飛ばぬ燕の唄
根ヶ地部 皆人
第1話
これは昔、とある街でのおはなしです。
その街の広場には一本の高い
その像は全身に金箔が貼られ、手に持つ剣には暖炉の火よりも赤いルビーが、その両目には深い海よりも青いサファイアがはめこまれておりました。
街の人々が「幸福の王子」と呼ぶこの像は、朝日を浴びるとそれはもうきゃらきゃらとまばゆく輝いたそうです。
さてこの街に、一人の若い工員が住んでおりました。
朝日を浴びてきゃらきゃらと輝く王子を見ながら
この工員は、実のところ工場での仕事などしたくはありませんでした。本当は芸術の都へ学びに出て、絵を描いたり銅像を作ったりして暮らしたかったのです。
しかし親戚一同の「芸術の勉強ならば仕事をしながらでもできるだろう。まずは手に職をつけなくては」という言葉にごまかされ、朝日を浴びてきゃらきゃらと輝く王子を見ながら行きたくもない工場へ連れこまれ、くわんくわんと鋳型を壊ししゅるりしゅるりと部品を磨きやっとこさっとこできあがりますともう夜になっておりくつくつと煮たった金属を鋳型へ流しこんで、くたくたになって帰る日々を過ごしておりました。
毎晩毎晩この工員は、広場の柱の上の幸福の王子を見上げて思いました。
「見ろ、あの下品なこと! ギラギラと飾り立てて趣味が悪いったらあない。ああ、俺ならばあんなものではなく、もっと良い像を作るのに」
しかし仕事で疲れはてた工員は、家に帰ってから芸術の勉強をする気力も銅像を作る元気もなく、ばったりと倒れて寝てしまうのでした。
そんなある夜のこと、いつも不機嫌な工員はよりいっそうのしかめっ面で幸福の王子をにらみ上げました。
毎日のようにきゃらきゃらと輝く王子を見ながら出向きくわんくわんと鋳型を壊ししゅるりしゅるりと部品を磨きやっとこさっとこできあがりますともう夜になっておりくつくつと煮たった金属を鋳型へ流しこんでくたくたになって帰ろうとしたところ、工場長から普段の働きがなっていないとお小言をもらった後なのでした。
いつもなら家に帰ってばったりと倒れて寝てしまうのですが、その夜の工員の腹のそこには煮たった金属よりもさらにぐつぐつと熱く重いものがうずまいていたのです。
「ええい趣味の悪い金ピカめ、ふんぞり返って俺を
そう息巻いた工員は高い柱によじ登り、
「ようし、これで少しは見られるようになったな!」
笑った工員は柱から滑りおり、そのへんで眠りこんでいる物乞いの汚れきった毛布の中にルビーを放りこんで家へと帰り、ばったりと倒れて寝てしまったのでした。
次の日、ひと眠りして我に返った工員は青ざめました。これは大変なことをしてしまったとあせりましたが、もはやどうにもなりません。
ああせめて像を傷つけたのが俺だと知られませんように、あの物乞いが宝石欲しさにやったことだと思われますように。
そう祈りながらルビーをなくしてなおきゃらきゃらと輝く王子を見ながら出向きくわんくわんと壊ししゅるりしゅるりと磨きやっとこさっとこでもう夜になっておりくつくつと流しこんでくたくたになって帰ろうとしました。
ええ、そうなのです。
誰も、まったく
夜の広場を歩きながら、工員は考えました。
「ううむ、こんなに目立つ場所に立っているものだから、この像は街のみんなが大切にしているものだと思いこんでいたけれど。こいつはほんとに趣味が悪いだけの無用の長物なのかもしれんぞ」
柱のたもとに立って金箔貼りの像を見上げますが、なにしろ暗い夜のことですのでその顔までしっかりとは見えません。
「しかしあの瞳は深い海よりも青いサファイアであるという。きっと高価なものにちがいあるまい。うむ、では一石二鳥の人助けといこうじゃあないか」
そう言うと工員はまた今夜も柱によじ登りまして、王子様の右目をえぐり取りました。
「世のため人のため使われたほうが、宝石だって嬉しかろうて」
そう笑った工員でしたが、王子の右目にぽっかりとあいた空洞を目にしますと急に薄気味悪くなり、ぶるりと身を震わせて柱から滑りおりました。
そして工員は病気で寝たきりの父親と痩せこけた娘が住むあばら家のすき間だらけの戸口からサファイアを放りこんで家へと帰り、ばったりと倒れて寝てしまったのでした。
