飯田署でのあいさつ

 長野県の南部地方、伊那谷に抱かれた下伊那地域に飯田市はある。

 りんご並木や人形劇に水切りとといった古き良き城下町の風情を残す街だ。市内には天竜川が流れており、長野県にありながら県内では最も温暖な地域と言える。最近の編入によって静岡県とも県境を接するようになった。そんな下伊那の中核都市である飯田市の中心部に飯田警察署はある。質素な、言い方を変えれば何の特色もない、鉄筋コンクリート3階建の庁舎は一眼見れば「ああ、お役所だな」と思えるような外観である。


 署長の小牧警視正は定年間近の最後のご奉公として2年前に赴任してきて、1ヶ月後には後任に引き継ぐ予定となっていた。朝の日課の散歩から署長室への出勤までを無難に終え、副署長から引き継ぎをの中に刑事課からの報告で人体の一部が通報により発見されたという端緒から、小牧警視正のキャリアは天竜川の別名である「暴れ天竜」となって穏やかな流れを失っていった。

 手首は飯田市の山間に住む男性が畑仕事に向かう途中、畑道の真ん中に無造作に落ちていた、ということらしい。現地に臨場するために数台の警察車両がサイレンを鳴らして飯田署を飛び出していく。ここまでならば通常の事件対応だったのだが、一本の電話が掛かってきた事によって混迷の度合いを深めることとなりそうであった。


「はい、小牧です」


「交換です・・・。署長宛に検非違使からお電話です」


 卓上の電話機が鳴ったので取ると、いつもは朗らかな声の聞き馴染みとなっている電話交換職員からで、緊張した声でそう告げてきた。もちろん、飯田署内で検非違使から指摘を受けるような署員の不祥事も、事件なども聞いていないし、小牧自身にも公私ともに問題を抱えてもいない。

 報告が遅れているのか、それとも検非違使が独自に掴んだのか、と一瞬、脳裏を過ぎる。


「分かりました。繋いでください」


 椅子に座り直してメモとペンを用意してから、一呼吸置いてからそう答えた。


「はい、お繋ぎします。どうぞ」


 回線が繋がると普段の電話交換手のように耳に届き易い女性の声が聞こえてきた。


「お世話になります。私、検非違使、京都本庁の駿河と申します。失礼ですが、長野県警察、飯田警察署の小牧署長で間違い無いでしょうか?」


 世辞もなく、その声は電話を受けている主が間違いないかをまず聞いてきた。


「はい、私が小牧ですが・・・どう言ったご用件でしょうか?」


 京都本庁の駿河と名乗った相手をメモに書き留める、そしてそれを丁度、署長室に入ってきた職員に目配せして調べるように渡した。相手がどの程度の階級なのか、という当たり前のことすら検非違使が自ら明かすことがないため、まずは電話相手の立場がどの程度のものかを知っておかなければならない。なにより通話後に検非違使から連絡があったことは県警察本部に報告することとなっており、その際に相手の階級によって件警察本部の対応も変わってくる。


「実はですね、検非違使で探索をしている女性がいるのですが、その方が飯田駅で電車を降りてから行方不明になっておりまして、至急、県内で査察を行う予定でいるのです。その旨をお伝えしようと思いまして・・・」


 先ほどの職員が大慌てで署長室に戻ってくると、返事を記したであろうメモを小牧の前に置いた。

 メモには『検非違使 京都本庁 及び 六波羅探題長兼任査察局長 駿河』と書かれていた。つい最近、話題になった人物である。容姿端麗の妙齢の美人、つい先日首相官邸で開かれた日本政府と検非違使の会議でマスコミの前に姿を現してお昼のワイドショーで特集されていた。

 つまり、この局長はかなりの高位であるという事だ。これは何か良からぬことが起こるかもしれない。

 そんな人物が入れ込む事件と想像するだけで小牧は胃の当たりが不快感に襲われるような違和感を感じた。


「ご連絡ありがとうございます。こちらからお手伝いすることなどはございますか?」


 形式的にそう模範解答をしてみるのだが、必要ないことは小牧自身も理解をしている。彼らは独自で動くのだ。


「探索については今後ご協力を頂く可能性もございますが、今の所、要請を行うつもりはございません。ですが、もし、管内で異様な事件が発生している場合には、管轄の長野探題に一報を頂けますでしょうか?」


