貧乏貴族、世界を救う

柏木椎菜

一話

「今帰ったぞ」


「ただいま」


 夕方、僕と父さんが疲れた体で我が家に帰ってくると、奥から空腹を刺激する美味しそうな匂いが漂ってきた。


「お帰りなさい。ちょうど夕食ができたわよ」


 匂いと共に母さんの声がして、僕達は居間へ向かった。


「おお、今晩は野菜スープとサラダか」


「野菜の甘みが出てるから美味しいわよ」


 母さんはにこにこしながら言う。僕は正直、野菜の甘みより、肉の旨みのほうが恋しいんだけど。


「さあ、夕食ができたわよー」


 母さんは一階の部屋と、二階へ続く階段の上に向かって呼びかける。その間に僕達はかばんや上着を椅子の横に置き、いつもの自分の席に着いた。


 しばらくすると、それぞれの部屋から爺ちゃんと婆ちゃん、そして妹がやってきて決まった席に座る。


「えー、また野菜スープなの?」


 妹が辟易したように言った。僕も内心は同じだけど、母さんを思えばそう簡単に不満は言えない。


「野菜は体にいいのよ。別に嫌いなものはないでしょ?」


「ないけど……野菜スープにサラダって、野菜尽くしすぎない?」


 言っておくが、家族に菜食主義者はいない。妹の不満はもっともだけど、夕食抜きよりはましだろう。


「何言ってるの。このお野菜は私が市場で買ってきた、質のいいお野菜なんだから。……ルイサさん、それ使ってくれてるのよね?」


「はい。もちろん……」


 婆ちゃんに聞かれた母さんは作り笑いを見せた。またそんなもの買ってきたのか、婆ちゃんは……。


「わがまま言わないで、残さず食べなさい」


「ちゃんと食べるけど……」


 妹の言いたいこともわかるけど、婆ちゃんの言うように、わがままを言える状況でもないんだよな、我が家は。


「話は済んだか? わしの腹が痺れを切らして鳴りそうなんだが」


 いつも通りののんびりした口調で爺ちゃんが言った。これに女性三人はすぐに口を閉じた。


「……では、食べようか」


 父さんの一言に、皆はいただきますと言ってから料理を食べ始める。僕もスプーンを握り、野菜スープを飲んだ。


「いい味だな」


 同じようにスープを飲んだ父さんが笑顔を浮かべて言った。僕も同感だ。ただ数種類の野菜が入っているだけの質素な料理なのに、単純な味じゃなく、いろいろな美味しさが混ざり合っているような絶妙さを感じる。まあ所詮、料理素人の舌が感じた味だけど。


「よかった。今日も上手く作れたみたいで」


 父さんに褒められて、母さんは嬉しそうに笑った。


「お野菜の味が染み出て、美味しいスープになってるわね。もしかしてルイサさん、私が前に助言したことをやったんじゃない?」


「はい。今回は普段より長めに煮込んでみたんです」


「やっぱり! それがさらに美味しくなった要因ね」


「お義母様が根菜ばかり買ってきてくれたんで、長めに煮ないと柔らかくならないっていう理由もあるんですけどね」


 顔は笑っている母さんだけど、その目の奥が笑っていないことを僕は見ずとも知っている。


「あー……それは手間をかけさせたみたいね」


「手間というほどのことじゃありませんから」


「じゃあ、次は葉物を多めに買ってきましょう。ルイサさんのご苦労も考えないとね」


「……お気遣いなく」


 笑みを浮かべながらも、母さんの声はどこか諦めを滲ませた弱々しいものだった。


「葉物とか根菜とかじゃなくて、たまには肉も食べたいんだけど」


 サラダをフォークで突きながら、妹がかき消えそうな声でそう呟いた。僕も同じ気持ちだと言ってやりたい。


「どうだ、研究ははかどってるのか」


「少し停滞気味でね。父さんのほうは?」


「まあぼちぼちだ。この歳になると眠気によく襲われる。今はそれが最大の敵だな」


 母さんと婆ちゃんの間に漂う雰囲気を知ってか知らずか、父さんと爺ちゃんは二人で話し込んでいた。この二人は研究以外には無関心というか、わざと係わらないようにしているのか、あるいはいつもの光景だと思っているだけなのか。とにかく家の中のことには一切口を出さない。そんな家族を眺める僕は、心の中で溜息を吐くばかりだ。


