マテリアライズ ブラック
それは、突然訪れた。
高校の授業が終わってから直行して働いているコンビニバイトの帰り、21時を過ぎた頃。
速足で帰路を急ぐ。自宅まであと100mほどの直線道路。昼まで降っていた雨のせいで、濡れたアスファルトや車や電柱は、つややかにくっきりと輪郭を持っていた。半袖が少し肌寒いくらいの外気。あまりに静かな雨上がりの夜。
街灯の下に大きな水溜まりがあった。直径1mほど。避けて通り過ぎようとしたとき、沙理はふと小さな違和感を持った。背中がすうっと冷たくなるような、不安に似た違和感。
何がおかしいのだろう。怖い気持ちと確かめたい気持ちが半分半分。恐る恐る水溜まりをちらっと見て、違和感の正体に気付いた瞬間、沙理は激しく後悔した。
見なければ良かった。どくんと心臓が跳ねる。その水溜まりには、街灯の灯りが反射していないのだ。
濃い墨汁のような透明感のない濁った黒い水面。鏡面のようになるはずの水溜まりに、何も映っていない。
これは見てはいけないやつだ。覗いてはいけないやつ。
「夜、水溜まりを覗き込んではいけないよ。魔物に引きずり込まれて、二度と戻ってこられないから」
小さいとき祖母に聞いた話を思い出す。これが、その魔物なのか。
見てはいけない。そう思っていても、異様なほど暗い水面から目が離せない。次の瞬間、風もないのにゆらりと水面が波打った。
沙理は驚き、走り出した。やっぱり見てはいけないものだったのだ。危ない。魔物に捕まってしまう。通学バッグを強く抱きしめながら夢中で走った。
家に辿り着いても、鍵を開ける手が震える。背後から魔物が迫っているのではないか、今にも覆い尽くされるのではないか、焦って鍵を落としそうになる。やっとの思いで鍵を開け、家に入り、急いで鍵を閉め、もたつきながらチェーンをかける。沙理はそこでやっとひとつ大きく息を吐いた。
「お姉ちゃん? おかえり。今日カレーおいしくできたよ」
リビングから妹の理奈が呑気な顔をのぞかせる。
「ただいま。ありがとう」
かろうじて返事をし、笑顔を返す。強く抱きしめていた通学バッグの中で、理奈の明日のお弁当、クリームパンがつぶれていないといいな、と沙理は思った。
翌日、また雨のバイト帰り。
沙理は昨日の水溜まりのことを思い出していた。考えすぎだ。見間違いだ。祖母から聞いた迷信が印象深くて、怖いと思い込んでいたから変に見えただけで、きっと普通の水溜まりだったんだ。沙理はそう思いながら家の近くまで来た。
そこで沙理は、そのものを見つけ、あまりの恐怖に声も出なかった。そ・れ・は、家の前の電柱にいた。
異国の熱帯雨林のジャングルに住む巨大な猿のように、電柱にしがみつき、ぶらさがっていた。ドロっとした、乾ききらぬコールタールの塊のようでもあった。漆黒よりもさらに深い黒。雨に濡れてじっとりと重みを含んだ喪服のような黒。まさに闇そのものが、電柱からぶらさがっていた。
沙理の背中に冷や汗が流れる。これは、見間違いなんかじゃない。確かに、あそこに何かいる。あれがきっと、魔物。
恐ろしいが、目を逸らした瞬間に飲み込まれそうな気がして、見つめたまま動けなかった。
何分くらいそこに立っていたのだろう。真っ黒な闇は電柱からどろりと剥がれ、ずるずると流れ落ち、地面の水溜まりの中にどろんと流れ込んでいった。静かな水面にゆるりと波紋が広がり、そのあとは雨の音だけが残った。
沙理は恐怖で口がカラカラだった。
翌日のバイト中、沙理は仕事に身が入らなかった。あんな恐ろしい物を見てしまったというのに、また今日も同じ道を通って帰らなければならない。心配をかけたくないから、妹の理奈にも相談できずにいた。今日も雨。
「おつかれ、沙理ちゃん」
話しかけてきたのは常連客のエミである。小さなきっかけがあって会話するようになり、今では来るたび話しかけてくれる。
沙理は、こんな姉がいたらいいな、といつも思っていた。優しくて快活で明るいさっぱりした女性。自分にないものを全部持っているように見えた。憧れの存在。
「あ、エミさん。いらっしゃいませ」
「あれ、どうしたの? 顔色悪いよ、大丈夫? 体調悪いの?」
昨夜はほとんど眠れなかった沙理は、本当に顔色が悪いのだ。
「体調は悪くないんですけど、ちょっと悩み事? というわけでもないんですけど」
「何何? どうしたの、相談ならいくらでも聞くよー!」
エミは後ろで束ねた長い髪を揺らして微笑む。この人のように笑いたいと沙理は思っていた。あんな話をしたら、自分が変だと思われて嫌われてしまうかもしれないと思ったが、誰かに相談したい気持ちが勝った。
「実は、変なものを見たんです」
「変なもの?」
「はい。真っ黒で、ドロドロしていて、大きな、何かです」
