第10話 「真琴とラウラ」 ①
今朝、事故を起こしたダンプは居眠り運転だったそうだ。ブレーキも掛けず、赤信号に突っ込んだらしい。
そこに運悪く赤いスポーツカーがやってきて「ドカン!」だったのだ。スポーツカーは大破。にも関わらず運転していた学生は、腕の軽い骨折で済んだ。
実はラウラが突風を起こして激突する衝撃を抑え、若者を守ったのだった。
そうとも知らない真弓は目の前で命を落とす人が出なくて良かった、とホッとしていた。
黒辺高校も今日で1学期が終わり。明日から夏休みだ。真弓は真琴が入院している病院に行くためバスに揺られている。
あの時、ラウラに無理矢理降ろされなければ、今頃どうなっていたか。きっと真琴と一緒に姉弟揃って入院となっていたことだろう。そんなことを考えるとゾッとした。
つい周りをキョロキョロしてしまい、バスの進行方向がやけに気になった。
「ナッ、俺の言うこと聞いて良かったろ」
ラウラだ。慌てて声のする方を見た。すると、ラウラがバスの床に足を広げて、ぬいぐるみのように座っているではないか。
乗客は真弓を入れて5人しかいなかったが、誰もラウラに気がついていない。ラウラを見ることが出来るのは、自分1人のようだ。
夕べはラウラの存在が半信半疑だった真弓であったが、今ではそれを肯定する以外ないと思っている。
ラウラは不意に立ち上がり、バスの揺れをものともせず(まるで宙に浮いているように)真弓に向かって歩いてくる。そして、隣にちょこんと座った。
背丈は真琴と変わらない。小学校2年生くらいだ。真弓は心の中で問いかけてみた。
(君の姿は、わたしにしか見えないの?)
「うん、俺の声も姿も真弓だけのもんだ」
左右の高さが違う目がニヤッと笑った。
わたしだけのもの、という部分が気に入らない。それに容姿も不気味だが、慣れれば意外に可愛いかもしれないと思った。
みんなに見えないということは、透明人間みたいなものだ。便利かもしれない、とも思った。
(今朝は助けてくれて、ありがとね)真弓がそう言ってコックリ頭を下げると、前に座っているおばあさんに変な顔で見られてしまった。
(でも夕べ君が言ったことは、まだ許してないからね)真琴のことだ。
「わかった、もう言わね」ラウラはひん曲がった口をすぼめた。
(これから真琴の所に行くの。変なこと言わないって約束できたら連れて行ってあげてもいいけど……。ラウラも来る?)真弓は聞いてみた。
元気になった(であろう)真琴の姿を見せれば、二度と真琴が死ぬなんて言わないだろう、と咄嗟に思ったからだ。
「うん、行くぞ。俺、真琴に会ってみてぇ」
「よし、決まり!」真弓はうっかり大声を出してしまった。周りの人たちが、真弓の声に驚き、そして訝しげに真弓を見つめた。
『病院前』で降りれば、目の前に大きく横に広がった真っ白な建物がそびえている。ここが真琴の入院している病院だ。
入り口までアスファルトがずっと続き、その周りは青々とした芝生が敷き詰められている。
正面玄関を入れば、すぐ右横に受付がある。そこで真琴の病室を聞くがすぐには教えてくれない。家族であるという証拠を求められた。
生徒手帳を見せて、真琴の姉であることを証明して、やっとで病室を教わる。
「めんどくせぇんだな」バスを降りたら急にいなくなっていたラウラが、真弓の隣にまた突然姿を現して細い目を瞬かす。
(うん、個人情報保護法とかが関係してるのかもね)
「何だ、それ?」
(詳しいこと、知らない)
真弓はそう言って、サッサとエレベーターに乗った。
「何でいなくなってたの?」エレベーター内はラウラと自分だけなので、堂々と口が利ける。
「俺、お日さん嫌いだ」ラウラはひん曲がった口を思い切りとんがらかした。
「だから真弓の影に入ってた」