 祖父ガルヴァシオ、父エステバンは、共に歴史学者だ。王立の歴史研究所に勤め、日々新たな学説や発見を求めて研究している。我がミトレ家はどうやら学者家系のようで、学生時代に歴史の面白さに気付いた僕も研究所に勤めている。今は父さんの助手という立場だけど、いずれは二人と肩を並べて、自分が明らかにしたい歴史を思う存分研究したいと思っている。


 ちなみに爺ちゃんは七十五歳と高齢になって、すでに隠居している。でも研究意欲は衰えないのか、今も自室で独自に研究を続けている。性格は穏やかな自由人で、見た目からそんな熱意は感じ取れないが、でも実は、爺ちゃんは歴史学界ではすごい人物として名を残している。これまで定説とされていた第六代国王が、実は暗殺ではなく服毒自殺だと証明したのだ。しかもその証拠となる国王直筆の手紙まで見つけ出し、誰もが知る歴史の定説をひっくり返す大発見をしたのだ。そのおかげで、暗殺犯とされていた人物を始め、国王の周辺人物達はすべて見直され、その時代の新たな定説を作り出すという偉業を成し遂げたのだ。


 これに感嘆した現国王陛下は、そんな爺ちゃんに爵位を授けた。ミトレ男爵となり、我が家族は晴れて貴族の仲間入りをしたのだ。


 幼い頃に爺ちゃんの功績を目の当たりにした父さんは、それで同じ歴史学者の道に進むことを決めたという。皆に褒められて輝いていた父親を見ていたら、同じ道にも進みたくなるだろう。そして現在、研究所に勤めているわけなんだけど、まだこれといった発見などはしていない。でもこれが普通のことだ。爺ちゃんの功績は破格すぎた。あんな大発見、一生に一度もないことなのだ。学者人生でいくつか論文を書いて発表できれば、普通はそれでいいのだ。功名心を抱いたところで、大発見に近付けるわけでもない。爺ちゃんの真似をするなんて無理だと皆わかっている。でも父さんは野心を抱き続けている。前に話した時、ぽろっと言ったのだ。研究所を退所するまでに、あの偉業を越える発見をしたいと。父さんが休みもせず、ひたすら真面目に研究をする姿勢には、爺ちゃんに対する嫉妬というか、対抗心というか、そういうものも秘められていると僕は知っている。大発見を上回るなんて無茶だと思うけど、それが研究意欲につながっているなら、それでもいいのかもしれない。


「あら、ルイサさん、これは何?」


 僕がパンの入ったかごに手を伸ばした時、婆ちゃんがスープをすくって何か具を見せた。


「……あっ、それは、人参の皮です」


 母さんはばつが悪そうに言った。


「人参の皮? そんなものを具にしたの、あなたは」


「お義母様の器には入れないようにしたつもりなんですけど……」


 僕は自分のスープを見下ろしてみた。半分ほど飲み終わったスープには細長い人参の皮がいくつか沈んでいる。確かに野菜の皮というと響きは悪いけど、味はそれほどまずくないし、むしろ皮の中では美味しいほうだと思う。


「皮なんて、捨てるか家畜のえさにするものよ。こんなみみっちいことしないでちょうだい」


「はい、気を付けます……」


 苦笑を浮かべる母さんをいちべつした婆ちゃんは、スプーンですくった人参の皮をそのままぱくりと食べた。結局食べるのか。


 僕達家族は一応貴族ではある。あるんだけど、端くれにすぎない。領地を与えられたわけでもないし、特権を持っているわけでもない。下級貴族の中でも一番下に属していて、その暮らしぶりは一般市民と何ら変わらない。家族では父さんと僕が働いているけど、爵位を持っているからって給料が他より高いなんてことはなく、王立の研究所だから平均より多い給料になっていることもない。多分、巷では僕達の給料よりもっと貰える仕事は山ほどあると思う。つまりその程度の稼ぎしかないのだ。しかも僕は助手だから、父さんよりもさらに額は少ない。そんな二人の給料で家族六人を養うという状況は、結構前から無理を生じさせていたようだ。