沙理はここ数日にあったことをエミに話して聞かせた。レジに客がいないことをいいことに、細かく説明した。
エミに嫌われてしまったかもしれない。沙理は思ったが、話を聞き終えたエミは予想に反して「じゃ、今日は家まで一緒に帰ってあげる」と言い出した。
「いや、さすがに悪いですよ。そんなつもりで話したわけじゃないですし。ミキちゃんもいますし、夜9時ですよ。悪いですって」
ミキとは、今エミが押しているベビーカーに乗っている赤ちゃんだ。
「でも、一人じゃ怖いでしょ? 雨だし、その変なのが出る条件揃っちゃってるじゃん」
「まあ、それはそうなんですけど」
「大丈夫、大丈夫。旦那とミキと夜の散歩だよ」
「本当にいいんですか?」
「うん。バイト夜9時まででしょ?9時までに店に来るよ」
「すいません。図々しいこと頼んじゃって」
「いいって、いいって。大丈夫よ。じゃ、またあとでね」
エミは会計を済ませると「じゃーね」と帰って行った。
本当に一緒に帰ってくれるんだろうか。それなら確かに心強い。でも、こんなことに付き合わせて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
21時、バイトを終えて、理奈のお弁当用の菓子パンをもらって店を出ると、本当にエミがベビーカーを押して、エミの旦那と待っていた。
「お、沙理ちゃんおつかれ」
「本当に来てくれたんですね。本当にすみません。ご主人もすみません」
「大丈夫ですよ。ミキが寝ないときなど、たまに散歩しますから」
「すみません」
優しくて余計申し訳ない気持ちになる。あんな変な黒いドロドロ、見間違いかもしれないのに。自分の気のせいかもしれないのに。そんな沙理の気持ちは気にしていないのか、エミはさっさと歩きだす。
「こっちだよね?」
「あ、はい。そうです」
沙理は自分が道案内をしなければ、と思い、先頭にたった。
自宅まで100mほどのところ、ここで沙理は気味の悪い水溜まりを見た。
「最初の水溜まりはこのあたりで見たんです。」
沙理は、今は何もない普通の濡れたアスファルトを指す。エミは興味深そうに地面を見つめ、そのまわりも見渡す。特に変わったところはない。それから少し歩く。
「ここがうちなんですけど、その反対側の、あそこの電柱に、変な黒い大きなものがいたんです。ドロっとしてて、気持ち悪くて、ずるずる動いて水溜まりに潜っていきました」
思い出しても鳥肌が立つ沙理は、半袖の両腕をさする。
「うーん」
エミは道路を見て、電柱を見て、沙理の自宅を見た。
「すみません。何も起こらないですよね。本当にお手数かけました。私の見間違いだったんだと思います。送っていただいて、ありがとうございました」
沙理は頭を下げて言った。エミはまだ周囲を見渡して「うーん」などと言いながら首をかしげている。そして沙理に向き直り
「あのさ、沙理ちゃん。私だけじゃ力になれないかもしれないけど、解決してくれそうな人、紹介することならできるけど、どーする?」と言った。
「え?」
「たぶん、沙理ちゃんが視たもの、見間違いじゃない気がする」
「本当ですか?」
「うん。けど、私じゃ無理かも」
無理、とは何のことなのか、沙理はわからなかったが、見間違いじゃないなら、あれは何なのだろう。
「次、バイトない日っていつ?」
「明日です。16時には帰れます」
「明日、16時ね。ちょっと待ってね」
そう言うとエミは携帯電話を取り出し、誰かに電話を始めた。
「あ、もしもし、エミです。夜分にすいません。明日16時すぎって空いてますか? はい。そうです。依頼です。高校生の子なので、私一緒に行きます。はい。詳しいことは明日話しますけど、
電話をきるエミ。
「明日、私の職場の人に相談に行こう」
「職場って、エミさん働いてるんですか?」
「うん。今は育休中なんだけど。その人なら、解決できると思う」
「っていうことは、やっぱり何か起こってるんですか?」
「たぶん。詳しくは明日、その人に相談して、説明してもらおう。見た目ちょっと怖いけど、いい人だし、腕は確かだから」
話の流れはよくわからないが、どうやら誰かに相談できるらしい。
「じゃ、明日16時コンビニの前で待ち合わせでいい?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
エミの勢いに押される形になったが、宗教の勧誘とか高い壺を買わされるとかじゃないといいな、と沙理は少し心配した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※
梅雨の、珍しい晴れ間。久しぶりに洗濯物を外に干してから職場へ向かう。
私、
