アレンという無能の少年兵士

「ふぅ、こんなもんだな」


 雑巾を片手に窓を拭き終えた少年は、最後に窓をチェックして、汚れが残っていないかを確かめる。肌艶が良く、きりっと目鼻筋の通った少年の顔が窓に反照した。

鮮やかな庭園を窓越しに見通してから、少年は次の清掃に移っていく。


 少年の名はアレン=フォード。クセの残る茶髪をマッシュヘアに整え、中肉中背の身には黒を基調とした軍服を合わせている。


(次は床の掃除か)


 アレンは二年前に帝国から徴兵され、国家軍に入隊した。度重なる戦争で戦死する兵士は後を絶たず、訓練後のアレンもすぐに戦場でデビューすることになる。しかし戦場では逃げることを優先しがちだったアレンは、すぐに無能の烙印を押され、こうして宮殿で雑用を任されるに至った。人手不足を理由に、敵前逃亡で銃殺刑が適用されなかっただけありがたい話だ。


 午前の仕事が一段落し、宮殿の裏にある、徒歩数分圏の小屋にアレンは向かう。木造のボロい食堂小屋だ。小屋に入ると、アレンと同じように無能の烙印を押された兵士たちや、宮殿で働く平民たちが長テーブルに座って食事を取っていた。

 アレンも昼食を受け取る。受け皿に載るのは、豆のスープと乾いたパン。それだけ。ここ三か月、献立は変わっていない。アレンは着席し、スプーンで掬ったスープを口に運んだ。ほのかな塩味だけで、ほとんど味がしない。パンもちぎって口に運ぶが、酷くパサついている。完食するも、腹は満たされなかった。


 周囲の者に会話はない。理由は簡単だ。エネルギーを消費するからだ。皆の頬は痩せこけ、腕もミイラのように皮と骨が目立つ。生気もない。

 まるで刑務所のような光景だ。

 食後は休憩の時間もなく午後の仕事に就く。普段どおり、午後八時に仕事が終わった。住居に戻っていく。


 アレンの住居は宮殿に近い場所にある。宮殿で働く者たちの木造集合住宅で、広さ8平方メートルほどの部屋が個人に与えられている。トイレとシャワーは共用だ。

 普通は簡易ベッドと荷物が置かれているだけの部屋だが、アレンの部屋は違った。


「さすがかつ丼だ。うまいな」


 この世界には存在しないはずの容器――プラスチック容器に入った、甘辛く味付けされたご飯と豚のフライを、箸を使って器用に食べるアレン。残飯のような昼食に比べると格別の味付けだ。腹への刺激も違う。

 胡坐をかいて食事を取るアレンの脇には、日本語の本が積まれている。中学生用の教科書や週刊誌、漫画雑誌などだ。食事をしながら雑誌を開き、興味津々に目を通す。


「食料の廃棄が問題とは羨ましいな。この国は足りないくらいなのに」


 コンビニの廃棄問題が雑誌で取り上げられていた。だから最近は、コンビニの廃棄から“持ってきた”料理で腹を満たすのが、アレンの密かな楽しみになっている。


「……」


 食べ終えたアレンは箸と容器を置き、左の手のひらを見つめる。

 この世界に存在しない本や食事が部屋にあるのは、すべてこの左手が叶えてくれる。


 ――〈サムライハント〉。

 およそ一年前にこの力に目覚めた。アレンが念じることで左手が異世界の〈日本〉に通じ、望んだアイテムを持ってくることが可能な異能力。能力に目覚めて以降は誰にも悟られないように、日本を勉強しながら、日本の食事で腹を満たして生き延びている。


「青春か……」


 アレンの母親は日本からやって来た日本人。どうやってこの世界にたどり着いたのかは、本人ですらわからないらしい。事故に遭いそうな瞬間に、気づいたら移動していたそうだ。

ひょっとしたらアレンに流れる日本人の血が、この力を目覚めさせたのかもしれない。


「死を意識しなくてもいい世界なんだろうな」


 徴兵される前に母が語っていたことは鮮明だ。日本には高校という教育施設があり、同学年の者たちと同じ教室で日々を過ごす。勉強や部活動に励み、友達や恋人と思い出を作る、かけがえのない時間、だそうだ。


「この力をうまく使えば日本に行ける気がするんだけど」


 こんな戦争にまみれた国で、囚人のような生活などまっぴらごめんだ。何が何でも生き延びて、絶対に日本に逃げてみせる。

 アレンは廃棄されたコンビニのメロンパンを片手に改めて決意する。

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