 僕の記憶では、幼い頃はもう少し数の豊富な料理を食べていたと思う。でも妹が生まれ、爺ちゃんが隠居した後から、その様子も変わった気がする。そこから母さんは節約志向になったのだろう。肉や魚料理は数を減らし、食卓は野菜中心に様変わりした。その中身も、今までは捨てていたであろう茎やヘタ、葉が細かく刻まれて具に使われ、買ってくる材料も色が悪かったり、少し傷み始めて安くなったものだけを買うようになった。そういった限られたものしか買えなくても、母さんは知恵と工夫でどうにか家計を支えてきてくれたのだ。もう野菜料理は飽きたとか、肉の味が恋しいだとか、そんなわがままを努力する母さんに言うなんて、できるわけがない。皆が今日も食卓を囲めるのは母さんが節約してくれるおかげなのだ。感謝こそしても、稼ぎの少ない僕が料理に不満をぶつける資格はないのだ。


 苦しい家計でも、いつも笑顔を忘れずに明るく振る舞ってくれる母さんだけど、その顔を唯一曇らせるのが祖母イリーナだ。婆ちゃんと母さんは決して仲が悪いわけじゃない。世間話もするし、たまに一緒に出かけたりもする。普段は何も問題はないんだけど、時々その問題を婆ちゃんは作るのだ。


 婆ちゃんは庶民の出で、立派な家柄というわけじゃない。爺ちゃんいわく、若い頃は純朴で口下手だったらしい。それが爺ちゃんに爵位が授けられると、次第に言動が変化し始めたという。周りから男爵夫人と呼ばれて、気を良くした婆ちゃんは見栄を張って分不相応な買い物をするようになってしまったのだ。多分、貴族になったという意識がそんな行動をさせるのだろう。商品を勧められると見栄がそれを断れず、ついつい買ってしまう――こんなことを婆ちゃんは今も続けているのだ。さすがに高級品を買うことはないが、それでも相場より少し高めの野菜を買ってきてしまう。これじゃあ母さんの努力が報われない。婆ちゃんは母さんの代わりに買い物をしているつもりのようだけど、これはただ家計を悪化させているだけだ。婆ちゃんが大人しくしてくれれば、その節約分で半月に一度くらいは肉料理が食べられるんじゃないだろうか。立場上、母さんは面と向かって注意はしにくいから、父さんに言ってもらうよう頼んだらしいけど、研究しか頭にない父さんは、そのうちやめるだろうとしか言わなかったそうだ。我が家の大黒柱はあまりに頼りにならない。家計が火の車だと知っているはずだし、それならもう一つ仕事を増やすべきだと思うけど、父さんにその気はないようだ。まあ、歴史研究一筋の人が、荷運びや接客をこなせるとは思えない。仕事を増やすなら僕のほうかもしれないな。


「兄さん、このサラダあげる」


 小声でそう言った妹は、母さんを横目で気にしながらサラダの器をそっと僕のほうへ押し出した。


「食べないのか?」


「スープだけで十分」


 そう言うと残っているスープを引き続き飲み始める。僕はほとんど食べ終えていたけど、腹にはまだ余裕があり、貰ったサラダを遠慮なく食べることにした。青菜と根菜の輪切りが混ざったサラダは、塩と胡椒だけの味付けだけど、なかなか美味しい。母さんはどんな料理も味付けが絶妙だ。


「はあ……肉食べたい」


 妹が溜息混じりに漏らした。こう呟く程度で、母さんに直接言わないのは、妹も僕と同じように家計の苦しさを知っているからだ。


 妹シルヴィナは四つ下の十七歳で、まだ学生だ。妹も歴史学者を目指しているかは知らないけど、勉強の成績のほうはそれほど悪くないらしい。性格は明るく、気の強いところもあるけど、家族思いで優しい面もある。その一つが玉の輿という目標だ。妹は校内で金持ちそうな男子生徒を探しては、資産があるかどうか密かに調べているという。もし本物の金持ちだとわかれば、すぐに告白して恋人にするそうだ。その相手がたとえ好みでなくても構わないという。金持ちであることが最優先なのだ。こう聞くと金に魂を売る最低な女のようだが、その真意は我が家を助けることだ。玉の輿を果たした暁には、苦しい我が家に援助し、家族を幸せにしたいという願いを秘めている。やり方としては首をひねる人もいるかもしれないけど、家族を思ってくれていることには違いない。僕は傍観しつつ、陰ながら成功を祈るだけだ。


