59.「希望」

あれから、数ヶ月後。


彼女はやはり今日も、変わり果てた姿でそこに寝ていた。

異様な形のそれは、果たして本当に生きているんだろうか。


…僕には自信が無かった。

変わった彼女を愛することはできるけれど、果たして僕に、この『責任』を果たすことは出来るんだろうか。


「しき」


彼女はそう言って、変わらず僕に微笑みかける。


「……れいちゃん」


彼女の声に、そんな不安は一瞬にして吹き飛ぶ。


「おはよう」


れいちゃんに挨拶した後、僕は今日も異様な形をする……れいちゃんのふくらんだおなかを撫でる。


こんな風におなかにいる時から触れ合っていれば、きっと愛せると思って、これは毎日欠かさずやっている。


「どう?」

「……全然」

「まぁ、まだ時間あるよ」


色々まだまだ大変な事はあるけど、今一番の僕らの悩み所は……名前だ。


愛されて付けられる名前であって欲しい反面、いわゆるキラキラネームでも苦労していけない。


そして僕らは運悪くどっちも、ネーミングセンスが無い。


僕は太郎とか一郎とかしか思いつかないし、れいちゃんは猫とか犬とか、固有名詞でないものばかり思い付くからそもそも名前にならない。


「うーん……」


病室で2人唸っていると、扉の開く音がする。


「おー、またやってる」

「やっほー」

「2人とも……また来てくれたの?」

「当たり前でしょ、なんだから」


訪ねて来たのは、こうきとゆうなだ。


……そう。

実は、ここ数ヶ月で大きな進歩がある。


それは、れいちゃんに友達が出来た事だ。


「れい、調子どう?」

「普通」

「そう?良かったー」


受け答えは淡々としてるけれど、ゆうなと話しているれいちゃんの表情は柔らかい。


「あっ、ゆうなに嫁取られて妬いてる?」

「違う!」


イジるようにこうきに言われて、僕は慌ててそっぽを向く。


ゆうなと言えば、あれからしばらく経って、ゆうなはやっと僕と目を合わせたり口を聞いてくれるようになった。


「ほんと、重い男だよねー」


……ちょっとだけ、僕への当たりが強くなった気がするけど。


まぁ、友達でい続けてくれるだけで有難いから、それくらいは良い。


「あっ、みんな来てるし」


…と、そんな事を考えてる所に現れたのは、輪だ。

片手にはお菓子の入ったバスケットが握られている。


「みんなも食べる?この人数じゃ少ないかもだけど」


そう言われて、2人は首を振る。


「……いいよ、れいが体力つけなきゃだもん、れいが食べな?」

「分かった」


れいちゃんも、赤ちゃんの為に頑張っていた。


栄養失調にならないように、たくさん食べれるように自分から頑張ってみたり、運動してみたり。

その甲斐あってか、初めて会った時よりも健康的になった気がする。


たまにめんどくさい、もう辞めたいと弱音を吐くけれど、ちゃんとその辛さを僕とかに分け合ってまた立ち上がるんだから、凄い。


考えてみると、あの家庭状況で生き続けていたんだから、れいちゃんは結構忍耐力というか、そういうストレスへの耐性がちょっと強いんだ。


れいちゃんって、強い子なんだなぁ。


「はい、一個ずつ」


れいちゃんはお菓子の入ったバスケットから一個ずつ僕らに配る。


「……ありがとう」


動作の一つ一つが愛おしい。

まだ子供みたいな言動は、出会った時からそうだった。


でも、れいちゃんは変わった。


母になる事を決めてから、頑張ってた。

それを知ってるから、せめて僕だけは……いや、僕らだけは、認めてあげたい。


君はもう、立派なお母さんだよ。


「おいしい?」

「うん。おいしいよ」


そして、僕もいずれ、お父さんになる。


「あはは、くすぐったい。赤ちゃんが動く」

「ほんと?触っても良い?」

「うん」


僕はいわゆるショタコンの人達に告白されまくるくらい堂顔だし、女の子の平均身長くらいのゆうなさえ背を抜けないし、『お父さん』と言うにはあまりにも格好がつかないけど、それでもこの子の父親なんだって、胸を張って言える人になりたい。