去年はそのせいで怖い思いもしたが、その怖い事情の原因が、今年は来ないらしい。私は去年より少し気楽に働いている。少なくとも、去年のような経験は、再来年までしない。それまでは、のんびり普通の探偵事務所の事務ができるだろう。
事務所に着くと山矢さんはコーヒーを飲んで煙草を吸っていた。山矢探偵事務所の責任者で探偵の山矢さん。尋常ならざる力を持っているらしいが、今は普通の(ちょっと怖い)35~6歳のおじさんに見える。去年の不思議な体験が、夢だったみたい。
短髪の黒髪、鋭い切れ長の目、高い鼻、くわえ煙草の薄い唇。黒いジャケットに白いシャツ。梅雨のじめじめした時期でもぴしっと黒い細いネクタイをしめて、ジャケットを着ている。おきまりのスタイルも変わらない。暑くないのかなと、いつも思う。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
私は今日のスケジュールを山矢さんと確認する。午前中に、夫の浮気調査をお願いしたい、という女性がくることになっている。午後は来客の予定はなく、その浮気調査の初期調査を始める、といったところか。
「昨日の夜、エミから電話があってな。今日16時過ぎに依頼人と一緒に来ることになった」
「エミさんから直接の依頼ですか?」
エミさんとは、私の前に事務をしていた人で、今は育休中である。
「あぁ、そうだ。詳しいことは聞いていないんだが、エミが俺にしか頼めないと言っていた。この事務所向きの案件なんだろう」
この事務所向きの案件。
「そうですか。荒草あらくさの件以外にも、そんな依頼ってあるんですか?」
荒草というのは、去年私に怖い思いをさせた張本人だ。
「あぁ、たまにある」
「わかりました。でも、まだどんな依頼かわからないんですね」
「あぁ、とりあえず、今日は話を聞くだけになるだろう。それで、エミの連れてくる依頼人っていうのが高校生らしいんだ。コーヒー以外の、高校生に出せるような飲み物を買っておいてくれるか?」
「高校生ですか! ずいぶん若い依頼人さんですね」
「そうだな」
「何か怖い思いをしているなら、かわいそうですね」
「そうだな。俺に解決できるものならいいが」
そう言って山矢さんはコーヒーに口を付けた。
いつも無表情で、感情的になることのない山矢さんだけど、依頼人の話はじっくり聞くし、仕事はいつも丁寧で抜かりない。表情に出にくいだけで、本当は依頼人に共感したり同情したりしているんだろうか。
紫煙を燻らし、煙の向こう側、遥か遠くに視線をやる山矢さんは、相変わらず何を考えているのか、私にはよくわからなかった。
午前中の浮気調査の依頼は滞りなく終わり、特別難しそうな案件ではなかった。
私は昼食を買いにコンビニへ行くついでに、夕方来るという高校生の子のための飲み物を調達する。今どきの高校生って何が好きなんだろう。
よくわからないが、とりあえずコーラとリンゴジュースとカルピスソーダを選んだ。あとポテトチップスとチョコレート。子供のホームパーティみたいだな、と思った。あ、あと山矢さんに頼まれた煙草。ショートピースと言っていたな。煙草なんてどれも同じに見えるけど。
16時15分、事務所のドアがノックされ、返事を待たずにドアが開いた。
「こんにちわー」
エミさんだ。長い髪を後ろで束ね、白いロンTにスキニーデニム。娘のミキちゃんは旦那さんに預けてきたのか、連れてきていない。
「田橋ちゃん久しぶり。山矢さん、急にすいませーん」
エミさんの後ろに、制服姿の女の子がいた。長い髪をふたつに結わいて、うつむいている顔は、若い高校生の溌剌さはあまり見られなかった。少し疲れているようにも見える。
「この子は依頼人の沙理ちゃん」
エミさんに背中を押されてズイっと前に押し出された沙理ちゃんは、小さな声で「桐島きりしま沙理といいます。よろしくお願いします」と言った。緊張しているのだろう。当たり前だ。
「山矢です」
山矢さんは相変わらずの無表情で、声も低いから怖い。高校生相手なんだからもう少し柔和な態度にすればいいのに、と思うが、そうもいかないらしい。
「沙理ちゃん、ここ座って。山矢さん、顔怖いけど、いい人だから」
「あ、はい」
エミさんに促されて沙理ちゃんはソファに座る。
沙理ちゃんの隣にエミさんが座り、エミさんの向かいに山矢さんが座る。私は、コーラとリンゴジュースとカルピスソーダのペットボトルを見せ「どれがいい?」とニコニコしながら言った。私くらいは愛想よくしておかないと、山矢さんとバランスがとれない。
「あ、えっと、じゃあカルピスソーダ」
「オッケー」
私は山矢さんにコーヒー、エミさんと自分にアイスティ、沙理ちゃんにカルピスソーダを運んだら、山矢さんの隣に座り、メモをとる準備をした。
「じゃ、君がエミに相談したことを、もう一度話してくれるか? できるだけ細かく、見たまま、感じたままのことを話してほしい」