「おっと、しまった」


 急に爺ちゃんが声を上げて床を見下ろす。そこにはサラダを食べるためのフォークが転がっていた。


「落としてしまったよ……おーい、すまんが新しいフォークを持ってきてくれ」


 台所のほうへ声をかけると、その姿はすぐに現れた。


「フォークですね。はい、どうぞ」


 小走りでやってきた使用人マルセロは、綺麗なフォークを爺ちゃんに渡すと、落ちたフォークを拾い上げてまた台所へと戻っていく。彼は使用人という雇われた立場なので、僕達と一緒に食事をすることはなく、一人台所で済ませるのが常だ。とまあ、表向きはそんな理由だけど、実のところ、この食卓は六人で目一杯で、椅子も六脚しかなく、買い揃える余裕もないから仕方なく一人で食事をしてもらっているんだけど。


 家計が苦しいのに使用人を雇うなんておかしいけど、これはマルセロに懇願されたことで、正直に言えば家族の本意ではない。数年前、我が家を訪れたマルセロは、使用人としてどうか雇ってほしいと頼んできた。断ろうとすると、安い給料でも構わないと言った。話を聞けば、ずっと働き口を探しているが、どこも断られ、所持金も残り少ないという。これに母さんと婆ちゃんが同情してしまい、多く払うことはできないけど、それでもいいならと雇うことになってしまったのだ。節約を日々の目標にしている母さんだけど、人助けは例外らしい。


 そうして片付けた物置部屋に住み込むことになったマルセロだけど、懇願してきただけあって働きぶりは優秀だった。爺ちゃんと父さんが家のことに無関心な分、女性が手間取る力仕事は進んでマルセロがこなし、それを終えれば母さんの手伝いに移る。掃除、洗濯はもちろん、庭の手入れから家の補修まで、見つけた仕事はすべてそつなくこなしていた。もともと器用なのか、どの仕上がりも完璧と言えた。人柄もよく、年齢は三十と僕より大分年上だけど、今ではまるで友達のように話せるほど親しくなっている。最初は雇うことに疑問だったけど、こんないい働きを見ているうちに疑問なんていつの間にか消えていた。今じゃありがたいと思うほどだ。


「あっ、そうだマルセロ、頼みたいことがあったのよ」


 母さんが立ち去るマルセロの背を呼び止めた。


「……何ですか?」


「一週間前に地震があったでしょ? 多分あれのせいだと思うんだけど、食器棚の戸がしっかり閉まらなくなっちゃったのよ。後で見てくれる?」


 そう言えばそんな地震があったな。夜中に大きな揺れを感じて、僕はそれで起こされた。この辺りで地震なんて滅多にないから、あの時は驚いた。


「歪んだんですかね……わかりました。直しておきます」


「頼むわね」


 マルセロが台所に消えると、母さんは婆ちゃんと話し始める。父さんと爺ちゃんは相変わらず研究の話で盛り上がっている。妹は飽きた味に我慢するような顔で黙々とスープを飲んでいる――これがいつもの光景だ。我が家には問題もあるけど、平和と言えば平和だし、幸せと言えば幸せな家族だ。改善の余地は大いにあるが。


「……ごちそうさま」


 ようやくスープを飲み終えた妹は椅子から立つと、食器を台所へ下げ、さっさと一階の自室へ入っていった。でも皆は話に夢中で見向きもしない。これもいつものことだ。僕もさっさと部屋で休むか――妹がくれたサラダの最後の一口を飲み込んで食事を終え、立ち上がろうとした時だった。


 ドンドン――


 それは玄関から聞こえた。誰かが扉を叩いている。客か?


