漫画のプロ!②
図書館につけば、さすがの栞でも本を閉じる。そうすれば僕はお役御免で、すぐにブレザーを手放した。栞は僕に触れられていたことにも、離されるまで気がついていなかったみたいだ。
抜本的な不安しかない。こんなに抜けたところもまた、意外な一面だった。
「じゃ、僕は本を見てくるから」
「一緒に帰ろうね」
「分かった。借りる?」
「うん」
「借りたらカウンターの前の席で待ち合わせな」
「うん。読まないようにする」
確かに、そうしたほうがいいだろう。苦笑いで頷くと、栞はさくっと移動を開始した。さっきまでの不安定な足取りはどこへやらだ。いや、本に釣られて不安定ではあるけれど。ちゃんと自分の意志で歩いているから、危なっかしくはない。
それについていってしまいたくなるくらいだけれど、僕だって借りたい本がある。視線を残しながら、館内を歩いた。歩き始めれば、すぐに本へ意識が切り替わる。
借りたいと狙っていたのは二冊。だが、上限十冊まで借りなければ物足りない。本棚を巡って本を探す。
高校生だ。それも、荘で暮らしている。生活費から趣味として本を買うのには限界があった。図書館であれば、表紙で借りることもできるし、運試しで挑戦することもできる。こうして良い本に出会ったら、自分の本棚に並べるようにしていた。そうでなければ、とてもやってはいけない。
恐らく、栞も同じなのだろう。本棚を眺めては、気付いたように本を引き出していた。僕とよく似た選び方だ。そして、いつの間にか栞を観察していることに気がついた。
何だか負けたような気がして、自分の本選びへ戻る。いくつかの本棚を渡り歩いて、今日は文庫本を中心に借りた。適当な縛りや偏りで借りてしまうのは、僕の癖だ。
そうして十冊を重ねて貸し出し手続きをして、カウンター前の席に腰を落ち着ける。栞が右往左往しているのが、そこから目視できた。またぞろ視線が吸い寄せられていて苦笑する。
今まで、ここまで栞を意識していただろうか。自覚がなかった。やっぱり、この意識は昨日から芽生えたものに違いない。あまりにチョロ過ぎて自分の精神性に不安が宿る。
そりゃ、意識するようになるのなんて、突然のことなのかもしれない。それに、昨日のことはインパクトが強過ぎて、そのきっかけになっても何もおかしくはない。そう整理はできるが、それにしたってという疑問符は尽きなかった。尽きなかったが、そんなもの考えたところで結論が出ないことも分かっている。
栞は出したり戻したりしながら、本を選び終わったらしい。ほくほく顔で、カウンターへやってくる。面白い本が見つけられたのであろうことが一目瞭然で微笑ましい。
ただ、今は僕がいるからいいが、一人でこのテンションを晒しているのかと思うと苦笑いにもなった。僕だって人のことは言えないだろうけれど、それにしたって本好きが身体中から湧き出ている。
手続きを終えた栞が、僕のそばにやってきた。
「帰ろうか」
「いいの見つかった?」
「ああ。面白そうなミステリーのシリーズを借りてみた。栞は?」
「私は気になっていた新刊を借りたよ。長編ファンタジーの最新刊。待ってたんだけど、今月はお金足りなさそうだったから、借りられたから助かった」
「軍資金は難題だよなぁ」
小声で話しながら、図書館を出る。帰り道が一緒というのは、こういうものかと不思議な心地がした。
高校になってから、こんなふうに誰かと一緒に帰ったりはしていない。友だちがいないわけじゃないが、夏目荘は駅とは逆方向だし、図書館に寄るのに読書に興味のない友人を付き合わせる気はなかった。
それに、荘の人間は学校では適度な距離感を保っている。先輩たちも学校ではあまり関わっていないようだった。絶妙な間合いがあるらしい。それにならっているわけではなかったが、僕だって荘の住人と学校で会話を交わす理由もなかった。
そうして距離を測っていたのが、それとなく作用していたのか。思えば、図書館で栞と会わなかったのは奇妙なものだ。
僕も栞も、二週間の貸出期間いっぱいを借りっぱなしにするタイプじゃない。きっと、この三週間の間にも、何度か通っていたはずだ。今日こうして遭遇したくらいなのだから、周期も被っていただろうに。
それとも、今までは本に夢中になり過ぎていて、気がついていなかっただけなのだろうか。そんなことがあるか? と思うが、今日が異様に意識していることは事実だ。
とにかく、こうして並んで歩くのは不思議なことだった。何より、女の子と二人きりというのは、生まれて初めてかもしれない。昨日から初めてのこと尽くしだ。
「蒼くんはバイトしているの?」
「探してるところ。両親はちゃんと仕送りするから勉強しろって言ってるけど、欲しい本を揃えようと思ったらなぁ」
「でも、バイトし過ぎると読む時間なくなっちゃうでしょ? 折り合いつけるの大変だよね」
「栞の懸念はそこか」
「そりゃ、そうでしょ。ミイラ取りがミイラになっちゃうよ」
「それ、微妙に間違ってないか?」
「そうかなぁ?」
栞はのほほんと首を傾げながら歩む。長い黒髪がさらさらと風に揺れていて、シャンプーの香りが鼻先をくすぐった。女子という意識が妙にこびりついているのは、やっぱり昨日の接触が原因だろう。
「元の木阿弥?」
「ほとんど一緒じゃない?」
「何にしても、読書時間を削りすぎたくはないのはよく分かる」
「蒼くん、かなりの間読んでるよね」
「栞に言われたくないんだが」
道中すらも読み漁っている栞とは比較にならない。僕はそこまで書痴なつもりはなかった。
僕は歴然の差であると断言したが、栞は怪訝そうな顔で僕を見上げてくる。差などないとばかりの顔色に、こちらも怪訝になった。
「そんなに読んでないぞ」
「上限まで借りて、期限内に返してるのに? 十分過ぎるくらい読んでると思うよ」
「それは栞も一緒だろ。僕だけを特殊みたいに言わないでくれよ」
「私は自覚があるもん。だから、蒼くんも同じだって言ってるの」
「それは、まぁ」
自覚の上であるのならば、納得するしかない。僕だって、自分が他人よりも読む自覚はある。比較対象が栞であるから言い返しただけに過ぎなかった。
そうして、僕らは趣味の話になだれ込む。好きなジャンル。読んできた本。昨晩も触れたことを改めて取り出し、お互いに本をオススメし合った。
借りてきたばかりの本を取り出して紹介してくる栞は、明朗と輝いている。キラキラとした効果でも飛ばしているかのように眩しかった。目を眇めて、その姿を堪能する。
胸が弾んで仕方がない帰り道だった。
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