山矢さんは、話を促した。
「はい。えっと、最初は3日前です。雨の夜でした」
そこから沙理ちゃんは、この3日の間に経験した恐ろしい体験を話してくれた。真剣な様子で、話していると実際に恐怖を思い出すのか、ときどき両腕をさするような仕草をしながらも、細かいところまで説明しようと一生懸命話してくれた。はきはきしていて、話もわかりやすかった。利発な、賢い子なんだな。そういう印象が強くなった。
聞いているこっちがぞわっとするような、リアリティのある語りで、とても作り話をしているようには思えなかった。
一通り聞き終わると山矢さんは、うーんと唸ってから「エミは現場行ったんだろ。印象は?」と言った。
「それが、えっと、沙理ちゃん、ごめんね。あのときは言わなかったんだけど、やっぱりあのへん、ちょっと怖い感じしたんだ。それと、ちょっと言いにくいんだけど、沙理ちゃんの家だけ、暗かった。街灯もあったし、家の電気もついてたんだけど、沙理ちゃんの家だけ、何か暗いものに覆われているように見えたの。嫌なこと言ってごめんね。でも、関係あるんじゃないかな、と思って」
沙理ちゃんは少し困ったような顔をしている。
「山矢さん、どうですか? 何かわかりそうですか?」
エミさんが聞いた。
「そうだな。少し質問をしていいかな。えっと、沙理さん。学校は楽しいかい?」
「学校ですか? はい。楽しいです。」
「友達はいる?」
「はい。多くはないですけど、いろんなことを相談できる子はいます。さすがに今回のことは言えてませんけど」
「そうか。では、バイトはどうかな? 怖い先輩がいるとか、労働がきついとか。」
「いえ、みなさん、よくしてくださいます。仕事も、接客は楽しいですし、もちろん嫌なこと言ってくるお客さんもいますけど、そういうときは店長がすぐに来て対応してくれますから。困ることはありません」
「そうか。では、家はどうかな?ご家族との関係とか」
少し、間が空いた。沙理ちゃんは一回下を向いてから、顔をあげて山矢さんのほうを見て「家、ですか」と言った。
「そう。家族のことが聞きたい」
「家族は、えっと、両親は去年離婚しました。父は家を出て、もう再婚して、新しい家族がいます。子供も生まれたみたいです。母は、離婚してから少しずつ体調を崩すようになって、今ではほとんど布団から起きることはないです。それで、最初は嫌がったんですけど、説得して心療内科に連れていって、今は安定剤とかを飲みながら、過ごしています。あと妹がいて、妹はまだ中学生だから、いろいろ心配かけたくないし、離婚のこともショック受けてたから、私が守ってあげなきゃって思っています」
「そうか」
「でも、母が家事を全くできなくなっちゃったから、結局妹がほとんどやっていて、私はバイトもあるから、つい妹に家事をまかせちゃって悪いなって思っています。家のローンは父が出してるみたいですけど、ほかのお金は母の貯金しかなくて、それもいつまでもつかわからないから私がバイトしないわけにはいかないし、高校やめればもっと働けるんですけど、母が高校は行ってくれっていうし」
「沙理ちゃん、そんな大変な中、頑張ってたんだね」
エミさんが沙理ちゃんの背中を撫でる。
「いえ、世の中、もっと大変な人たくさんいますから」
沙理ちゃんは唇をかんで下を向く。
「そうか。ありがとう。状況はわかった。沙理さんが視たものの正体も、おそらくだが予測がついた」
「本当ですか?」
沙理ちゃんとエミさんが同時に声を出した。
「ああ。おそらく、退治できる」
「あーやっぱり持つべきものは頼れる上司だわー!」
エミさんが大きく息を吐いてから、私がテーブルに用意しておいたチョコレートをぽいっと口に放る。
「あの、じゃあ、私の見間違いとかじゃ、なかったんですか?」
沙理ちゃんが不安そうに聞く。
「ああ、実在していると思う」
そう言うと山矢さんは立ち上がり、窓へ寄った。指でブラインドをずらし外を見る。窓は去年、派手に破壊されてしまった事件があったため、税理士の野村さんが窓の修理と一緒にブラインドも設置したのだ。意味があるのかわからないけれど。
「雨の日にしか出現しないようなら、今日は無理だな」
今日は久しぶりの梅雨の晴れ間。
「明日は雨の予報だ。明日の夜、現場へ行こう。うまくいけばそこで退治できるだろう」
「あの、私の話を信じてくれて、ありがとうございます」
沙理ちゃんが立ち上がって頭を下げた。
「でも、さっき話したとおり、私お金がありません。こういうのって、依頼料がかかりますよね?」
ずいぶんしっかりした子だなと思う。いや、しっかりせざるを得なくなったのか。
「うーん。無料、と言っても、君は納得しなんだろうな。だから1万円にしよう」