 ドンドン――


 少し間を開けて再び叩かれる。やっぱり誰か来ている。僕は父さん達を見るが、四人とも話し声で聞こえていないのか、誰も音に反応している様子はなかった。台所にいるマルセロも聞こえていないのか、姿を見せない。


 ドンドン――


 聞こえないのかとでも言うように、扉を叩く音は最初より強くなっていた。唯一気付いている僕が出るしかないようだ。立ち上がり、僕は話し込む四人の横を通って玄関へ向かった。


「今開けます」


 叩かれ続ける扉にそう言って、取っ手をつかみ、開けた。外はすでに日が暮れて夜の帳が下りている。その暗闇の中に訪問者は立っていた。


「……どちらさまで?」


 僕はその見慣れない格好の相手を見つめた。玄関から漏れる光が照らし出したのは、地面に付くほど長いワンピースのような服と、その上に羽織った薄汚れたマント。そのどちらの表面にも細かい刺繍が施されているけど、幾何学模様のようなこんな刺繍は初めて見る。外国製だろうか。そのマントの下に見える腕は僕より太く、日に焼けている感じだ。スカート姿だけど、どうやら男性らしい。手首には石や金属の装飾品が多く付けられている。ちょっと重そうだ。視線を上げると、フードを目深にかぶった顔がじっとこっちを向いている。目元は影になってよく見えないけど、鼻から顎までを見るとやっぱり日に焼けていて、歳はマルセロに近いように思えた。フードの隙間からは束ねた黒髪がのぞいていて、長髪なんだとわかる。男性で髪を伸ばすなんて珍しいな。まあ、スカート姿のほうがもっと珍しいけど。


「君に頼みたいことがある」


「は……?」


 突然そんなことを言われて、思わず眉をしかめた。


「あの、その前にあなたは誰――」


「世界は、もうすぐ滅びる」


 その言葉に、僕は瞬きをして警戒心を高めた。


「だから君に救ってほしいんだ」


 男性の口調は至極真剣だった。だから余計に警戒心が増した。この男、まともじゃないな。


「……あの、訪ねる家を間違えていませんか? それか、新興宗教の勧誘だったら間に合っていますんで――」


「茶化すな。私は真剣に頼んでいる」


 やっぱり真剣らしい。ふざけているのはどう見てもそっちだと思うけど。


「救えるのはもう君しかいないんだ」


 熱のこもった言葉を言いながらにじり寄ってくる男性を、僕はやんわりと制した。


「あ、あの、いきなりそんなことを言われても、名前も知らない人の頼みなんて聞けるわけが――」


「私はラモン・パディリャだ。これでいいか」


 名前を教えたら聞くっていうことじゃないんだけど。


「いや、ラモンさん」


「ラモンで構わない」


 友好的になって聞いてもらう作戦か。っていうか、世界を救えなんて、どうやったって聞けないことだろう。


「……その頼みですけど、僕には荷が重いかなあと思うんで、断らせていただきます。では……」


 こんなの真面目に対応することじゃない。ふざけた遊びに付き合っていられるか――僕は会話を切り上げて急いで中に戻った。


「大丈夫だ。方法なら――」


 男性はまだ何か言っていたけど、僕はすぐに扉を閉めた。世の中には変なやつがいるものだ――息を吐いて居間へ戻ろうとした直後、ドンドンっと再び扉を叩く音に僕は振り返った。迷惑なやつめ。一体何なんだ。ふざけるなら他でやってくれ。


 少し苛つきながら扉を開けると、男性は変わらずそこに立っていた。


「無視しないでくれ。私の話を聞いてほしい」


「悪いけど、僕はこんなに平和な世界をさらに救う方法なんて見当がつかないんだ。そんな遊びがしたいなら他の人を当たってくれ。僕は明日も仕事で、あなたみたいに暇じゃないんだ」


「遊び? これは遊びじゃない。私は真剣だと言って――」


「こんな時間に迷惑だ。早く帰ってくれ」


 そう言い捨てて僕は扉を勢いよく閉め、すぐに鍵をかけた。しばらく玄関に留まって様子をうかがったけど、扉が叩かれることはなかった。諦めて帰ってくれたようだ。まったく、わざわざ家を訪れて他人をからかうことの何が面白いのか。僕には理解できない趣味だな。


「エヴァン、誰か来たのか」


 父さんの声がして僕は食卓へ戻った。やっと訪問者に気付いたらしい。


「何でもない。ただの間違いだった」


「そうか」


 いちいち説明することでもないかと、僕はそれだけ言って食器を片付ける。父さんのほうも大して興味はなさそうだ。爺ちゃんと話しながらスープを飲んでいる。それを横目に僕は二階の自室へ向かう。あんなやつを相手にしたせいか、何だか疲れたな。今夜も熟睡できそうだ。

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