第3話 現実


 もう少し、眠っていたいと思った。

 あまりにも心地よくて。

 でも、どうしてだろう。

 今すぐ起きないといけない、そんな気がした。

 前の私ならあり得ないことだ。

 いつもお母さんに「あと5分」と言って、30分の睡眠を勝ち取ってたんだから。


 でも。

 私は目覚めることを選択した。

 何しろここは、元いた世界じゃない。

 と言うか私は今、芋虫なんだ。

 この体とこの世界のことを、まだ何も分かっていない。

 なら自分の直感を信じよう、そう思ったのだ。





 目を開けても、何も見えなかった。

 ただ不思議と、怖くなかった。

 私は手を伸ばした。

 目の前に何かある。

 それを押す。

 力を込めると、意外と硬くなかった。

 バリバリと音を立ててヒビが入る。

 私は力を込めた。


 バリ……バリバリバリ……


 私を覆っていた物が何か、その時ようやく分かった。

 これっていわゆる、繭だよね。

 そう言えば眠りにつく前、体から糸の様なものがたくさん出ていた。

 少しずつ少しずつ、私の体を包んでいって。

 そうか。

 私の体は今、次の段階へと進化したんだ。





 壁に張り付いた大きな繭は、私の抜け殻だ。

 これって、蝉みたいなものなのかな。

 周囲に目をやると、次々と繭から出て来る私たちが見えた。

 それは神秘的で。幻想的で。

 自分もその光景の一部なんだと思うと、ちょっと感動した。





 繭から出た私たちは、誰に示された訳でもなく、出口へと向かっていった。

 芋虫だったさっきまでは、遥か遠くに思えていた光。

 でも今の私には、そんなに遠くない気がした。

 これって、体が成長したからなのかな。


 ここに戻ることは、恐らくもうないだろう。

 転生した私が生まれた場所。

 そう思うと、少し感傷的になった。


 振り返ると、ご馳走の山はなくなっていた。

 私たちが、全部食べちゃったんだよね。

 ご馳走の味を思い出す。

 また食べたいな。

 そんなことを思っていた私の視界に、残酷な光景が飛び込んできた。


 ――無数の芋虫のむくろ


 生まれてすぐ、私は強烈な飢餓感に襲われた。

 でもラッキーなことに、目の前にご馳走があった。

 無我夢中でご馳走を食べた私たち。

 でもそれは、みんなに行き届くものじゃなかったんだ。

 ご馳走にありつけなかった者に訪れたのは、非情な現実。

 餓死だった。

 辺りを埋め尽くす、無数のむくろ

 みんな皺々になって固まっている。


 そうか。

 生まれて初めての生存競争に、私は勝ったんだ。


 負けたものには容赦なく、現実が突きつけられるんだ。

 とんでもない世界に転生しちゃったな、私。

 でもまあ、勝ててよかった。

 自分にとっては兄弟とも言えるむくろを見つめながら、私はご馳走の近くで生まれた幸運に感謝し、出口を目指した。





 ……あれ? さっきとは随分違うな。

 さっきまではそう、這ってるって感じで、目の前しか見えてなかったのに。

 今の私は、昔の様に二本の足で立っていた。

 おかげで視界がかなり広い。

 これってもう、成体になったってことなのかな。


 自分がどういう姿になったのか、興味はつきない。

 でもそれより今は、出口に向かいたかった。

 たくさんの兄弟たちも同じようで、みんな無言で出口を目指している。

 薄暗いので、彼らの姿もよく見えない。


 まあ、いっか。

 後でじっくり観察しよう。

 この世界の自分がどんな姿なのかを。


 それより今は、光が恋しかった。

 そしてそれと同時に、生まれた時と似た感覚が、内から強烈に沸き上がっていた。


 喉が渇いた。

 水が飲みたい。


 根拠なんて何もない。

 でも私は出口を目指した。

 この先に、きっと水がある。

 そう信じて。



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