正しくなんかない君の愛へ
センセイ
第一章
1.「よろしくね」
血とかだ液とかがぐちゃぐちゃになった、汚い床の上に僕は転がっている。
それはほとんど僕から出たやつだ。
まだおなかとか、頬とか……どこもかしこも痛い。
……でもとっても幸せなんだ。
僕には、僕の全ては彼女だけで……彼女のそれを『愛』として受け取れるのは、僕だけだから。
******
**
「はよー!しき」
「おはよ」
朝。
校門の前で友達と鉢合わせて、校内へと向かう。
教室に着く頃には、いつの間にか顔なじみのメンバーが集まっていて、授業が始まるチャイムが鳴るまで、その輪の中で他愛もない話で盛り上がる。
「なーなー、しきはどー思う?」
僕のその輪の中での役割は、たまに自分の方に回ってくる会話を、できるだけ穏便に纏める事。
「……そんな事より、小テスト。『ヤバい』んじゃないの?」
「うわ、やべー! 忘れてた!」
こんな風に、収集のつかなくなった会話に現実的な話でオチをつけるだけで許されるのは、僕が学級委員長という安定した地位を獲得していた事もあるだろうけれど。
ただ、中学の頃と違って輪の中に女子が常に居ることが多くなったり、当人たちの知識や経験も当然増えているんだから、短く済ませられない話を振られるのも多くなってる感じがして少し憂鬱でもあった。
それが嫌なら隅で一人読書でもしてれば良いのだけど……逆に出来るならばそうしてたいのだけれど、僕はそういう訳にはいかない。
……結局、学校で快適に、そして将来を見据えて暮らすなら、人望と、ある程度の『キャラクター』が必要なんだ。
僕が選んだのがこれだっただけで、ハイテンションで話し続けるあいつも、ずっと頷いて同調しているそいつも、みんなそうやって上手くこれを乗り越えてるんだ。
きっと、退屈な日々をこうやって……少しずつすり減らしながらって、本当はみんな、そうに決まってるんだ。
「席つけー、お前らー」
そうこうしているうちにチャイムが鳴って、すぐに担任の先生が声を張る。
その声で、あちこちに集まっていた人だかりが綺麗に自分の席に着いていく。
僕にとっては、こんな感じで皆が席に座って、ある程度の秩序の中時間が進んでいく授業中が、一番平穏で楽だ。
みんながみんなそうとは思わないけれど、たった一言のミスで崩れる事もある人間関係と違って、そもそもミスできる場面が限られてくる授業中は、楽でない方がおかしいんだ。
「えー、いきなりだけども、今日はこのクラスに転校生が来る」
まぁ……だから、こういうのは一番嫌いだ。
先生のその大きめの言葉に案の定教室がザワついて、前の席の友達は、わざわざ後ろを振り返ってきて「転校生だって、可愛い子かなー?」とか聞いてくる。
「黒木、来ていいぞー」
『転校生』なんて、可愛かろうが、そもそも男子だろうが女子だろうが、結局しばらく経てば『転校生』じゃなくなるんだから、そんな一瞬のイベントの為にめんどくさいくらいかき回されてしまうのは本当に嫌なんだ。
しかも当の転校生は、呼ばれても来る気配すらしない。
耐えかねた先生が扉を開けて、軽く引っ張る様な形でやっと、『転校生』は教室に入ってきた。
「え……」
そうして現れた『転校生』に、教室は異様にザワつく。
それは……悪い意味で。
「黒木、自己紹介できるか?」
「……」
長身でスタイルは良さそうだし、顔もかなり整っているけれど、『転校生』に感じたそれはそんなことで到底補えるようなものではなかった。
腰まで伸びた黒髪は、伸ばしているというより切っていないという方が正しいのかもしれないほど酷く乱雑に伸びている。
前髪も伸びたのを適当に耳にかけている感じで一部目にかかってるし、シャツはくしゃくしゃでリボンさえちゃんと付けられていない。
おまけに学校指定のと違うカーディガンを着ているし、先生の言葉は聞こえているのか意図的に無視しているのか、態度も酷い。
「じゃあ……黒木。黒板に名前、書けるか?」
「……」
明らかに異様な空気になる教室に、さすがに気押されした様に若干おぼつかなくなっている口調で言いながら先生はチョークを手渡すも、『転校生』は持ちはしても黒板に向かおうとは一切しない。
思わずチョークの使い方が分からないんじゃ……と考えてしまう程、その様子はまるではかれなかった。
さすがに皆も同じ様な事を考えたのだろう、教室は異常な程しんとしている。
ある意味……それは絶世の美女が転校してきたのと同じくらいの『異物感』だろうけど、それと決定的に違うのは、目の前の人間が果たして自分と同じ人間なのかという恐ろしさだろうか。
「えー……黒木は少し障害をもっててな、目立つ行動が多いかもしれないが、仲良くしてやって欲しい」
「……」
が……何とかこの空気をどうにかしようと発した先生の言葉で、教室の空気は若干のゆとりを取り戻した。
多分、この瞬間……ほとんどの人が心の中で転校生の分類を変えたんだ。