次の日も、工員以外の誰一人として、王子の異変に気づくものはありませんでした。
工員は片目をつぶされてなおきゃらきゃらと輝く王子を見ながら出向きくわんくわんと壊ししゅるりしゅるりと磨きやっとこさっとこでもう夜になっておりくつくつと流しこんでくたくたになって帰ろうとしました。
夜の広場を歩きながら、工員は考えました。
「ううむ、ここで止めるのもよろしくはあるまい。男たるもの、最後までやりとおすべきであろう」
そして工員はまたしても柱によじ登りまして、王子の残った左目をえぐり取りました。
「王子様よ、あんただって誰に見向きもされずに突っ立っているよりは、なにかの役には立ちたかろうよ」
そう笑った工員でしたが、王子のぽっかりとあいた両目を見ようとはせず、なにかにおびえるように柱から滑りおりました。
そして工員はくたびれた牧師がいとなむ孤児院の穴だらけの壁からサファイアを放りこんで家へと帰り、ばったりと倒れて寝てしまったのでした。
さあ、次の日は大変なことになりました!
無欲で正直な牧師が孤児院に投げこまれた宝石について申し出ましたので、街の人々は幸福の王子の宝石がなくなっていることにようやく気づいたのです。
だれがこんなひどいことをしたものか、いったいなにが目的なのか、うわさ話が飛びかうなかを工員はすべての宝石をうしなってなおきゃらきゃらと輝く王子を見ながら出向きくわんくわんと壊ししゅるりしゅるりと磨きやっとこさっとこでもう夜になっておりくつくつと流しこんでくたくたになって帰りばったりと倒れて寝てしまうのでした。
ええ、しばらくはそれだけ、いつも通りの日々なのでしたが、やがて工員は街が少しずつおかしくなっていることを知りました。
ルビーを放りこまれた物乞いは、広場から姿を消していました。宝石を元手に商売でもはじめたのならよいのですが。急にお金持ちになったせいで、よからぬやからに目をつけられたりしていなければよいのですが。
右目のサファイアを放りこまれた家では、病気で寝たきりの父親を置いたまま痩せこけた娘が姿を消していました。父親の薬を買うために遠くへ出かけたのならよいのですが。宝石を持ったまま父親を放って逃げ出したりしていなければよいのですが。
左目のサファイアを放りこまれた孤児院には、
工員はなんとなく気持ちの悪いものを腹のそこにかかえたまま、腹のそこで煮たった金属よりもさらにぐつぐつと熱く重くうずまいていたものが冷たくさらに重くなって居座っているのを感じながら、いつも通りの日々を過ごしておりました。
そんなある朝のことです。
工員が工場へ出向こうとした時、もう幸福の王子はきゃらきゃらとは輝いておりませんでした。
夜のうちに心無いものたちが寄ってたかって金箔をはぎ取っていたのです。
王子様の体はひどい
工員は足を止めて像を見上げました。
手に持つ剣には、もう暖炉の火よりも赤いルビーはありません。それは彼が奪いとったのです。
遠くを見つめる瞳には、もう深い海よりも青いサファイアはありません。それも彼が奪いとったのです。
朝日を浴びる体には、もう輝く金箔はありません。それだって彼が奪ったようなものではありませんか。
王子は、もはや幸福の王子とは呼びがたい像は、それでも変りはてた剣を手に、うつろな目を見開いて、傷だらけのくすんだ体で太陽の光を浴びてすっくと立っておりました。
像を見上げる工員の頬に、静かに涙が流れました。
広場の柱のうえに立つその像があまりにみすぼらしく、あまりに痛々しく、そしてあまりに美しかったので、それが今までと同じように美しくあり続けていることにようやく思い至りましたので、工員は声もなく涙を流しつづけました。
その日、若い工員が首を吊っているのが見つかりましたが、街の人々のほとんどが興味を持ちませんでした。
みんな広場に残された薄ぎたない
飛ばぬ燕の唄 根ヶ地部 皆人 @Kikyo_Futaba
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