10.「おしえて?」

「はっ……はぁ、……は、」


火事場の馬鹿力とか言うけれど、短距離走でもこんなに早く走った事なんて無いってくらい速く走った。


ちゃんと考えたらわかるんだ、僕がそんなに急いで駆け付けなくても良いことくらい。


でも、嫌だった。


僕の見てないところで、でも他の人は居るところで、他の人に守られて居ないでよ、僕だって……。


「あっ、小野寺?!」


1分くらい走ってた気になってたけれど、声の聞こえる範囲だったし実際は10秒も走ってないのだろう。

けれど、目の前には心配そうに囲む友達と、立ち尽くす友達と……それにしがみついてしゃがみ込むれいちゃんが居た。


「はぁ……っ、大丈夫?声聞こえて、」

「あぁ……俺達が奥の人形みたいなのに驚いたら、黒木さんこうなっちゃって……」


僕は一目散にれいちゃんの正面に来て近づいて、軽く抱き寄せるようにする。


とりあえず、他の人にしがみついてるのが何かモヤッとしたし、しがみついてる相手は男の方だし……。


……いや、そこは今はどうでも良いんだ。


僕はれいちゃんの顔を覗き込む。

暗くてよく見えなかったけれど、至近距離まで近づいたらやっと見えて……その表情は明らかに歪んでいて、顔は青ざめて、冷や汗をかなりかいていた。


「れいちゃん、大丈夫?話せる……?」

「……」

「……怖かったの?」

「……」


れいちゃんは喋ることはおろか頷きさえしないで固まっている。

僕はなんとかしたくて、少し体を離した状態で顔を寄せ、首元を抱きながら彼女の背中をさすった。


「大丈夫、大丈夫だよ……」


僕が完全に二人の世界に入り込んで必死に何とかしようとしていると、


「……俺、誰か先生呼んでこようか?」

「そうだね……私も何かするよ!」


と、引き戻される。


僕は、「ちょっと待って」と言い軽く立ち上がって、


「立てる?れいちゃん、僕に寄りかかっていいから」


と言って引っ張り上げると、れいちゃんは僕に寄りかかるように辛うじて立てる。


僕はそれを優しく支えて、二人の方を見る。


「僕が連れてけそうだから大丈夫。二人は僕と一緒だった……村上さんと合流して、三人で回ってて」

「え、でも……俺も手伝おうか?」

「私も、小野寺くんに任せっきりってのも……」

「……っ大丈夫!……大丈夫だよ、僕が任されてるんだから、僕一人で連れてけるし……」

「そっか、……分かった」


一通りまとまった後、丁度ペアの友達も後ろに押されて来たようで、説明を任せて別ルートで抜けようと来た道とも進む道とも違う方向にゆっくり歩く。


れいちゃんの方はまだダメなようで、触れているから少し体が強ばったりたまにビクッと震えるのが分かる。


「……れいちゃん、大丈夫だよ」

「……」

「大丈夫……」

「……」


怖くなってしまわないように、出来るだけ優しく、定期的に声を掛け続けながら歩く。


と言っても、彼女がどうしたら安心できるか分からないから、そのくらいの思い付くようなことしか出来ないけれど……。


「……あっ、明るいところに出るよ」


そんな事を考えていたらいつの間にか電気が付いている場所に抜けられて、一旦座らせようと辺りを見回す。


周辺にはベンチみたいなのは無かったので、一番近くの階段に座らせて、隣に座った。


「……」


覗き込むと、彼女は落ち着いて来たのか、段々といつもと調子を取り戻しているように見えて少し安心する。


「れいちゃん……まだ怖い?」

「……」


やっぱり明るくても静か過ぎて落ち着かないかな……と思って話しかけると、れいちゃんは僕の方を二、三秒見て、「あとちょっと」と言った。


その後は、またしばらく沈黙が続いて、……あまりれいちゃんも話しかけて欲しそうにはしてないし、無理にでも話そうとはしなくていいのかなと思ってぼーっとする。


……と、しばらくそんな風にしていたら、急にれいちゃんが、


「眠い」


と一言言った。


「……まだお昼だよ」

「うん。……だから、眠い」

「あぁ、そっか、授業中寝てるから……」

「……だから、昨日もちゃんと寝れてない」

「うん……それでよく生きてこれたね」


今まで授業中の睡眠が当たり前なら、……今日は朝も結構早起きだし、実質いつもの睡眠時間をかなり削る形になってしまっているのだと思うと、少し大変だなと思うけれど、実際彼女が特殊なだけでそんなに眠る時間は無い。


というか、高校までにわざわざ来てノートもとらずに眠って帰るなんて、本当に何の為に来ているんだろうと純粋に思ってしまう。

あの行動で友達作りの為ではさすがに無さそうだし、実は頭が良いとか……?


