十二話

「――のかあ!」


 遠くからの声で僕は目覚めた。そして今まで眠っていたことを知る。見下ろした手や服は砂と泥で汚れている……そうだ。僕はラモンとその家族のために穴を掘っていて、瓦礫の下から見つけた二人とラモンの遺体をその穴に埋葬し終えて、少し休憩していたのだったか。でも穴掘りと埋葬、山登りでの疲労で、いつの間にか熟睡してしまったらしい。どれくらいの時間寝ていたのだろう。


 体を伸ばしながら立ち上がって頭上を見た。岩壁が囲む中にぽっかりと開いた大きな穴から見えた空には、黒く分厚い雲が漂っている。その奥にはわずかに赤みを帯びた暗い空が見えた。日暮れ時だろうか。そうなると数時間寝ていたのかもしれない。まだ体はだるいけど、動かないといけない。聖域の場所もよくわからないし……あれ、そういえば、何か聞いて目が覚めたような気が――


「――いるか!」


 男性の声――これがさっき聞こえたのだ。僕は声のするほうへ顔を向け、人の姿を探した。まさか、この里の生き残りか? 助かった人がいるのだろうか。


「どこにいるんだ!」


 僕からも声を出してみる。すると、里に続く坂道の上に、動く人影が見えた。


「エヴァン!」


 その人影は僕の名を呼んで向かってくる――え? 僕を知っている人なのか? それだと生き残りじゃなさそうだけど……。


 坂を下る姿が徐々に近付く。そして、ようやく見えたその顔に、僕は驚愕した。


「……父さん!」


 泥まみれの外套に、泥の付いた顔、茶の髪は嵐にもまれたようにぐちゃぐちゃだ。それでも僕を見つけると、顔には笑みがあった。


「はあ、はあ……やっと、追い付いたか……」


「追い付いたって、どういうこと? 何で父さんがこんなところまで……」


「我ながら、よく死なずに、ここまで来れたと思う」


 荒い呼吸と汚れた格好を見れば、僕並に苦労したのはわかるけど。


「そこまでして、どうして来たのさ。家や皆は?」


「大丈夫だ。皆どうにか無事でやっている」


「そういうことじゃなくて、我が家の主が家族を置いて、何で僕のところまで来たかってことだよ」


 僕の帰る場所を守るはずじゃなかったのか? すると父さんは胸に手を置いて、何度かの深呼吸で息を整えてから口を開いた。


「……お前が出発した後、ルイサに言われてな」


「え? 母さんが行けって言ったの? 何で?」


 これに父さんは少し口ごもりながら言った。


「私は、家に残って皆を守るつもりではいたんだ。だがな、ルイサが、あなたも好きなことをしてと言うから……」


「好きなこと? 父さんの好きなことって……」


 泳ぎ始めた視線がちらちらと僕を見る。


「その、だな、前にお前が、イレドラ族について研究材料があるようなことを言っていたから、私はそれが、まあ、気になっていてだな、お前を追えば、新たな発見に立ち会えるのではと、そう思ったわけなんだが……」


 僕は開いた口が塞がらなかった。やっておきたいことはやれと言ったのは父さん本人だけど、こんな危機的状況の中、守るべき家族を置いてきてまで僕の研究調査を見たかったということか。やっぱり父さんの功名心と歴史研究への熱量は尋常じゃない。


「僕が新たな発見でもしてたら、共同研究者になるつもりだった?」


「そ、そんな気はない。だが苦労しているようなら、手を貸すのもやぶさかじゃないが……」


 下心が丸見えだ。まあ、研究したいならしてくれてもいいけど。僕は名を揚げることには興味ないし。


「それで、調べたいことは調べられたのか?」


「いや、まだなんだけど……」


 僕は砂に埋まった里を眺めた。このどこかに聖域とされる場所があるはずなんだけど……ラモンがはっきり示す前に消えたから、何となくの場所しかわからない。砂に覆われたところにあるらしいけど、そんな場所、一杯ありすぎて一つには絞れない。どうやって特定すればいいのか……。


