好奇心は猫をも

想燈香 和憂 そとうか わゆ

好奇心は猫をも

 四畳半の閑散とした部屋で、男は一人頭を抱えていた。深夜テンションの延長で調子に乗ってなんの考えもなく、ネタを思いついてる訳でもなく、だが何故か確証の無い自信が男を襲い「お昼ごろには1つ新作小説を上げます!」などとのたまい、真っ白なモニターを映したまま、時計の針は10時を刺していた。

 ネタがない、頭に文字が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。

 そんな時、ふと腹が鳴り、こんなピンチな時でも空気を読まずに鳴る己の腹に嫌気がさしながらも、男は台所に向かった。

 冷凍庫を漁り、消費期限を2日超えた豚肉を冷凍庫から取り出し適当に切ろうとした時だった。刃が劣化し、全然切れず豚肉がボロボロになってしまった。男が困っていると、昔母親が包丁が切れなくなった時にしていたことを思い出した。確か適当な皿や器などの下の部分に包丁の刃を押し付け、研いでいたのだ。男は記憶の母親を思い出し、見よう見まねで包丁の刃を器に押し付け擦った。するとさっきまで全然切れず歯がゆい思いをしていた豚肉が、たちまちのうちに両断できた。

 その時、たった1つのその出来事が男に興奮と好奇心を与えてしまったのだ。それが男の身を破滅へと誘うことになるなど露も知らずに。

 男はキラリと銀の光沢を纏うそれを見てふと思った。これを、己の興味を引き立て、新作小説の‶ネタになるかもしれない物〟をもっと磨けばどこまで切ることができるようになるのだろうかと。

 気が付けば男はただ無心で、いや、どこか憑りつかれる様に包丁を器に押し付け、何度も何度も必死に擦り付けていた。

 豚肉がすっかり常温に戻った頃、男は恍惚とした表情を浮べ、ギラギラとした包丁の刃に目をくれていた。男は目の前の豚肉をすっぱりと綺麗に両断したかと思えば次は玉ねぎをとどんどん様々な物を切っていった。

 その包丁はどんなものでも軽々と切って見せた、次第に男は思った。この包丁で自分の首を貫くことができるのだろうかと。

 頭がおかしい、そんなこと誰が言わずともよくわかっていた、まともな人間ならネタの為に命を張る真似はしないし、ましてや包丁で首を刺すと痛いことくらい幼子でもわかる。

 そんなこと考えずともよくわかっていた、だが男の前ではそんなこと些細なことに過ぎなかった。もう男の頭にネタだのなんだのはなく、ただ好奇心という毒が男の体に染みつき動かしていた。

 ナイフの刃が喉を裂き、骨を断ち、生暖かい鮮血が皮膚を伝い落ちていく。掠れゆく意識の中、その激痛がどこか愛しかったことを、嫌に憶えて居る。

 『好奇心は猫をも殺す』と言うことわざを知っているだろうか、これはイギリスのことわざで、好奇心が強すぎると身を滅ぼすことになりかねないという意味を持つ。

 そう、男は猫であったのだ。


 

 男は最後の行を書き終え、時計の針が11時50分を刺しているの見て、胸を撫で下ろしていた。

 投稿ボタンを押し、パソコンを閉じ、目の前の包丁に流し目をくれていた。

 そう、‶私〟は猫であったのだ。

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