「1万円ですか?」
「あぁ、1万円で、利子なしの10年払いでいい。」
「え?」
「10年以内に1万円払ってくれればいい」
「いいんですか?」
「ああ。それで契約成立だ」
沙理ちゃんはまた唇をかんで、「よろしくお願いします」と山矢さんに頭を下げた。
「あぁ。大丈夫だ。俺が解決するから、頭をあげなさい」
「はい。ありがとうございます」
沙理ちゃんが、高校生よりずっと大人に見えた。そのことは、なんだか切なく思えた。
「そういうことで、また明日だな。ところで、沙理さんとお母さんと妹さんは、いつも何時くらいに夕飯を食べているんだ?」
唐突に山矢さんが聞く。
「え、夕飯ですか?」
「そうだ、もう妹さんは食事を作ってしまったかな?」
「いや、まだだと思いますけど」
「そうか。じゃ、妹さんも呼んで、みんなで寿司を食べよう。景気づけだ」
景気づけ、という言葉とは不釣り合いに、無表情で無感情な声色の山矢さん。
「え! お寿司ですか?」
沙理ちゃんはびっくりしている。
「そうだ。1階に寿司屋があって、とてもうまい。妹さんも連れてくるといい。お母さんには、大将に何か消化に良い食べやすいものを作ってもらおう。言えば何でも作ってくれる」
するとエミさんが「えー! お寿司なら早く言ってくださいよー!」と大きな声を出した。
「チョコレートこんなに食べなかったのに!」
エミさんの手元にはチョコレートの包み紙がたくさん落ちている。
それを見て沙理ちゃんは、思わずといった感じでウフっと笑った。いい笑顔だ。そうそう、高校生なんて、こうやって笑っているうちに過ぎていくもんなんだ。早く山矢さんが沙理ちゃんの体験した怖いものをやっつけて、沙理ちゃんが笑顔で過ごせるようになるといいな、と思った。
朝になって、外を見ると天気予報通り、雨だった。
今日が決行の日だ。
探偵事務所に行くと、やはり山矢さんの姿はなかった。昨日食事をしたあとに、山矢さんとエミさんと作戦会議をしたが、沙理ちゃんを怖がらせている奴を倒すには準備するものがあるようで、山矢さんは早朝から出かける予定になっていた。
決行は夜だから、私はそれまでは事務所で待機。エミさんは沙理ちゃんの学校が終わったら自宅まで送ってあげて、夜に合流。妹の理奈ちゃんにも事情を話し、暗くなってからは家から出ないように話すと言っていた。
私は事務所でひとり、過去の書類の整理や片付けなどをして過ごす。特に来客もなく、今日に限って電話も全然鳴らない。何度も時計を確認する。早く山矢さん帰ってこないかな。私は、緊張しているようだ。
山矢さんは、山神村やまがみむらというところへ出かけているらしい。山矢さんの故郷のような場所、とのことだったが、出身地というわけではないらしい。
エミさんは行ったことがあるらしく、「自然豊かで素敵なところ」と言っていた。「不思議な土地」とも。
18時を過ぎてようやく山矢さんが帰ってきた。
「おかえりなさい」
「あぁ、何事もなかったか?」
「はい。沙理ちゃんも、妹の理奈ちゃんも、もう自宅にいて、エミさんが一緒にいます」
「そうか。じゃあ、20時頃から出掛けるとするか」
「わかりました」
私は山矢さんが戻ってきたことと、時間のことなど、エミさんに連絡をする。
「山矢さん、必要なものは揃いましたか?」
「あぁ、揃った。間に合って良かった」
そういって500mlのペットボトルを取り出した。ラベルはなく、無色透明の水が入っている。
「これが欲しかった。山神村の水だ。あそこの水は特別なんだ。浄化作用が強い」
「浄化ですか」
「そうだ。あと、これだ」
そう言って、小さな巾着袋を取り出した。お年玉のポチ袋くらいの大きさで、古そうな着物柄の生地。手作りのように見えた。
「村の住職さんにはいつも世話になっていて、今回もいろいろ用意してもらった」
山矢さんはいつも、いかにも一匹狼みたいな顔をしているけれど、実は違う。山矢さんは、税理士の野村さんやエミさんや寿司屋の大将や、いろんな人と関わりを持って生きている。この山神村というところの人たちもそうなのだろう。私も、そんな人と人との繋がりの中のひとりに、なれているのだろうか。
20時をまわって、いよいよ沙理ちゃんの家に向かう。夕方まで降っていた雨は止んでいた。
エミさんが沙理ちゃんの家から出てきた。沙理ちゃんの家を見ると、リビングの窓から、沙理ちゃんと妹の理奈ちゃんらしき少女が、ふたりで肩を寄せ合って、こちらを不安そうに見ていた。
「山矢さん、二人が自分たちの目で見たいって言うんですけど、窓越しならいいですよね?」
エミさんが言う。
「あぁ。外に出ないでくれれば大丈夫だ」
そう言って山矢さんはふたりの不安気な少女に片手をあげた。二人はぺこりと頭を下げる。