「先ほど左手が見つかったという報告があがっておりますが・・・。まだ、現場に鑑識も臨場しておりませんので、分かり次第お伝えしたほうがよろしそうですね」


「関係ありなしに関わらず教えて頂きありがとうございます。では、よろしくお願いします」


 電話はそう言ってから一方的に切られた。

 呆然としたままで受話器を置いて小牧はため息をひとつ吐く、だが、立ち止まってもいられない。思考を止めることなく、メモを持ってきた職員に刑事課に対して逐次報告を上げるように指示を出し、そして再び受話器を握ると長野県警察本部へと報告と相談の電話を入れる。旧知の中である副本部長の轟に報告して相談した後には県警察本部の行動は驚くほどにスピーディーだった。

 普段は田舎ならではでおっとり刀で駆けつけてくる検視官と県警察本部の鑑識班は1時間後には現場に臨場した、そして警察協力医まで途中で同行させてくる有様である。数時間して現場からテキパキとした報告が届き始めた頃に、警光灯を灯してサイレンの音を鳴らしたセダン型パトカーが1台、飯田署の敷地に入ってきた。


「お付きの到着か・・・」


署長室から見下ろした駐車場に駐車したパトカーの天井には「察連 14」と対空表記(識別)が書かれている。正しくは「警察庁 検非違使 連絡官 無線警ら車両」 このパトロールカーの正式名称だ、検非違使が査察を行う場合には警察から連絡官を付けることを双方で取り決めている。無論、守られないことも多々、いや、ほとんどだけれども協定はあるのだ。

 日本国自体をも取り締まることのできる検非違使に対して、民主警察が目を光らせる意味でもということであるが、実際に何ができるのか?と問われれば何もできないのが常だ。ほぼ、超法規的措置の塊とも言える検非違使と憲法と各種法律によって縛られた日本国警察を比べれば一目瞭然の話だ。だが、たとえそうだとしても日本国警察の矜持と意地がある。一般市民に無用な査察などを行わせないために、そして仲介役として連絡官はその職務を全うする。それが、民主警察の最後の砦、 警察庁 検非違使 連絡官 であった。


「今回は女性なのか」


 pcから降りてきたのは女性警察官であったので小牧は多少驚いた。キビキビとした動作でアタッシュケースを後部座席から取り出した彼女が署の玄関へと歩いていくのを見つめ、視界から切れた頃に警察用のスマホが音を立てて県警察本部からの着信をつげる。内容は今回の件では県警察捜査一課は現場には臨場せず、飯田署で対応する旨の轟からの命令であった。結局、検非違使と事を構えたくない件警察本部は飯田署に全権を丸投げしたようなものだ。席に腰掛けてそんなことを思案していると署長室の扉が静かにリズミカルにノックされた。


「どうぞ」


「失礼します」


 先ほどの女性警察官が室内へと入ってきたので小牧はそちらへ視線を向けた。制服姿をしっかりと着こなし三白眼が特徴的な女性警察官で足の運び方、ドアの閉め方まで、優雅といっても差し支えないほどの人物だった。

 

 お互いに視線が交わると姿勢を正して敬礼を向け彼女が先に口を開いた。


「警察庁 検非違使 連絡官 兼 長野県警察本部 警備部 付 警部 三ツ林 麻衣子、只今、着任いたしました」


「ご苦労さま、飯田署長の小牧です。この度はお世話になります」


「こちらこそ、お世話になります。お願いいたします」


 ハキハキとものを言う子だなと言うのが小牧の抱いた第一印象だった。目の鋭さがそれを物語るようでもある。

 妙に長い肩書きである「警察庁 検非違使 連絡官 兼 長野県警察本部 警備部付き」にも意味がある。警察庁の職員は本来役人であり逮捕権などを有しない。一般の会社でいうのであれば、ホワイトカラーとブルーカラーという感じであろうか、なので、警察庁職員が現場に出る場合、いや、まずあり得ないことなのだが、その場合は派遣先の各都道府県警察の所属の肩書きも名乗ることとなる、それによって所謂、法執行が可能となるのだ。彼女が仮に誰かを逮捕した場合は「長野県警察本部警備部付の警部」が犯人を検挙したことになる。

