遠ざかる思い出と君の背中
潮珱夕凪
待ち合わせ
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
磨ったばかりの墨のように黒い長靴ブーツが、水たまりに浸かっていく。関東一帯に降り注ぐ一月のみぞれ。外出は当然ながら避けられ、煙が渦を巻いたようにどんよりとした空のもと、私しかいなくなったような街を一人練り歩く。
今から、私は、愛する人に拒絶されにいく。
ふと、ポケットに入れておいたスマホが震える。手袋を取ると、冷たい霧のような雨が指先を凍てつかせる。半ば痛みのようなものを感じながら通知欄を覗くと、彼からメッセージが来ていた。
『萌花、やっぱり今日やめにしない?』
はぁ。
見た瞬間、ため息が抑えられず、うなだれてしまう。
――どうせ、あなたは私に会いたくないんでしょう?
「うん。そうしよっか」そう打ちかけてやめ、文字列を全て消し去っていく。
果てしない絶望の中、私が打ち込んだ言葉は、これだった。
「ううん、これから若干天気よくなるみたいだし、会おうよ。会いたい」
私は私自身が憎い。あなたが私を好きではないって薄々感づいているのに、「会いたい」と思ってしまう。諦めたいのに諦められなくて、今もこうしてあなたのことを好きでいてしまっている自分が怖い。
でも、それよりも私はあなたが憎い。嫌いなら嫌い、って言ってほしい。今日だって、会いたくないって言ってくれればそれでよかった。拒絶してほしい。取り返しがつかなくなる前にさっさと突き放してほしい。だって、そうでもないと私はこの恋を諦められないから。
既読がつく。このまま既読スルーされ、こんな極寒の中外に居続ける展開を一番避けたい、ということをどこかで考えながら、彼とのトークルームを閉じる。即既読をつけてしまうのが何となく気まずかった。相手に圧力をかけていてしまっているようで。
はぁ。
また零れ落ちたため息は、私から出たものとは考えられないほど、穢れが何一つない、真っ白で、すぐ辺りに溶けて消えてしまった。しばらくため息が消えた跡をぼうっと眺めていると、電話がかかってきた。彼からだ。
『今どこ?』
「駅前の銅像だよ。」
言葉も、響きも単調に返す。声が聴けただけで嬉しくなっている、なんて彼には到底伝わってほしくなかったから。感情をできるだけ声色に変換しないように、溢れてくる何かを必死で堰き止めながら私は言葉を紡ぐ。
『俺、改札着いたから下行く、待ってて』
「うん」
そう言って耳元からわずかに聞こえてくる彼の息遣いに耳を澄ませる。全細胞で彼を感じているなんて、彼に言うのは憚られるけど、恥ずかしくも幸せだった。それと同時に一抹の罪悪感が私の心に暗い影を落としていた。
彼は、今どんな姿をしているのだろうか。そう思って目を瞑る。
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