家の前のアスファルトに、大きな水溜まりができていた。
到着したときから、私にでもわかった。これは、気味の悪い何かがいる。気配というのか、違和感というのか、皮膚に微風を感じる程度の、何かしらの不安感。
「予定通りで頼む。もし万が一、俺が奴に取り込まれたら、エミ、俺ごと消せ」
「わかっています」
エミさんの顔にも緊張がよぎる。
「はじめるぞ」
山矢さんが言った。
「はい」
私とエミさんは、同時に返事をした。決闘開始だ。
山矢さんは、水溜まりから数メートル離れたところから、水溜まりを覗き込むような姿勢で挑発的に話し始める。
「おい。いるんだろ。わかってるんだよ。出て来いよ」
私とエミさんはさらに少し離れたところに立つ。
「さあ、出て来いよ。俺が相手してやるぜ」
静かだが、明らかに挑戦的な物言い。おびき出すのだ。
そのとき、水溜まりの表面がゆらっと波だった。はっとして、私は山矢さんから持たされているペットボトルを握りしめた。
水溜まりの表面はさらにゆらゆらし、ひとつドロンと大きく波打ったと思ったら、そこからドロっと、どす黒いスライムのようなものが這い出てきた。
それは話に聞いていた以上に気持ち悪かった。本来なら感情を持たないはずの無機質な物体が、自分の意思を持っているかのように動いている。鳥肌がたった。私は少しだけエミさんの後ろに隠れる。
ドロっとした黒いスライムは、水溜まりからずるずる這い出て、全身を見せた。
大きい。円形で直径2メートルくらいはあるか。固まっていないコールタール、といった沙理ちゃんの例えはぴったりだ。
「さあ、来いよ」
山矢さんがさらに挑発すると、ドロドロのスライムは突然すごい速さでビュっと山矢さんの方へ滑り出し、足元からずるっと巻き付き、山矢さんをべったりと覆い始めた。それでも山矢さんは「どうした、そんなもんか?」と挑発を続けている。
べったりと張り付いたスライムは山矢さんの体をずるずると登り、ついに山矢さんは全身を覆われた。
その瞬間を狙って、エミさんがエイっ! という掛け声とともに右手を掲げる。
ピシッと音が鳴り、エミさんの結界が、真っ黒いスライムに覆われた山矢さんごと、すっぽりと囲んだ。作戦通りだ。これでスライムは水溜まりの中に逃げられない。
エミさんの結界は素晴らしく正確な直方体で、いかにも頑丈で、水族館のアクリルガラスを思わせた。同時に透明度も非常に高く、美しいオブジェのようにすら見えた。
正確な直方体の結界の中で、山矢さんを覆っているスライムは、しばらく動かなかった。山矢さんは大丈夫なのだろうか。私は、山矢さん頑張って、エミさん頑張って、と心で念じることしかできない。
じっと見ていると、真っ黒いスライムの表面がボコボコと波打ち始めた。少しずつ大きくなっていく波の動き。次第に激しく凸凹にうねり始める。波打った部分が小さく破裂するようにブスッ、ブスッ、と弾け、弾けた部分は、黒い煙のような気体になっていった。どうなっているんだろう。山矢さん、大丈夫なのだろうか。
エミさんも長時間の結界で額に汗が浮かんでいる。
沙理ちゃんたちを見ると、二人で抱き合うように体を寄せ合って、それでも山矢さんの闘いをしっかり見ていた。
スライムはほとんど弾け、結界の中は黒い煙だけになっていた。よく見ると、少しずつ山矢さんの姿が見えてくる。黒い煙が薄くなってきているのだ。山矢さんは、人差し指と中指だけを立てて胸の前で手を組み、何かぶつぶつと唱えながら、深く呼吸をしている。黒い煙を吸い込み、透明な息を吐く。山矢さんは、自分の体を使って、黒い煙を浄化しているのだ。
山矢さんのまわりの空気はどんどん透明になり、結界の外の空気と変わらぬ色になった。
山矢さんはそれを確認すると、組んでいた手をほどいた。そして、コホンとひとつ咳をして、真っ黒いビー玉ほどの土の塊のようなものを、口から吐き出した。そして、それを山神村から持ってきた小さな巾着袋に入れると、ジャケットの胸ポケットにしまい、ひとつ大きく深呼吸をした。
「エミ、ありがとう。もういいぞ」
エミさんは力を抜いて、ふーっと大きく息を吐いた。山矢さんを覆っていた結界がさっと消える。
終わった。
山矢さんが、勝った。
静かな闘いだった。緊張感のある、静かな決闘だった。
「田橋、水をくれ」
「あ、はい」
山矢さんにペットボトルを渡す。私は緊張のせいで手汗がひどいことに今更気付いた。
山矢さんはペットボトルの水をごくごくと半分ほど一気に飲み、残りを頭からばしゃりとかぶった。
「自分たちの目でしっかり確認していたね。ちゃんと奴が視えていたかい?」
私たちは、山矢さんの濡れた頭と顔、ジャケットをタオルで拭いてから、沙理ちゃん姉妹の家のリビングにお邪魔していた。