何にとは言わないけれど、とにかく何か名の知る存在に当てはめる事で、そういうものなんだって安心してる。
実際……僕もそうしたし、それで何とか輪が乱れる前に対処出来そうな事にも安心した。
ただ、各々自分の中で安心しただけで、転校生が触れ難い……起爆剤とも呼べる様な存在である事には変わりなかったから、ありがちな質問攻めなんかも起こらなかった。
本人は既に興味を失ったように窓辺の方であくびなんかしているから、今の流れに思う事は無いのだろうけれど。
「……」
そんな感じで、ひとまず安心する生徒とその様子に安心する先生の間で若干の間があった後、隣の教室からの「では、」という少し大きい声で我に返ったように、
「えー、黒木も新しく仲間に入ったことで……うちのクラスだけ特別に今から席替えをする!」
と、いつもの調子で話し出した。
そして、みんなも段々いつものように、席替えと聞いてはしゃぎ出すようにまたザワザワとし始めた。
「しき!」
「えっ……はい、」
僕もそろそろ切り替えようと軽く息を吐いた時、いきなり先生から自分の名前が出て、少しびっくりしてしまいながらも返事をすると、
「黒木の案内役、頼めるか?」
「……案内役、ですか?」
「あぁ。特別教室とか、教科書とか……転校したばかりで分からない所も多いだろうし、しきはしっかりしてるから、しばらく助けてやって欲しいんだ」
「あぁ……はい。分かりました」
つまりはお世話係という所だ。
面倒な事には変わりないけれど、先生からわざわざ指名して僕に頼まれたのを大した理由も無しに断る程馬鹿じゃない。
それに……さすがに最初は動揺したけれど、そこまで人に興味無いし、揺さぶられるとも思わないから、慣れてしまえば友達大勢と居るより変わったクラスメイト一人との方が気が楽だろうし。
「助かるよ。じゃあ、黒木としきの席は先決めちゃうな」
「はい」
その後、まぁこうなるだろうな、という風に僕と転校生の席は決まって、彼女は左の窓側の一番後ろ、僕はその隣という席になった。
僕が早々に席移動を済ませて座ると、転校生も先生が運んできた席に普通に座った。
そのまま、ちょっと離れた所で他の奴が仲良く席決めのくじか何かをやってる間に、することも無いので僕は彼女に話しかけた。
「よろしくね、黒木さん。僕は小野寺しき」
「……」
転校生は返事どころかピクリともせずぼーっとどこかを見ていた。
返事はされないだろうとは思っていたけれど、あまりにも無反応だったから、もしかしたら聞き取りずらいのかと思って、今度は少し大きめに話そうと体ごと彼女の方へ向く。
「僕、これからしばらく君の手伝いするけど、よろしくね」
「……」
そう言うと、今度はこっちの言葉に反応した様に、僕の目をじっと見てきた。
……何だか本当に、本能で動いてるのかって思ってしまうくらい読めない。
張り合って見つめ合い続ける程のことでもないので僕が目を逸らすと、バンッと僕の机を叩いて、いつの間にか、座っている僕を見下ろすような形で、転校生は僕の顔を至近距離で見つめて来た。
ほんとに……ほんとに何なんだ……?
「なん……」
「黒木さん!……しきに何してるの?」
僕がやんわりと押しのけようとした矢先、さすがにさっきの音が大きすぎたのか、今の状態に気づいた友達が近寄ってくる。
「しき、どうしたの?」
「えっなに、黒木さんと……小野寺?」
「なんかあったん? 大丈夫かー?」
途端にわらわらと人に囲まれて、転校生はゆっくり顔を上げ、集まって来た人達をまるで他人事かのように眺めていた。
「あー……大丈夫。黒木さんと挨拶してただけ、よろしくって」
「そうなの? おっきい音したけど……」
「それは……黒木さんがちょっとつまずいちゃったみたいで」
「あー! そっかそっか! よかったぁ……私てっきり初日から、何か……ねぇ?」
……友達の予想もあながち間違ってはいないけれど、急に音で威嚇されてガン飛ばされましたなんて言ったって、それこそ面倒くさくなるだけだ。
庇う気は無いけれど、転校生は相変わらず何も言おうとしないし、そういう事にしておこうと思った。
「……」
……でも、よくこれで高校生出来てるなーとは、正直思ってしまう。
この調子で実は天才っていうパターンも有り得ないとは言えないけれど……きっと何かの特別枠か支援があるんだろうな。
まぁ、そこは今どうでも良くて……とにかく僕は、平穏な日々を守る為にも、早くこの転校生に慣れなきゃいけないんだ。
「しきー、席決まったぁ。めっちゃ離れたー」
「おー」
「あーあ、これでしきが居れば完璧だったんけどなぁー……」
若干の問題は残りつつも、異質な転校生が来たとて結局いつも通りな輪の中に、僕はいつも通りにのまれていった。
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