 

 字面と法律上の解釈だ。一般市民からすれば、警察官が犯人を逮捕した。ということで済まされてしまうだろう。

 

 問題はもう一つの肩書きである「警察庁 検非違使 連絡官」だ。警察庁が各都道府警察に出した通達では連絡官からの依頼は「警察庁刑事局長及び警備局長及び公安局長よりの依頼案件と同義である」と言うことになっている。つまり、階級は警部でありながら、ある程度の裁量権を持った人物であるということだ。長野県警察の肩書きで指示や依頼を受ければ簡単に断ることも可能であるが、警察庁の肩書きで指示や依頼をされた場合は、断るにしても明確な根拠が必要になってくる。

 こちらの方が署長職としてはやり辛い。そんなことが万に一つも起こらない事を祈るのみである。


「一つ質問なのですが、小牧署長は検非違使と接点はございますか?」


 三ツ林が遠慮がちにそう聞いてきた。


「捜査上で何度か・・・いや、話し込んだりはしたことないよ」


 検非違使との接点はある程度はある。いや、捜査上で袖が擦りあった程度の縁でもあるので正確には接点と呼ぶには浅すぎるのかもしれない。


「それはよかったです。検非違使の活動を肌身で知っていらっしゃる方とお仕事をしますとなかなかに大変でして・・・」


「そうだろうね」


 検非違使の活動を直に対応すると一年が1ヶ月に感じるほどだと同期から聞いたこともある。同期のうちの数人は自らを殺してしまうほどに追い詰められた事件もあった。今回派遣されてくる検非違使がどんな人物かは知らないが、気を引き締めなければならない。


「事件概要を私は何も聞いていないのだけれど、三ツ林君は知っているの?」


 素知らぬふりをしてカマをかけてみることにした、警察官で同族であっても、相手は警察庁、こちらは長野県警察である。知り得ていない情報をなにかもっているかもしれないのだ。


「私も概要しか存じておりません。日本政経新聞社に勤務している中根八重 さんを捜索するということしか・・・」


「先ほどね、駿河さんと名乗る方から電話があってね、些細な情報でも良いからと長野探題へ報告を求めてきたよ」


「大物ですね・・・局長クラスが出張ってくるのは珍しいです」


 そう言って少し驚いた表情で三ツ林が答えた。どうやら、彼女は検非違使内部をある程度知っているようである。


「知っているの?」


「ええ、私たちの上司を最近飛ばした女性です。三ツ矢事件といえばご存知でしょう?」


 三矢事件、政治家、三矢祥子の汚職疑惑の件だ。

 検察と警察が取り調べて後少しで任意聴取、そして検挙という段階までこぎつけたところで検非違使が突如として査察介入した。そして緊急査察を行なったのだ。冬枯れの炎のように苛烈さを極める彼らの調査は国会議事堂、議員会館、自宅、選挙事務所、生家、親戚全ての自宅、娘、息子の自宅、それぞれの結婚相手とそれら親族関係に至るまで行われた。調査過程での死者は7名、全員が自殺、三矢祥子はもとより、夫、その息子、娘は夫と乳幼児2名を殺してからの自殺である。

 警察がそのような結果になればマスコミから袋叩きにされるところであるが、相手は検非違使だ。記者会見で堂々とこう言い放った。


「死んだところで許されはしないし、それ以外で死んだ者に関心はない」


 汚職に関わった全員、末端に至るまでが徹底的に検挙された。検非違使の査察法によって定められている、死刑か無罪、2択裁判によって、全員が死刑となった。査察法は情状酌量というものが通じない。精神疾患もなにもかも関係ない、事実のみが判断材料とされ、そしてそれによって判決が下される。

 

「私もあの事件に関わっておりましたが、それはそれは苛烈を極めておりました。その陣頭指揮をされたのが駿河局長です」


「恐ろしい人と話してしまったもんだなぁ」


「ええ、本当に恐ろしい人です。そして、これからここに現れる検非違使官も、きっと恐ろしい存在ではないかと思うのです」


 そんな人が差し向けた検非違使官は相当に怖いものなのかもしれない、そう思いながら小牧署長はため息をついた。

 

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