第5話 妖精
……何とか逃げられたみたい。
走り続けた私は、薮の中に身を潜め、一息ついていた。
ついて来れた兄弟は一人もいない。
ひょっとしてみんな、殺されちゃったのかな。
そう思うと震えが止まらなかった。
何でこんな目に合わなくちゃいけないの?
私たち、何も悪いことしてないのに。
そう思うと、涙が溢れてきた。
「ホロロロロロロッ」
慌てて口を塞ぐ。
ひょっとしたら、彼らはこの声を聞いて襲ってきたのかも知れない、そう思ったからだ。
あそこは、私たちが生まれた場所。
彼らは、私たちが成体になるのを待っていたのかもしれない。
芋虫の時より大きいし、餌にするなら今の方がいい筈だ。
外に出た私たちが、喜びの声を上げるのを知っていたのかもしれない。
本能に任せて行動するのは、少し自重しよう。そう思った。
今、私は一人だ。
生まれたばかりで、この世界のことを何も知らない。
だから慎重にいこう。
折角生まれ変われたんだ。
折角手にしたチャンスなんだ。
この生存競争、きっと勝ってやる。
それが、同じ血を分けた兄弟たちの望みでもある筈だ。
照りつける太陽を一身に受け、私は歩いた。
あの洞窟にいた時から、ずっと沸き上がっている衝動。
水が飲みたい。
喉を、体を潤したい。
当てもないまま、私は歩いた。
でも私には、妙な確信があった。
今、水のありかに向かっているんだと。
本能のままに動くのはまずい。それはさっき、嫌と言うほど思い知った。
でも、それでも。
この疲れ切った体で、なおも進もうとする歩みに、私は賭けた。
そこにもし、彼らが待ち受けていたとしても。
それでも私は喉を潤したい、そう思った。
しばらくして、空気が変わった気がした。
私は草むらをかき分けた。
走った。
これは……湖?
その光景に、私は安堵の涙を浮かべた。
体にはもう、水分なんて残ってないのに。
ずっと日光にさらされて、体中どこを触っても干からびているのに。
その筈なのに。
涙だけは出るんだな、そう思った。
あはっ……あはははっ……
湖にダイブする。
喉だけじゃない。体全体が水を欲していた。
私は湖に身を委ね、喉を潤した。全身を潤した。
彼らから逃れ、自らの足で探し、つかみ取った今という瞬間。
それは何物にも代えられない、幸せな時間だった。
たっぷりと水分を補給した私は、湖から上がり寝転んでいた。
すごく濃い一日だったな。
幸せと恐怖、疲労の連続。こんなの、前には味わえなかったことだよ。
前の世界なら、少なくとも生きることは保証されていた。
こんな命からがらな経験、そうそうする人なんていなかったと思う。
でも、だからこそ感じれる至福の時。
この世界だからこそ、味わえるものなんだと思った。
さて、それじゃあ。
目が覚めてから、ずっと気になっていたことを確認しよう。
私は立ち上がり、水面に映る自分に目をやった。
芋虫だった私は今、どんな姿なのかな?
水面に映る私。
その姿は、昔映画で観た妖精のようだった。
え? 予想とかなり違う。
だって私、さっきまで芋虫だったんだよ?
あの姿からどうやって、こんな可愛い姿になれるの?
そんな疑問が浮かんだが、でもまあ、考えたって仕方ないよね。
こうなってるのは事実なんだから。
それにまあ、可愛いからいいか。
手は二本、足も二本。
基本的には、人間だった頃の姿と似ていた。
左手は鎌みたいな形だ。右手はちゃんと5本の指があるのに、面白いな。
背中には、小さな4枚の羽根が生えている。
でもいくら動かしても、飛べる気配はなかった。
ただの飾り、なのかな。
でもいいや。そう思えるぐらい、今の姿に満足していた。
本当、妖精みたい。とても綺麗。
顔は、人間だった時と随分違ってる。
二つの目は大きくて黒い。うん、見るからに昆虫って感じ。
でも、鼻筋から口元にかけては人間っぽくも思う。面白いな。
そして一番違和感があったのが、腰から伸びている尻尾だった。
髪と同じく、薄い緑色をした長い尻尾。これって、何の為にあるんだろう。
自分の意思で動かすことも出来た。
でも何故だろう。この尻尾、自分にとってすごく大切な物の様に思えた。
本当、ついさっきまで芋虫だっただなんて思えない。
水面に映る自分に、私は微笑んだ。
そして青ざめた。
ちょっと待って。
まあその、異世界って言うか、少なくとも私は人じゃないんだけど。
前の世界の常識なんて通用しない、それは分かってる。
分かってるつもりだよ。
でもね。それでもね。
すっぽんぽんって言うのはどうなの?
私今まで、ずっとこの姿でいたってこと?
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