「それにしても、ここは一体どういう場所なんだ? 人が住んでいたような跡があるが」


 父さんは砂に埋もれた日用品などを見ながらふらふらと歩き始めた。


「うん。人が住んでたんだ。でも見ての通り、山崩れに襲われて、皆命を……」


「そうか……だが、こんな山奥に人が住んでいたなんて驚きだ。何者なんだ?」


「まだ断定はしてないけど、イレドラ族なのかもしれない」


 そう言うと、父さんの顔が瞬時に僕へ向いた。


「まさか! とうに消えた先住民族が、現代まで生き残っていたというのか!」


「その可能性が、ありそうなんだ」


 里はこうして実際にあるし、住人の遺体も見つけた。ラモンの話通りなら、イレドラ族という話も簡単には無視できない。


「もしそれが本当なら、エヴァン、これはものすごい発見じゃないか。一体どうやってこの場所を見つけたんだ」


「僕はただ、話で聞いただけで……」


 幽霊に導かれて、なんて言っても信じないだろう、絶対。


「そうなると、この砂の下にはイレドラ族の文化がすべて埋まっているということか?」


「そういうことになるね。でもこんなに大量の砂じゃ掘り返すのは――」


 簡単じゃないと言う前に、父さんは落ちていた平たい石をスコップ代わりに、足下の砂を勢いよく掘り始めた。大発見する気満々だな……。


「父さん、イレドラ族かどうかはまだ――」


「それを確かめるために掘り出すんじゃないか。本当かどうかはそれからのことだ。ほら、エヴァンも掘ってくれ。確かめたくはないのか?」


「僕はさっき掘ったんだ。遺体を埋葬するためにね。それより見つけないといけない場所が――」


「何? 遺体だと!」


 目の色を変えた父さんは僕に詰め寄ってきた。


「イレドラ族かもしれない遺体を、すでに見つけていたのか! どこに、どこに埋めたんだ!」


「あ、あっちの端っこに埋めてあげたけど……」


 これを聞くと、父さんは僕が示したほうへ一直線に歩き出した――まさか、遺体を掘り返す気か?


「ちょ、ちょっと待って。さっき埋葬してあげたばっかりなんだ。それなのにすぐに掘り返すなんて、何だか亡くなった人に申し訳ないというか……」


「何を言っている。イレドラ族の遺体ならば、歴史研究をするに当たり、重要な研究材料になるんだぞ。真実を追究するためには必要なことなんだ。学者を目指しているなら、お前もわかっているはずだろう」


「そうかもしれないけど……」


 父さんは作ったばかりの墓に向かっていく。僕のことなんかほとんど目に入っていないようだ。目の前の歴史的発見に興奮してしまっている。今はそんなことより、一刻も早く聖域を見つけないといけないっていうのに……。


「ねえ父さん、墓ならいつでも掘り返せるでしょう? その前に協力してほしいことがあるんだけど」


「何だ? お前が言っていた調べたいことか?」


「そう、そうなんだよ。聞いた話だと、ここには聖域と呼ばれる場所があるらしくてさ、イレドラ族にとってすごく大事な場所らしいんだ」


「聖域……ふむ……」


 墓へ向かう父さんの足が止まる。どうやら僕の話に興味を持ってくれたらしい。


「先住民と呼ばれる集団は、押し並べて独自の信仰対象を持っているが、イレドラ族もしかりということか……それで、その聖域とはどこにあるんだ」


「それを探すのを手伝ってほしいんだ。何となくの場所はわかるんだけど、砂に埋まってるらしくって……」


 僕はとりあえずラモンが示したと思われる方向へ向かった。里の中央から奥へ進み、辺りに木や草が多く生える一画を目指す。ここにも山崩れの砂や岩は到達していて、地面を覆うように大量の砂が広がっている。空を見上げると、曇天の中にまばゆい稲妻が閃くのが見えた。山の側に嵐が迫っているようだ。その風雨で再び山崩れが起きないとも限らない。その前に見つけたいところだ。