「はい。視えました。妹にも視えていました。やっぱり実在していたんですね」
「あぁ。していたな。退治できて良かった」
「私にも視えました。あんな恐ろしいものをお姉ちゃんだけ視ていたと思うと、怖かっただろうな、と思いました」
妹の理奈ちゃんは沙理ちゃんとよく似ていて、とても可愛らしかった。まだ中学生であり、あどけない少女だった。長女の沙理ちゃんより、幼い印象がある。
「それで、奴の正体についてなんだが、ふたりに話しておかないといけないことがある」
「はい」
姉妹ふたりは肩を寄せ合いながらも、背筋をぴんと伸ばした。
「ああいう、いわゆる異形のものというものは、いくつか種類があるんだ。例えば、その存在自体が元々あって、その存在を人間が視てしまうタイプがある。これは例えば、幽霊や妖怪などだ」
わかるかい? といった感じでひと呼吸おいてから山矢さんは続ける。
「それとは逆に、元々は存在していないのに、人間の恐怖心や不安などの感情が、存在を作り出してしまうタイプがある。今回の奴は、こっちのタイプだ」
「感情が存在を作り出してしまうタイプ、ですか?」
沙理ちゃんが不安そうに聞く。
「そうだ。こういうのを『感情の具現化』というんだが。ある感情が強まって、集まって、どんどん集まってきて、大きな集合体になってしまって、実体化してしまうんだ」
沙理ちゃんと理奈ちゃんは顔を見合わせる。
「ちゃんと言っておかないといけないから、辛いかもしれないが、はっきり言う。この家の、沙理さんや妹さん、お母さんの感情が、奴を作り出してしまった、ということなんだ」
沙理ちゃんは驚いて両手で口を覆った。理奈ちゃんも驚いている。
「あんなバケモノを、私たちが生み出してしまったんですか?」
沙理ちゃんはショックを受けている。そりゃそうだろう。あんな恐ろしいもの。
「そうだ。ショックだと思うが、もうひとつはっきり言っておく。感情が生み出しているということは、また同じものが生まれてしまう可能性がある、ということだ」
姉妹二人は息を飲んだ。
「エミが最初にこの家を見たとき、暗く見えた、と言っただろ? それは、俺も感じた。実は沙理さんに会ったときにも感じたんだ。だから、奴の正体におおよその見当がついた」
「私が暗いってことですか?」
「正しくは、暗いオーラに巻かれてしまっている状態だ」
「暗いオーラ」
「そうだ。そして、家に来てみて、それが沙理さんだけじゃないとわかった。家全体が、暗い不穏な空気になってしまっているんだ。おそらく、沙理さんが話してくれたように、お母さんの体調がすぐれなかったり、沙理さんが勉強をしながらアルバイトをしなければならなかったり、妹さんが家事を全部やらなければならなかったり、みんな大変な思いをしているのだろう。そして、ここからが大事なんだが、それら全てに関して、家族がお互いに自分たちを責めながら生活しているんだ」
「自分たちを責めながら?」
「そうだ。お母さんはきっと、娘たちに申し訳ないと思っている。沙理さんは自分がしっかりしなきゃ、と思っている。妹さんはきっと、もっと自分も役に立たなきゃと思っている。そういう、相手を思うからこそ生まれている自分たちを責めるマイナスの感情が、集合体となって、この家全体を巻き込み、しまいには具現化してしまったんだ。そして、おばあさんから迷信で聞いて印象に残っていた『水溜まりの中にいる魔物』という形で、沙理さんの前に現れた」
姉妹は山矢さんの言葉に、少しずつ下を向き始めた。きっと、山矢さんの話に、心当たりがあるのだろう。
「どうしたら」
沙理ちゃんがキッと顔をあげて山矢さんに言った。
「どうしたら、もう二度とあんな奴を生み出さずに済むんですか?」
そのためなら何でも頑張ります! そんな勢いだった。
「もう二度とあんな奴を生み出さないために君たちにできることは」
一度言葉を切って山矢さんは姉妹の目をしっかり見た。
「もっと大人を頼ることだ」
「え?」
予想外のことを言われたのか、二人は顔を見合わせ、また山矢さんを見た。
「君たちはもう十分頑張った。十分以上に頑張ってきた。それはとても偉いことだし、尊敬する。身近に頼れる大人がいなかったんだろう? 自分たちでやらなければと思った。自分たちが頑張らなければと思った。でも、もう十分だ。これ以上頑張らなくていい」
山矢さんは一度言葉を切り、姉妹と、エミさん、私のことを見回す。
「毎日食事を作るのは大変だろう? たまにはエミに作ってもらえばいい。たまには大将に作ってもらえばいい。気分転換にどこか遊びに行きたいなら田橋に連れて行ってもらえ。もしくは、遊びに行くときの留守番でも頼めばいい。母子家庭の支援などの相談は、うちの税理士の野村さんに聞けば何でも教えてくれる。手続きも手伝ってくれる。急ぎで現金が必要なら俺のところに来ればいい。無利子でいくらでも貸してやる。働いてからゆっくり返してくれればいい。いいかい?」