いや……それなら僕にも分かる。


そもそも、ここの高校だってどうやって入ったんだ?

何でこんな時期にという事もあるし、そんな事考え出したら次から次へと質問が飛び出てくるからキリが無い。


……こんなに気になるのは、やっぱり彼女が『特別』だからだろうか。


「……れいちゃん、学校楽しい?」

「別に……普通。めんどくさいけど」

「そっか……」


嫌、と言われなくて、心底ほっとしている自分が居る。


それは僕とれいちゃんを繋ぐのは、学校とかいう一つのコミュニティしかないからだ。


れいちゃんが次の日急に来なくなっても、家も知らない僕には彼女に合う術が無いから……れいちゃんがここに属していることに固執して、それが彼女にとって『嫌』ではない事に酷く安心している。


……でも、当たり前だけど、その気持ちが一生変わらないとは限らない。

少なくとも『楽しい』では無いんだし、学校に行かないことで起こる何かより『マシ』という気持ちで来ているんだとすれば、かなりそれは危うい。


現にれいちゃんはかなり浮いてるし、腫れ物扱いのような感じにも見えるし……やっぱりれいちゃんは僕が守らなきゃいけないんだ。


他の誰でもない、僕が……。


「れいちゃん、学校でも……前みたいに、一緒に遊んでも良い?」

「……良いよ」


僕が真剣な顔でまっすぐ伝えると、れいちゃんは考え込むような間も無く、いつものスピードでそう答えた。


今更改めて言ったのには、自分への宣言という意味もあった。

今まで『自分』の都合のいいように上手く生きてきたけれど、『自分の気持ち』と、『特別な人』の為に、上手く生きるのを辞めるんだ。


もちろん全てって訳じゃないし、いきなり出来るかも分からない。


……でも、僕にとって……僕にとってそれはとても重いもので、それを一つ『間違える』のは、僕にとって今までのこの生き方を、否定しなくちゃいけない事だから。


「……良かった。よろしくね」


僕は彼女に笑いかける。


あぁ……ごめんなさい。

僕はもう期待に添えないかもしれない。

あの人達の影で居られないかもしれない。


そう思うとどうしても出来ないんじゃないかと思ってしまって、慌てて考えないようにする。


「……」


そんな様子を勘づかれたのかそれともただの偶然か、れいちゃんは遠い方の手を伸ばして僕の左頬に触れた。


「……なに、?」


既に手を触れられているのに、右肩がれいちゃんの腕に触れそうになるのまで気になって酷く落ち着かない。


動揺しているのを悟られないように出来る限り平坦に言うと、れいちゃんは何も言わずに手を添えたまま僕の方を見つめてくる。


「……」


……キスされる?


ついそんな事を考えてしまって、体温がわっと上がるのを感じる。


途端に心臓の音が大きく聞こえてうるさい。


そういえば前もこんな事があった。

……けど、こんな風にまでなっただろうか?


やっぱりそうなんだ。

『特別』とは思っていたけど、一緒に居て楽しかったりドキドキするだけじゃなくて、近づかれたり、接触を想像してドキドキしてしまうのは……。


……だって、僕の感じていた『これ』が、『そう』だったなんて……。


「っ……」


僕は彼女が……れいちゃんが好きで、それは恋愛で、恋で、愛してるの『特別』なんだ。


思わず下を向いて、恥ずかしさのようなものに目を閉じそうになる。


心臓が破裂しそうだ。


……すると、頬にあった触られている感じ……ひんやりとした手が離れていく感覚があって、それにつられて彼女の方を見上げる。

彼女の真上に伸びた手は、僕の頬に吸い込まれるように振り下ろされて戻って来て……


パチンッ…


…………?


「痛、い……」


考えるより先に、素直な言葉が出てきた。


痛い……どうして?


不意打ち過ぎる痛みに酷く動揺して、抑えきれずじわっと目頭が熱くなる。


僕はれいちゃんに『触れられた』所に触りながら、ゆっくりと彼女を見上げた。


「……」


僕が何も言えないでいると、彼女は綺麗な笑顔で、「しき、……痛い?」とだけ言った。

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