「まだわずかだと思っていたが、意外に進んでいるようだな」


 僕の後に付いてくる父さんが言った。


「進んでるって何が?」


「イレドラ族の調査だ。居住地を見つけ、聖域と呼ばれる場所まで把握している。ここまで彼らに詳しいのはおそらく、いや、間違いなくエヴァンただ一人だろう」


「別に詳しいってほどじゃ……本当に聞いただけなんだ。僕はそれを確かめに来ただけのことで……」


「その聞いたというのは、一体誰から聞いたんだ? 同じ研究仲間か?」


「それは、えっと、仲間だったり、知人だったり、いろんな人達からいろんな話を聞いて……まあ、つまり、僕だけの力じゃないってことだよね」


 はぐらかして僕は足を速めた。これに関しては、聞かれても上手く答えようがない。正直に言えば、僕の頭が心配されるだけだ。


 ラモンが示した辺りまで来て僕は足を止めた。周囲には緑と岩壁しかなく、これ以上先へ行くことはできない。そして足下には大量の砂……本当にここが聖域なのだろうか。見回しても、そんな雰囲気はまったく感じられないけど。


「この辺りに聖域があると思うんだ。何か、それっぽいものでも落ちてればわかりやすいんだけど……」


 自信がないまま、聖域である証拠を探そうとした時だった。


「ところで、エヴァン」


「ん? 何?」


 振り向くと、さっきまでの興奮していた様子とは打って変わり、憂えた表情を浮かべる父さんがいた。


「その、養子のことは、本当に気にしていないか……?」


 僕は溜息を吐きつつ笑った。町を出る時にあれだけ気にしていないって言ったのに、ずっと僕の気持ちを心配していたらしい。


「本当に気にしてないって。血はつながってなくても、僕は父さんと母さんの子供には違いないでしょう?」


「ああ、もちろんだ。何があろうと、お前は永遠に私達の息子だ」


 父さんは僕を真っすぐ見ながら力強く言ってくれた。この言葉だけで僕は十分だ。


「だが、私に気を遣っているなら正直に言ってほしい。隠していたことに怒っているなら、その気持ちをぶつけてほしい。私はいつまでもわだかまりを残したくない」


 父さんはどうしても僕が本音で語っていないと感じるらしい。確かに、知った直後は動揺したけど……。


「怒ってなんかないし、変な気も遣ってない。僕の中にわだかまりなんてないよ」


「本当か? 私やルイサに言いたいことや望むことはないか?」


 まったく、父さんは心配しすぎだ。


「今のままでいいよ。父さん達の子供になれただけで僕は十分幸せだ。そんな二人に望むことは――」


(望みは何?)


 え? 声……?


「……父さん、今、何か聞こえなかった?」


「何かって、何だ」


「女の人の声、みたいな……」


「人の声?」


 父さんと僕は周囲を見渡した。でもこんなところに僕達以外の人がいるわけもない。


「風音がそう聞こえたんじゃないのか?」


「そう、なのかな……」


 確かに嵐が近付いていて、少しずつ風は強まっている。上空で唸る風音が人の声に聞こえたのだろうか。だけど、言葉がはっきり聞こえた気が――何だか腑に落ちないけど、僕は気を取り直して話に戻った。


「えっと……だから、望むことは僕にはないよ。でも、あえて望むとすれば、僕が養子だと知る以前の、皆が平穏に暮らしてた時まで戻りたいかな。そうすれば父さんも変に心配することは――」


(その望み、聞き届けるよ?)


 あ、またこの声……やっぱり風音なんかじゃない。どこからか女の人の声が――その直後のことだった。


「……なっ、何だこれ!」


 ふと足下を見ると、地面を覆う一帯の砂の隙間から、白く淡い光が無数に漏れ出ていた。


「どういうことだ……砂の下に何かがあるのか?」


 驚きながらも父さんはしゃがんで砂を掘り始めた。でもすでに白い光は消えかけている。ほんの一瞬だけの謎の光。聖域と関係があるのだろうか。だったら僕も一緒に掘らなければ。一体何の光なのか――僕は懸命に掘り続けた。ただ懸命に、ひたすらに……。

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