山矢さんは姉妹二人を見てゆっくり言った。
「もう二人だけで頑張らなくていいんだ。大丈夫だ。俺たちがついている」
静かに断言した山矢さんの言葉を聞いて、わっと沙理ちゃんが泣き出した。張り詰めていた何かがぷつんと切れたのだろう。
「お姉ちゃん!」
理奈ちゃんが沙理ちゃんを横から抱きしめた。
二人はしばらく泣いていたが、沙理ちゃんが顔をあげて、「ありがとうございます」と言った。
「私たち、ふたりでお母さんを守っていかなきゃって思っていたんです。でも、やっぱりできないことも多くて。でも頼れる大人もいないし、頑張ってきたけど、実際は、自分たちで思うより、メンタルぎりぎりだったんだと思います」
山矢さんは、うんうんと頷いている。
「ね、沙理ちゃん。山矢さん、顔怖いけど、いい人だったでしょ?」
エミさんが話に入った。
「はい。その通りでした。あ、肯定しちゃ失礼なのか。あ、でも、あれ、どうしよう」
沙理ちゃんが動揺している姿に、私は思わず笑った。理奈ちゃんも「お姉ちゃん失礼だよ」とつられて笑って、沙理ちゃんも「すいません」と笑った。山矢さんも、ふっと息を吐いた。小さく笑ったのだ。
無事に魔物退治は終わり、私たちは姉妹の家をあとにした。
夜道を3人で歩いて帰る。
「あの家族、大丈夫ですかね?」
私は、最後まで寝室から出てこなかった母親の存在が気になっていた。
「あとは家族の問題だ。俺たちは見守るだけだ」
「そうですね。お母さんも体調がよくなって、沙理ちゃんと理奈ちゃんの負担が、少し軽くなるといいですね」
「子供というのは、いつだって大人に振り回される運命なんだろうな。この先どうしていくかは、あの家族次第だ。SOSがあったら、手を差し伸べる。それしかできないな」
「そうですね」
家族というのは、他人が介入できない問題を多く抱えているものだ。どうするかは家族次第。その通りなのだろう。
「山矢さん、それ、どうするんですか?」
私は山矢さんのジャケットの胸あたりを指さした。
「俺にはここまでしかできない。あとは、明日、山神村に持っていって、対処してもらう」
「山神村って、なんかすごそうなところですね」
「そうだな。俺にとっては特別な場所だ」
私と山矢さんの会話を聞きながらエミさんがニヤニヤしている。
「エミさん、何笑ってるんですか?」
「いや、なんか懐かしいなーと思って」
「懐かしい?」
「うん。私が山矢さんに初めて会ったのも、山神村に初めて行ったのも、今の沙理ちゃんと同じ年、高校2年のときだったから」
「え!」
山矢さんが珍しく驚いた声を出す。
「なんですか?」
エミさんは怪訝な表情。
「エミが初めて事務所に来たときと、沙理さんが同い年?」
「そうですよ。高校2年になったばっかりの、16歳です」
「信じられんな」
「何がです?」
「今の沙理さんと比べてあのときのエミは、信じられないほど幼くてものすごく生意気だった。同じ年とは思えない」
「あ! 山矢さん、ひどい!」
エミさんが睨みつける。
「結界張って消してやる!」と大声で文句を言う。
「エミの結界ごときに消される俺じゃねえよ」
山矢さんはふっと笑って、煙草に火をつけた。私はふと疑問に思う。
「エミさんが高校2年って、何年前ですか?」
「えっと、11年前だね」
「え、じゃあ山矢さんとは10年以上の付き合いってことですか?」
「まあ、そういうことになるね」
夜道を歩きながらぷかぷか煙草をふかしている山矢さんを見る。
「山矢さんって、何歳なんですか?」
山矢さんは煙をふーっと吐き出して「田橋、俺は何歳に見える?」と聞いてきた。
面倒くさい女みたいだな、と思ったけれど、感じたまま答えた。
「35~6歳に見えます」
「エミ、俺と初めて会ったとき、何歳くらいに見えた?」
「え? 35歳くらいですかね」
「じゃ、俺は35歳くらいなんだろ」
そう言って、煙をふーっと吐き出して、また歩き出した。
「え? どういうことですか?意味がわかりません」
ふふふっとエミさんが笑っている。
「まあ、田橋ちゃん、細かいこと気にしなくていいんじゃない?」
そう言ってエミさんも歩いて行ってしまう。
「待って下さいよー。どういう意味ですか?」
まだまだ謎の多い山矢さんと、そんな山矢さんと10年以上一緒にいるエミさん。
私もそのうち、「山矢さんの謎? そんなのいちいち気にしない」なんて思える日が来るのだろうか。それまで探偵事務所は辞められないな、と思って、二人を追いかけた。
【おわり】
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