心配だったけど、将来の為に高校にも通い続けてる。

特に隠す事もしてないから嫁持ち高校生なんて言われたりするけど、孤立はしてないし、前に比べればちょっとだけだけど友達も出来た。


隅で本を読んで、勉強して、数人の気の合う友達と喋って、……それは、本当に僕の望んだ学校での生き方だったのかもしれない。


「……生きてるね」


れいちゃんの動きかもしれないけど、ちょっと動いたように感じて、思わず頬が緩んでしまう。


ここまで用意しといて、まだ信じられないな。

あの華奢で折れてしまいそうに儚いれいちゃんから、僕らよりも大きくなるかもしれない子供が生まれるんだ。


そして、それはたった一回の触れ合いから来た命。


死ぬ前の最初で最後の触れ合いが、まさか新しい命を生むことになるなんて、思わなかったなぁ。


……よく生きたね。


僕も、れいちゃんも……赤ちゃんも。


誰もあの波にさらわれて命を落とさなかった。

思えば、この為だったのかもしれないね。


「……かわいい」


れいちゃんは自分のおなかを触って愛おしそうに呟く。


……どうか、生まれてきてくれて良かった、ありがとうと言える未来に。


生まれてきて良かった、この両親で良かったと言われる未来に。


僕はその為だったら、無茶だってしてみせるよ。


「しき」

「なに?」

「……ありがとう」


拙い言葉遣いは変わっていない。

でも確実に変わったのは、ありがとうだとか、ごめんなさいだとかがちゃんと言えるようになった事だ。


そんな事と思うかもしれないけど、それをちゃんと言えない大人は意外と多いから。


「……僕も、ありがとうだよ」


れいちゃんに撫でられて、ちょっとの疲れでも飛んで行く気がした。


そうだ。

無茶はしても、頼れる時はちゃんと頼って、支え合っていかなきゃ。


僕らだけじゃない。

家族でも、友達でも、きっとみんなそうだ。


「僕ら、ちょっと出てるね」

「えっ…何で?」

「買い出し。しきはれいを見てて?」

「分かった…」


病院食もあるにはあるけれど、輪は例の友達に料理を教えて貰っているらしく、最近は手作りした健康的な料理を持って来てくれたりする。


さっきのお菓子も、何やら健康的なパウダー?粉?を使って作っているらしい。


勿論入院終わってからも輪の料理にお世話になる事なんてどだい無理なので、僕も最近は輪に教えて貰ったりしている。


れいちゃんも頑張ろうとはしてくれたけど、卵かけご飯さえ難しそうだったから、そこら辺はゆっくり出来るようになっていって、しばらくは僕一人で担当という事になった。


……あぁ、そうだ。

そう言えば、叔父さんの家……旧僕らの家でちょっといざこざがあったから事情を説明する機会があって、その時今まであった事を伝えると、少し支援してくれるという事らしい。


申し訳ないので断ったけれど、お金じゃなくて、知り合いの不動産屋さんが家の管理も兼ねて大切に使ってくれるなら、空き物件を貸してくれると言う。

何たる幸運だったけど、二度も叔父さんのお世話になるのは……と言うと、「助け合っていかなきゃ」と言われて、結局また助けられる事になった。


最近はれいちゃんの調子も良いし、いい事続きだ。

こういう事は考えたくないけど、まるで今までの不運のツケが回って来たかのように……


「わっ!」

「停電?」


そんな事を考えていると、不意に病室の電気が消える。


僕は咄嗟におなかを守るれいちゃんを守って警戒していると……。


パンッ!


「お誕生日、おめでとうー!」


……えっ?


「今日2月7日だろー?」

「そうそう、お誕生日」


そうだ。今日は誕生日だった。

婚姻届を書いた時、れいちゃんと確認して笑ってたのに。


『同じ日に、生まれてたんだ』…って。


「……ありがとう」


最初はびっくりしていたれいちゃんも、大きな音がクラッカーの音で、目の前に持ってこられたのが手作りの可愛いバースデーケーキだと分かると、途端に柔らかくなってそう言った。


「みんな、ありがとう」


僕も続けてそう言って、みんなと一緒に笑った。


生まれてくるあの子の前に。


れいちゃん、生まれてきてくれてありがとう。


そして、僕も。

父さん、母さん、生んでくれてありがとう。


僕、生まれてきてくれて、ありがとう。

…って、なんか変だな。


……そうだ。


生まれてきて、良かった。

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