる。すべてが終わるかもしれないし、それとも……。
そこで沢村は、勝彦にこんな事を切り出した。
自分は、剣道を中学の頃から現在も続けているが、お嬢さんのような鋭い打ち込みになかなか出会ったことがない。しばし仕事を忘れて2人きりで、剣道談議でもしたいのですが、いいでしょうか?
勝彦は、二つ返事で了承した。相手は刑事だし、2人きりにしても別に問題はないと思ったし、受験や秋の県大会を控えた娘に、他人の、それも刑事さんという職業を持つ人の話を聞くのも良い社会勉強になると思ったからだ。
しかし、これに強く反発したのは真弓だった。沢村が、まだ『闇鬼』でないという確率はぬぐい切れない。もしも2人きりになって、本性を出されたらどうする?
ふと隣にいる宮脇が目に止まった。
真弓は、宮脇の同席を求めた。『闇鬼』が2人に憑依することは、無理だろうと踏んだのだ。
(あ~、こんな時にラウラが居てくれたら、きっと『闇鬼』の見分けがつくのに)
リビングには、テーブルを挟んで真弓と沢村、宮脇の三人が相対した。
まず沢村が口を開いた。
「それでは、剣道の話でも……と、いきたいところなんですが、実は、真弓さんにお伺いしたいことがあって、お父さんには嘘をついてしまい、この場を設定しました。気分を悪くされたら、許してください」
沢村は、ソファに腰を下ろしたままだが、足を広げて深々と頭を下げた。
(あれっ? この人、意外と礼儀正しいかも。嘘をついたこともあっさりと認めたし……。もしかすると、本物の刑事さんかもしれないわ)
真弓は、今まで自分が描いていた『沢村=闇鬼説』が少し揺らいできた。
この時、沢村は自分のワイシャツのポケットを指でつつくような動作を繰り返し、宮脇に向かって目配せをした。
そして真弓に向かって「一応会話の内容を録音させていただきたいのですが、よろしいですか?」と断りを入れた。
真弓は別に録音されて困ることはないし……、と録音を承諾した。
「あの事件の容疑者がご友人の携帯電話を持っていた、ということは先程お話した通りです。テレビにも映っていましたが、あの場で容疑者はどこかに携帯を掛けていた。一体どこへ掛けていたのか、我々警察はそれを調べている所なのです。何か犯罪に関係することであれば、我々としては、未然に防がなくてはなりません。第二、第三の殺人を起こさせないためにもです」
真弓は「はい」と小さく頷きながら、最近、警察の初動捜査の遅れで、殺人事件に発展してしまった秋田の『幼児連続殺人事件』を思い出していた。
それにしても、真弓には腑に落ちないことがある。少し首を傾げていた。もちろん、沢村はそれを見逃さない。
「何か、ご不明な点でもありますか?」
そこで真弓は、臆することなく質問をしてみた。
「はい……。あのぉ、さっき玄関では、刑事さんに『容疑者の持っていた携帯から、電話が掛かってきませんでしたか?』って訊かれた気がしたんですけど……。何で、わたしのところへ携帯が掛かってきたってわかったんですか?」
(この子、自分の所へ携帯が掛かってきた事を認めたな)沢村は、笑みを浮かべながら真弓を見つめた。
「データが残ってますからね。発信履歴を見れば、わかります」ここまでくれば、こんな嘘は屁でもない。沢村は平然と答えた。
「そうですよね。簡単にわかりますよね」真弓は顔を赤らめて下を俯いた。
(何て馬鹿な質問したんだろう。恥ずかしい!)そう思うと同時に、やはりあの時の電話は『闇鬼』だったんだ! と、体中に戦慄が走った。背中に氷を押し付けられたように、ゾクゾクした。
「それで犯人は、どのような内容を喋ったのでしょう?」
「はい、それは……」真弓は口ごもった。まさか、美香の声色を使って『闇鬼』が掛けてきたとは言いづらい。頭がおかしいと思われてしまう。
なかなか返事をしない真弓の顔を、沢村は少し覗きこんだ。
(似ている。目がクリッとした二重の瞼など、そっくりだ。もしも杏子が生きていれば、丁度この子くらいの年齢だろう)
沢村はそんな事を考えながら、仕事も忘れて真弓を見つめていた。
「えっ!」ふと目の前の沢村と目が合った。無精髭を生やし、野性味溢れる男だが、意外と目が綺麗なのにびっくりした。
「いやだなぁ。2人ともお見合いじゃないんだから、もっとリラックスして下さいよ。そんなに見つめられたら、天宮さんだって話したくても話せませんよ。ねぇ」
宮脇は、何とかこの場のお堅いムードをほぐしたくて、そんな事を言って笑った。
沢村は、チラッと宮脇を睨む仕草をして、ソファに深く座り直して足を組んだ。
真弓が沢村へ対する警戒心を少しずつ解いていったのは、この時だったかもしれない。
(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日に更新予定です)
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