可視聴域

橘 紀里

陰陽師、ロボット、耳

 鳥の声っていいよねえ、と春明はるあきが長い艶やかな黒髪を揺らしながら可愛く首をかしげてそう言った。言ったそばから手のひらの上にふうわりと白い鳥が浮かび上がって、ピチチチチ、とこれまた可愛らしく歌うように鳴き始める。

 それを見つめていた視線がちらりと彼の方に向く。いつも通り、やけに楽しげな、期待に満ちた色を浮かべて。


『ピチチチチ、歌うように』


 ため息をつきながら彼がそう言って手のひらを上に向けると、薄いVR仮想のディスプレイが立ち上がる。そこに呟いたのと同じ文字が浮かび上がって、その後ろにFFTとTFFTグラフの波形を映し出した。


「なるほどなるほど。可愛らしい声だ」


 満足げに頷くと、春明はすっと指先で印を描く。ほんの微かに発光するように見えたは、他の計器には一切反応していない。「見えて」いなければないはずの不可視データは人間ならいわゆる『気のせい』というやつだ。

 なのに、そこに確かに存在していた白い鳥は、その光に呼応するように姿を消して、だから彼は常に混乱する。そもそもその鳥がAR拡張現実の装置によるものであれば何の問題もないわけだが、あいにくと春明は自然言語処理可能な音声入力以外のいかなる装置も使用できない機械音痴ポンコツだ。


「誰がポンコツだよ。そのために君がやってきたわけだろう」

『内部処理を覗き見ハッキングするな』


 本来こんな異常データを検知すれば、彼自身の内部処理のバグが疑われて要検査案件だが、そもそも彼は春明の「耳」となるべく配備デプロイされたわけで、この程度の異常値アノマリーは許容範囲内に設定されている。そうでなければ、とっくの昔に機能停止している、という自己認識がある程度には。


 そう、春明は耳が聞こえない。それも生まれつきではなく、半年ほど前に事故で聴力を失ったという後天的タイプだ。本人にしてみればかなりの衝撃ではあったのだろうが、今のお花畑な様子からはそのあたりは一切うかがい知れない。基本的に発声もごく自然にこなすから、事情を知らなければ耳が聞こえないことさえ気づかない人間も多い。


「また考え中? 最近のロボットは繊細すぎて大変そうだなあ」

『繊細じゃない、精巧なんだ。あとロボット言うな。前時代的っぽすぎる。そもそもあんたみたいな変異種と共存させられるこっちの身にもなってみろ』

「だってロボットは人間のために存在するんだろう? お役に立てて光栄じゃないか」

『用法がおかしい。曲がりなりにもこの国を陰で支える陰陽師の惣領そうりょうがそんな破壊的な日本語を話すな』

「何それ、教育係センセイみたいなこと言わないでよ」

 ケタケタと笑う様子はごく朗らかで、だからその闇を窺い知ることはやっぱりできないのだけれど。それでも、思わぬ問いが溢れてしまったのは、だいぶこの主人に感化されてしまっていたせいなのだろうと後から思った。


『なあ、耳が聞こえない、ってどんな感じ?』


 そう尋ねた彼に、春明はほんの少しだけ目を見開いて、それから珍しく視線を逸らした。唇が微かに震えて、音を作るより先に思考が流れ込んでくる。同時に、何かを振り切るように春明は彼をまっすぐに見つめると、いつも通りに笑った。


「別に何も変わらないよ。目を開けていれば見えるし、こうして君と会話もできるしね」

『っていうか、そこまで普通にできるなら、何で俺なんか配備とりよせしたんだよ。むしろ式神でよくね?』


 電力や装置を必要することなく使いを顕現させることのできる非常識さは彼には全く理解できないけれど、便利なのは間違いなさそうだった。


「式は、おれの意のままになりすぎるからな。ちょっと不便なくらいでちょうどいい」

『不便て何だよ。超有能だろうが』

「そう、そうやって口答えしてくれるしね」


 くつくつと笑う顔は屈託がなくて楽しそうに見える。いつだって前向きで、聴力を失っても以前と変わらずに朗らかだ、と誰もが言う。

 だから異常な通信方式で流れ込んできて、言語に変換された信号は聞こえなかったふりをした。


『ひとりぼっちで、暗い箱に閉じ込められた感じ』


 情報伝達だけなら文字情報で十分のはずなのだ。それでも、波形で音を知ろうとする意味を、きっと彼だけが気づいていた。

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