へぇ〜、そんなこと出来るんだぁ。真弓は夕べからの突然の訪問者に少しずつ感心している。そんな自分がおかしかった。
それにしても、会ってまだ一日も経っていないのに、何でこんな素直にラウラを受け入れられたんだろう?何だか昔から知っていたみたい。真弓はそう思うことに決めたようだ。
ラウラはエレベーターの乗り心地を楽しむようにキョロキョロとして、細い目をこれでもかというくらい丸くしていた。
「ポーン!」甲高い電子音でエレベーターの扉が開いた。
(えーと、マコの病室は、518、518……)
心の中で呟きながら、真弓は廊下を見廻した。ラウラも真弓の真似をしている。
お見舞いの方は、こちらに記入してください
という張り紙が目に入った。
あぁ、ナースステーションで聞けばいいんだ。
真弓は名前と入室時間を記入して、面会用のバッチをもらった。ラウラもバッチが欲しいと3本指の右手を伸ばしたが、真弓はそれを軽く制した。
「518号室は、この先3番目の病室です」
自分とほとんど年が変わらないのではないかと思えるような看護婦に教えられ、真弓はお礼を言って急ぎ足になる。
ラウラは、指の本数の違う手をブラブラさせて、宙を歩くようについてくる。途中、車椅子を押す看護婦を振り返ってペチャンコな鼻の穴を穿っていた。
518号室のドアがほんの少し開いている。真弓は軽くノックをして「マコ」と言いながら、中に入った。
ベッドの真琴は起きていた。白い顔でニッコリ笑っている。
真琴は個室だった。細い腕と小さな胸に、心電図と脈を計る計器が取り付けられていた。
「どう?具合は良くなった?」真弓の問いにコックリ頷く真琴。しかし、真琴の視線は、姉の真弓ではなくラウラに注がれていた。
「おねえちゃん、その子だーれ?」
「えっ? マコ、見えるの?」
真弓の言葉に真琴は変な顔をしながら頷いている。そりゃそうだ。見えるものは誰が何と言おうと見えるのだから。
「近所の子?」
真琴は自分でベッドの昇降スイッチを押して、起き上がった。
「この子はね、ラウラって言うの。え〜とねぇ……」真弓が何て説明していいか困っているそばで、ラウラは相変わらず鼻を穿っている。
「ラウラって言うの? 変わった名前だね。アメリカの子? あぁ、もしかしたらアフリカの子でしょ。裸だし」
そうなのだ、ラウラは昨日と同じ肩が片方千切れている汚い布を纏っていた。
「何だ、アフリカって? 俺、まだ知らない」
ラウラは鼻を穿るのをやめて、ベッドのそばに近づいた。
「あ〜っ」真弓が大きな声を出した。不潔に見えるラウラにあまり弟のそばに近づいて欲しくない、と思ってしまったのだ。
「何だ?」ラウラはキョトンと真弓を振り返る。首をねじると皺が寄って、絞った雑巾のようだ。そんなラウラに対して、真弓はあることに気がついた。
「そういえばラウラの口、今日は臭くないわね」
「オババから薬もらった。飲んだら腹こわしたけど、全部出たら良くなった」そう言いながら、ラウラは自分のお腹を指差した。
「えっ、どんな薬? 僕も今日飲んだんだよ。粉の薬。苦かったぁ!」
「俺の飲んだの、毒虫の乾燥したやつ。それにムカデの足を混ぜて飲んだ」
「へぇー、スゴイの飲むねぇ。だったら僕の方がまだマシだね」真琴はニッコリ微笑んだ。頬に少し赤味がさした気がする。
ラウラと会った時、わたしは気味悪く感じたけど、真琴は全然そんなこと思わないんだわ。
おっ、意外といい話し相手になるかも。真弓はそう思いながら鞄から『ドラゴンボール』の漫画を取り出して真琴に渡した。
……つづく
(闇鬼は毎月1日、4日、8日、12日、16日、20日、24日、28日 に更新予定です)
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